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祭壇で私達を出迎えたヘルムードという男と、直接対峙するのは初めてだったけど……雰囲気も言葉の端々から感じ取れるものも、確かに強そうだと感じさせるけど……禍々しい闇に満ちたその目は正直直視していられなかった。
私達とヘルバトラーとの戦いを笑いながら見下ろしていたヘルムードは、調和の祭壇が元に戻り、世界樹が力を取り戻しても狼狽えた様子は見せなかった。それどころか何の問題もないと笑って、闇竜の復活を止めたければ次元島に来るがいいと言葉を残して魔法陣に消えた。わざわざ私達を招くということは、それだけ手厚い歓迎の準備がしてあるんだろう。けれど、闇竜の復活を止めるためにはヘルムードを追いかけるしかない。
世界樹から降りた私達は一旦バトシエへ戻り、準備を整えてから次元島へ向かうことになった。……デッキから見える次元島は、火山の噴火からか赤くぼんやりと光って見える。吹き出す煙に禍々しいものが混じっている気がして、吸い込みたくないと心から思うけど。――それでもこの世界を救って、魔物と人が共存する世界を見るためなら私はアクト達に付いて行きたい。見たことのない世界へ連れていってくれるのは、きっとレックもアクトも同じだ。
戦いの中で生まれた新しい絆は、バトシエに居る時間を更に優しく、穏やかなものに変えていった。状況が厳しいものだということはよく分かっているつもりだ。けれど休息の合間、心に生まれた余裕で思わず考えてしまうことがあった。暫く会っていないみんなのこと、お城に仕える生活ではなかなか得られない刺激が得られている充実感のこと、……それからやっぱりテリーのこと。テリーの言葉と、行動のこと。
頭が真っ白になったあの感覚は、思い出すだけで私の顔に熱を集める。初めての感覚に、今でも体中が震える。……私も吟遊詩人の1人だ。恋や、愛を歌ったことはある。でもそれは知識としての理解で、私は感情としての恋や愛は覚えたことがないから……自分で作る歌にその手の類のものはなかった。だから、誰でも知っている恋のお伽話を自分なりに歌ってみたりしたけれど、歌っていた自分のなかでさえあまり印象に残っていない。
多分、私の中で恋愛感情と呼ぶものに一番近い位置にあったのはペガサスへの憧れだった。それ以外に私の心を埋め尽くせるものはないくらい、私はそれを渇望していた。――…今は?今は、どうなんだろう。私は何を、求めたらいいんだろう。恋をしてみたいと思ったことはなかったし、愛は両親や仲間から向けられる家族愛に似たものしかわたしは知らない。だから私も、家族愛に似た仲間愛しか今はテリーに向けられない。
テリーは私を抱きしめた。つまりそういうことだ、と言った。それをそのまま受け取ると、テリーは私のことを好きだということになる。…テリーは私のどこが好きなんだろうか。どうして、私に恋をしてくれているのだろうか。私は、テリーに今の自分の考えをありのまま伝えるべきなんだろうか?――今すぐテリーに返事を返したら、それは間違いなくテリーを傷付けることになる気がした。でも本当に私は恋について良く分かっていなかったし……男の子に抱きしめられたのが初めてだったから、あの時も今も、こんなに動揺しているんだと思っている。そりゃあ向けられた気持ちが嫌だったなんてことは当然なくて、寧ろすごくどきどきしたし……びっくりしたけど、嬉しかった。自分にはテリーに疎まれている部分があると思っていたから、好意を向けられているなんて考えたこともなかったし……。
自分が恋愛感情を抱いたことがないせいで、私は戸惑ってしまっていた。人を好きになるって、どんな感じなんだろう。テリーは嬉しい気持ちで私を抱きしめた?悲しい気持ちで抱きしめた?――それとも、何も考えていなかった?私はテリーじゃないからテリーの気持ちが分からない。だから想像するしかないのだけれど、私はこの手の知識に乏しすぎた。テリーの感情や気持ちを察することはどう足掻いても出来そうにない。
「……相談してみようかなあ」
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バトシエの中をぴりぴりとした緊張感が支配するのを感じて、少し場違いな気分になりながら私は防具屋の前でオーブを手に、唸っているクリフトの肩にぽんと手を乗せた。「うわあああ!?」肩を跳ねさせ、振り向いたクリフトの頬は少しだけ赤かった。もしかして私をアリーナだと思ったんだろうか。少し申し訳ない気分になりながらクリフトの隣へ。
「…ナマエさん、驚かせないでください…」
「ごめん、そんなにびっくりすると思わなかったの」
「姫様でしたらどうしようかと…そんなお金があるなら、新しい小手を買ってくれと言われそうで」
クリフトが手にしたオーブはアリーナのためのものだったらしい。確かに彼女はいつも敵に真っ直ぐ突っ込んでいくから怪我も多かった。その怪我を癒すのはクリフトの役目で、でもクリフトはやっぱり、アリーナに怪我をして欲しくないと思うのだろうか。
