05
「緑谷くん!お、はよう…!」
「苗字さん!お、おはよう」
偶然かはたまた必然か、なんて頭を過ぎるぐらいには余裕があったのかもしれない。靴を履き替えて校舎に入ってすぐ、階段を登る後ろ姿に駆け寄るのを私は躊躇わなかった。おい、って後ろの焦凍が呼んだかもしれない。
振り向いて、(少しだけ照れくさそうに)ぱっと笑った緑谷君に再び心臓が跳ねる音がした。きゅんとなるって、こういうことなのかな。今日はいい天気だね、と少し小さな声で会話を続けてくれる緑谷君に私は上手く言葉を出せないでいる。うん、と小さく頷いただけでその場を沈黙が支配した。あああどうしよう!いつもなら、いつもなら!緑谷君じゃなかったら!今日はヒーロー基礎学だねとか、よろしくねとか、一緒に教室に行こうとか、言えるはずなのに…!緑谷君の前でだけ、どうしてだろう…上手く言葉が出せないような、
「おはよう緑谷君。…む?」
「…あ、メガネの人」
「飯田君。おはよう!」
顔を上げた緑谷君が、メガネの人におはよう、と返していた。君は同じクラスの、と向けられた視線に私は首を縦に振る。「苗字名前です、よろしくね」「ああ、こちらこそ。飯田天哉だ」差し出された手に、手を重ねる。躊躇いはない。苗字君か、と飯田君が私を見つめる。な、なんだろう。見られても何も出ない、と思うんだけど。
「君は確か、俺達と同じ会場で試験を受けた…?」
「あ、そういえば」
「おーい、デクくーん!飯田くーん!」
大きな声と、ぱたぱたと響いた足音。振り返ると、入試の時のあの女の子が手を振りながら階段を駆け上がってきていた。「あ、確か同じクラスの!…ええと…」「苗字名前です、よろしくね」「よろしく!」麗日お茶子、と名乗った彼女は少しだけ頬を染めながら私に手を差し出してくれる。「同じクラスだし、名前ちゃんって呼んでいい?」「もちろん!」くすぐったくて、嬉しいなあ、こういうの。眩しい笑顔と共に差し出されたその手を取らない理由はどこにもない。
「……」
「どうしたんだ、緑谷君」
「あ、いや、その…苗字さん!」
「えっ!?」
な、なんだろう緑谷君、私なにか、変なことしたかな?前髪が撥ねてるとか?突然声を上げた緑谷君に落ち着きかけていた心臓がびくり、と反応を示した。どく、どくどく。私を真っ直ぐ見つめて、その、ともう一度言い淀んだ緑谷君から目が離せない。なんだろう、なんだろう。別にその、緑谷君と、緑谷君の友達と、少しだけ近づいたのは純粋に嬉しくて…緑谷君が迷惑なら私は黙って距離を置くぐらい、
「僕ともその、握手……とか」
「〜〜〜〜っ!?」
「い、嫌ならいいんだ!…飯田君と麗日さんが、ちょっと羨ましくて…僕もその、」
「嫌なんてそんな!無い、無いよ!」
腕(というより、全身が)緊張で震えた。それでも緑谷君がほんとう!?って顔を上げて嬉しそうに笑うから、差し出した腕を勢いに任せて引いてしまうわけにもいかない。
じわり、手のひらに汗が滲む感じがした。ふわり、優しい温もりの指が私の手のひらに触れる。「…よろしくね、緑谷くん」「うん!」嬉しそうに笑う緑谷くんに、再びどくん、と心臓が呻いた。緑谷君が嬉しそうだと、私も嬉しい。ああ、もう、
「飯田君、これは…」
「いや、違うかもしれないぞ…どうなんだ?」
(2015/05/11)