18


――約束の時間の少し前に、オルネーゼは雪原へと続く門の前に着いたはずだった。


「ようオルネーゼ。早いな、流石だ」
「おや、ラゼル。こりゃ意外だね」


壁にもたれ、よう、と手を上げたラゼルの元へオルネーゼが歩いていく。「俺がいなけりゃ、一番乗りだったな」…軽口を叩き、口元を緩めるラゼルはいつも通りの明るいラゼルだ。ゼビオン王の前では気を張っていたくせに、ゼビオンに戻ってきた瞬間オレンカ王の姿をただ眺めていることしか出来なかったと、歯を食い縛っていたまだ若い騎士候補はどこへいったのか。自分の力では止められず、仲間を敵の手に渡してしまったことを嘆くラゼルの責任感の強さは、ラゼル自身を強く責めていたはずだ。ところがラゼルはそんなことがあった気配すら、オルネーゼにちらつかせない。


「…随分へこんでいたけれど、もう大丈夫なのかい?」
「オルネーゼこそ。吹っ切れてねえって顔してるぜ」
「それはお互いさまだ。…けれど、今はそんなことを言っている暇はない」
「ああ。…それにさ、ナマエについては思うところがあるんだ」
「思うところ?」
「…あんな風に捕まえられたってことは、ダラル王に何か策があるってことか、もしくは――…ダラル王の影で暗躍する、誰かが俺達の仲間内の中で一番戦い方の限られるナマエを俺達に対する牽制として使おうとしてるとか」


腕を組み、言葉を並べるラゼルにオルネーゼは思わず息を呑む。…ラゼルはただ、自分の力不足を嘆くばかりに時間を費やしたわけではなかったらしい。動揺から一番に抜け出し、冷静さを取り戻したのはもしや、ラゼルが一番早かったのではなかろうか。「…こりゃ頼もしい」「へ、なにが?」ふと表情を緩ませ、呟いたオルネーゼにきょとんとした顔のラゼルが拾った言葉の意味を問う。


「オルネーゼは、普段熱血バカなお前がそんなこと言い出すから驚いてるんだ」
「その失礼な言い回しはツェザールだな?――ほら当たりだ」
「でも、おかげで私は少し心が楽になったわ。…手、掴めなかったもの」
「…あのなあお前ら、いつから聞いてたんだよ」


立ち聞きなんて趣味悪いぞ、とラゼルがいつの間にか現れたツェザールとテレシアを睨む。「悪いな、つい耳に入った」…悪びれた様子を見せないツェザールは素知らぬ顔でラゼルの横を通り過ぎ、門に続く柵へ体を預けた。立ち聞きするつもりじゃなかったのよ、と小さく笑ったテレシアは、ラゼルの隣に並んで足を止めた。「…ラゼル」細い、テレシアの呼ぶ声に振り向いたラゼルは、戸惑いに揺れるその瞳をらしくないと思う。


「ねえ、…あなたって強いわよね」
「そうかな。俺はあの時、目の前の敵で頭が一杯になってて、手を伸ばそうとすら思えなかった」
「でも、私はさっきもずっと…もっと強ければ、って考えるだけだったわ」
「これから強くなればいいんだ。――今やらなきゃいけないことは一つだろ」


門の先を見据えたラゼルの言葉に、テレシアは頷きで返す。目指す霊峰レーゲンは、凍てつく寒さの雪原を越えた先。
テレシアの手がもし、ナマエに届いていたら何かが変わったかもしれない。漠然とした、しかし確信めいたその希望をラゼルが口に出すことはなかった。結果としてテレシアの手が届かなかったことにより、今があるのだ。過去をこうしていればと振り返る時間ほど、無駄なものはないであろう。先へ進む。それしか、仲間を取り戻す手段はない。


「なあ、テレシア」
「…なあに?」
「自分でもおかしいと思うんだけどさ、オレ、ナマエは俺達の傍にいなきゃいけない、って思うんだよな。…いて欲しい、ってのもあるだろうけど」
「ラゼル、あなた」
「ナマエは俺達の戦う姿を、迷う姿を、進む姿を――誰よりも近くで見てなきゃいけないんだ。だから、早く取り返したい。あんな檻みたいなものの中に、閉じ込められるべきじゃない。ナマエは、」


――言葉を止めたラゼルが、深く、深く息を吸い込み、ゆるく吐き出す。


「…ナマエがさ、戦うとき、音に呪文乗せるだろ」
「うん」
「……あの音が好きだ。すげー好きなんだ。ずっと聴いてたい。ずっと動いてられる」
「分かる、わ。…私も、そう思う」
「オレたちだけかな。そんなこと、ないよな」
「ナマエといると、心がちゃんと"ここにある"って思えるの」
「ナマエが必要だと思うんだ。――この戦いを、見届けてもらわねーと、って」


20161014