20
「俺、雪を見るのって生まれて初めてだ」
「私も…!」
雪原に足を踏み出した瞬間に襲い来る、強烈な寒さよりラゼルとテレシアは、一面の雪景色に目を瞠り感動を言葉で示した。
銀糸を紡いで作った絨毯のような色のその地面は、踏みしめるたび少しだけ沈む。足跡が残るそれに感動を覚えているのはラゼルとテレシアだけでなく、ツェザールとホミロンも同じだったらしい。「雪だ!ねえ、これが雪なの!?すごいなあ!ツェザール、みてみて!」「…見てる」「すっごく綺麗だよ!」…砂漠の国から来た三人と、純真無垢なホイミスライムは、白銀で覆われた美しい世界に潜む危険を警戒しながらも、それでも幾分か明るい面持ちで道を進んでいく。
そんな三人と一匹の無邪気な感動が、パーティ全体の雰囲気を少しばかり軽くした。オレンカ王の死、犠牲になった兵の数。理由もわからぬまま、連れ去られたナマエ――…心に重くのしかかる出来事が続き過ぎれば、滅入ってしまうのは仕方のないこと。それだけに沈む全員の空気を振り払うような無邪気なその声は、雪を別段珍しいものとして捉えない者達にも雪景色が非情に良いものとして目に映るように影響した。
「…雪、か」
「そういや、ナマエが加わったあとだったな、マウントスノーに行ったのは…」
思い出したように呟いたハッサンの言葉に、話に聞いただけのレック達の旅路を思い返しテリーはそんなことを言ってたな、と静かに切り返す。銀世界の隅に、あの日すれ違ったナマエの幻影がちらついた気がした。
(ねえ、待って)
すれ違った瞬間、声としてその言葉がテリーの耳に届くことはなかったけれど、空気がその心の叫びをテリーの心臓へ伝えていた。もしかして、あの時、助けてくれた剣士様ですか。立ち止まっていれば、ナマエのそんな問いかけを聞くことが出来たのかもしれない。何の話だ、と切り捨てたかもしれない。それでもそんな、些細な出来事一つで時間は流れる方角を変える。――たった一つ、交わした言葉が違うだけで、未来は分岐する。
「テリー、おめぇ」
「なんだ」
「こんな時に、くだらないこと考えるなよ」
「………考えてない」
言い切ったものの、ハッサンからテリーは目を逸らしていた。テリーにだって分かっているのだ。そんな遠い過去で何かひとつ出来事が変わったとして、ナマエと自分が旅に出なくなることはないだろうということを。この世界に来なくなるような、大きな運命の変化は訪れることはないだろうと。ナマエが世界を求める限り、自分が最強を求める限り。
**
試練を越え、霊峰への扉を開いたラゼル達が辿り着いたのは洞窟だった。山道がそのまま洞窟に繋がっているというのは予想外で、ここまで先陣を切って歩を進めてきたオルネーゼも思わず足を止める。しんとした洞窟はいかにも、魔物が潜んでいますよという雰囲気で、一行の足取りを鈍くした。襲い来る魔物を片っ端から片付けていけばいいだけの話と思うものの、霊峰の洞窟、その地面は凍り付いていて上手く動けないのだ。誰かが谷底に落ちるなり、落ちそうになるなりすることの方が恐ろしい。時間がないことを知っているからこそ、警戒しつつ進まねば、余計に時間をロスすることになるのは明白な事実である。
「なあ、伝説の兵器ってなんなんだろうな」
ラゼルの口をついて出た、ふとした疑問は隣にいたツェザールの頭を悩ませるには十分過ぎた。伝説の兵器。霊峰の奥に眠る、お伽噺のような存在である。腕を組み、微かに唸ったツェザールは真面目に伝説の兵器について考えだしたようだった。「ラゼル!」はいはい!とガボがマリベルの横から、ラゼルに向かって手を挙げアピールする。
「オイラ、でっけー兵器だと思うぞ!伝説になるぐらい!」
「バカねえガボ、そんな大きなもの、アタシたちだけでどうやって運ぶのよ」
「なんとかなるって!」
「あー…羨ましいわぁ…ガボったらぜんっぜん、寒そうじゃないのね…」
「マーニャ、寒いのか?」
「寒いわよ!むしろなんでガボは寒そうじゃないのよ!」
「オオカミには寒さに強いふかふかの毛並みがあるもの。そうでしょ、ガボ」
「その通りだ!」
「ああああアタシもふっかふかの毛皮で出来たコートが欲しいわ…」
既に議題が変わっていることに気が付くことはないツェザールは、伝説の兵器について思いを巡らせている。テレシアと並び、その様子を眺めるラゼルの肩に慣れた感触の手がぽんと置かれた。「…ま、山頂に辿り着けば分かる話さ」そんなに心配するなと、オルネーゼがラゼルを、そしてテレシアの肩を抱く。まるでそれが自分に言い聞かせているようにも聞こえて、ラゼルとテレシアは顔を見合わせた。それは確かにちらついた、オルネーゼの弱い部分だった。
20161021