「ねえクリフト、一つだけ聞きたいことがあるの」
「ええ、私で良ければお答えしますよ」
「ありがとう。えーっと……クリフトはアリーナの事が好きじゃない?」
「ナマエさんちょっと待ってくださいどうして肯定から入ったんですかっ!」
今度は顔を真っ赤にして、詰め寄ってきたクリフトはあれで自分の気持ちを誤魔化せていると思っていたのだろうか。いや、私にも分かるぐらい、クリフトの好意は分かり易いと思う。だからこそ相談の相手に選んだのだけど、クリフトはどうやら私にまでアリーナへの気持ちを知られているのがショックだったらしい。気がついていないのなんてアリーナ本人ぐらいじゃないだろうか。
暫く顔を赤くしたり青くしたり、やっぱり私なんかの身分では…と落ち込んだり、諦めなければいつかきっと!と一人で涙を噛み締めていたりしたクリフトは数分で元の落ち着きを取り戻した。小さくすみません、と恥ずかしそうに呟くクリフトは再びオーブに目線を戻していて、私はなんだか不思議な気持ちになってしまう。クリフトの様子はそれこそ歌で良く表現される恋する乙女のそれで、クリフトはやっぱりアリーナに恋をしているんだと実感させた。どうやら恋というやつは、感情の制限を効かなくするらしい。
「…それでナマエさん、聞きたいことというのは?」
「うん。クリフトはアリーナにどうして欲しいのかな、って」
「どうして欲しい…?」
「自分に振り向いて欲しいとか、幸せでいるのならそれでいいとか」
私の言葉に、クリフトは難しい顔をして黙り込んだ。彼は酷く冷静な表情で深く考えていた。……――やがて顔を上げたクリフトは、穏やかな表情で私を見つめる。
確かに振り向いて欲しいとは思いますよ、とクリフトは言った。「でも、…そうですね。それ以上に姫様が幸せだと思うなら、それは私の幸せでもあります。姫様が怪我をしていなければ安心しますし、反対に姫様が怪我をしていたら不安になりますよ。なるべく戦って頂きたくはないですが…姫様はあの性格ですしね。強い人を見るとすぐに勝負をしたがるので、そのうちどこかに行ってしまいそうで目が離せません。……やはり、私に振り向いてくださることはないかもしれない」緩やかに言葉を紡いだクリフトは、でも、とも続けた。私は穏やかな表情で語るクリフトから、目が離せない。
「私は姫様を守りたいと思っています」
「…でも、アリーナはクリフトより…」
「確かに姫様は私よりも強いですが、私のように回復呪文を扱うことは出来ません」
「……ええっと」
「私は姫様を守ることは…今はまだ出来ないかもしれませんが、姫様を支えることは出来るということです。恐らく今の私には、それが限界なんでしょうね」
希望は捨てていませんが、と少し寂しそうな目をしたクリフトはやっぱり微笑んでいた。振り向いて貰えないかもしれない。なのにクリフトは自らアリーナに寄り添って、アリーナを支えたいと思うんだ……どうやら、恋は本当に盲目らしい。
テリーはどうなんだろう、と考える。クリフトと分かれて座り込んだ酒場のカウンターには、ルイーダが磨いたグラスがいくつか並べられていた。ぴかぴかのグラスに映る自分の目から視線を逸らせないまま、テリーのことを考え続けた。テリーは私にどうして欲しいんだろう。…何も言わないのは、彼の悪い癖だと思う。
傍に居て欲しいとか、支えて欲しいとか、…言えばいいのに。そうしたら、私の心はもっとはっきりと浮かび上がる気がした。好きだと伝えるだけ伝えて、あとのことを何も言わないなんて卑怯だ。――私ばっかり、こんなに掻き回して。
『ねえクリフト、最後にもう一つだけ聞いていい?』
『ええ、なんでしょうか』
『…アリーナを見ていると、どんな気持ちになる?』
思い返した自分の声は、微かに震えているみたいだった。『安心して、心配になって、でも穏やかな気持ちになります。目が合ったり名前を呼ばれた時は、嬉しいんですけど少し緊張もします。何度も同じことをしているはずなんですけどね……私には、その一瞬一瞬が特別なものなんです」――ナマエさんにもいつか分かる日が来ますよ、と笑ったクリフトの顔が頭の中から消えていく。そうして再び頭の中に浮かび上がったのはテリーの姿だった。
安心して、心配になって、穏やかな気持ちになって、嬉しくなって、緊張する。――ファルシオンを見ている時は嬉しくなったり穏やかな気持ちになったりするばかりだったけど、テリーを見たときはどうだろう。……この世界に来たとき、不安で不安でたまらなかった私はテリーを見て安心した。なかなかみんなのところに顔を出さないテリーは心配になる。ここで新しい仲間と上手くやっているテリーを見て、穏やかな気持ちに包まれた。…テリーが私を大切な仲間だと言ってくれたのは本当に嬉しかったし、抱きしめられたときは緊張で頭が真っ白になった。……全部当て嵌ったけど、でもこれは本当にテリーにだけ抱く感情なの?
(2015/03/08)
クリフトのアリーナへの好意の個人的解釈のコーナーでした