心操くんと隠れ家

緑谷がうちに来た、次の日の放課後。

俺はナマエ、と名付けられた子猫を家から連れ出した。ダンボールに入れ自転車のカゴに乗せ、待ち合わせ場所へ向かうと緑谷が待っている。何か運ぶよ、と言った緑谷に遠慮なく少量の荷物を持ってもらう。
それじゃあ、と遠慮がちな声を上げて自転車を走らせ始めた緑谷の後をゆっくりと、身長にペダルを踏みながら追いかけた。俺の家は無理、緑谷の家も無理――まずは飼い主を探す間、どこにこいつを置いておくか。…以外にも、それは緑谷が解決してくれた。


「…その、本当はよくないんだろうけど」
「一時的に借りるだけじゃん」
「うん……うん、そうだね」
「まずくなったら俺のせいにすればいいし」
「そういうわけにはいかないよ」


言い淀んでいたくせに、俺だけに責任を押し付けるのは無理だと、告げる言葉にだけは明確に意思が示されている。流石にそれ以上何も言えない俺は、黙って緑谷の後を追いかけるためにペダルを踏む。カゴの中から小さく、小さく鳴き声が聞こえてくる。
曲がり角を曲がり、信号を渡り、無言のまま走る。やがて微かにちらついた青色を、ダンボールの中に閉じ込められた小さな存在に見せてやりたいという衝動を必死で抑えねばならなくなった。――流れる潮風。まだ陽はオレンジになる一歩手前、といったところ。

やがて街道沿いに走るのを辞めた緑谷は、駐輪場へ入っていった。この時間は流石に人もまばらで、サッカーボールを抱えた何人かの少年たちが公園の外へ走っていくのが見えた。緑谷が自転車を駐輪場の一角に止めたのにならい、ゆっくりとスピードを落として自分も自転車を止める。
海浜公園の駐輪場だった。――少し前まで、ゴミの山だったここは誰かが綺麗に掃除したことにより、美しい景観を取り戻した…というのが海浜公園に対する、一般的な認識だろう。俺にとってはついこの間、ナマエを拾った場所そのものだ。


「緑谷、良い場所ってここ?」
「公園じゃないんだ。こっち」


勝手知ったる、と言わんばかりに慣れた動きで歩き出す緑谷の背中を慌てて追う。途端に抱えた段ボールが揺れ、不思議そうな声が聞こえてああごめん、と思わず呟いた。もうちょっとだけ我慢してくれないかな、ナマエ。保健所なんかに絶対連れてかせたりしないから。


**


「……緑谷、ここって」
「ちょっと待って、鍵開けるから」


一瞬言われたことの意味がよく分からなくなって首を傾げる。待て緑谷、お前連れてくるとこ間違えたんじゃないの?「いや、緑谷…ここ灯台じゃん」「そうだよ」頷いた緑谷が鞄からプレートの付いた鍵を取り出した。かちゃりと揺れるそれは詰まることなく、するりと灯台の扉の鍵、その穴へしっかり吸い込まれていく。慣れた手つきで緑谷が手を動かすと、かちゃりと鍵の外れる音がした。待て、待て緑谷。…ここ灯台だろ!?


「な、んで鍵持ってんの」
「……ええと、あはは。色々あってさ」


――何がどう色々あれば灯台の鍵を手に入れる事態になるというのか。

緑谷が周囲を見渡して、俺に入れと手招きをした。人目はない、ということだろう。…ここで緑谷を問い詰めたってしょうがない。箱を抱えたまま扉の中に体を滑り込ませると、緑谷が素早く扉を閉めた。…一瞬の暗闇に思わず目を細める。

電気はすぐに付いた。かちゃりと鍵を内側から閉める音が耳に届いた、次の瞬間に視界は明るく広がっていた。緑谷が壁に備え付けられた、旧式の電灯のスイッチを入れたらしい。
灯台の中は予想以上にこざっぱりとしており、きちんと整頓された物の少ない倉庫、という感想を抱かせる。隅に寄せられているのはまだ使えそうな冷蔵庫、洗濯機、ソファー…まあ、トータルすると薄汚れている家具といったところ。畳まれているのはなんだ、布?布団…?いやカーテン…?奥の方にはもう一つ扉が見える。そういえばここは灯台だから、上に行くための階段か何かがあるのだろう。

――それにしても、だけど。


「緑谷、ここって秘密基地かなにか?」
「や、そんなんじゃなくて!ここはその……何て言えばいいかな」


困ったように頭の後ろを掻いた緑谷が、ナマエちゃん出しても大丈夫だよ、と少しだけ声を潜めて言う。「実はその…この海浜公園、この間まで不法投棄のゴミがいっぱいあったの知ってる?」「…まあ」誰もが見て見ぬふりをしていた状況を、どこの誰が解決したのか興味がないわけじゃない。『ヒーローはもともと奉仕活動』オールマイトがどこかの番組で、そんなことを言っていたのを思い出す。


「実はその、ええと……ゴミを片付けてる人を少しだけ手伝ったことがあって」
「それがどうここのカギに繋がるんだよ」
「うん、ここに整理されてるのは良いメーカーので、且つまだ使えそうだなって判断されたものなんだ」
「……つまり?」
「…もったいないって言い出したその人が、いつか再利用するからしまっておこうって」


それでカギを受け取って僕が運んだんだ、と説明する緑谷の方を向いているうちに、ナマエは段ボールの中からもぞもぞとそこに出てきていた。「最後に会った日、カギ返しそびれちゃって…向こうもそれを忘れてるみたいだし」都合がいいかなって、と呟いた緑谷の目線は新しい場所の慣れない匂いで、不安そうに俺の傍から離れないナマエの方に注がれている。

恵まれている、というレベルではない格好の隠れ場所。それでも一時的に使うだけだから、と緑谷が念を押すように言う。「はい、どうぞ」「……」言葉と共に差し出された鍵を、受け取るのには少しだけ勇気が必要だった。明日にでも返せと言われたらどうするのか、もし合鍵でもなんでも使われてここで猫を保護しているのがバレたらどうするのか。
聞きたいことはあった。それこそ本当にいいのか、聞きたかった。――聞かなかったけど。


「…ありがと、緑谷」
「ううん。僕もクラスの人に声掛けてみるし。…その、」
「その、なに?」
「ナマエちゃんのために、頑張ろうね」


(2015/06/28)