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しずくを手に入れるだけにしては、少し時間が掛かっているなあと思ったけど……アクトとメーア、ジュリエッタは魔物に襲われていたらしい。なんとか三人でそれを撃退し、里の長老でありジュリエッタの祖母から激励の言葉を貰ったというジュリエッタは嬉しそうだった。アクトとメーアがみんなの前で掲げてみせた聖なるしずくは、透き通ってきらきらと差し込む光に反射する。……飲んだら、どんな味がするんだろう。

次の行き先は刻一刻と闇に侵食されている世界樹、らしい。ジュリエッタによると世界樹には本当に時間が無いらしく、バトシエは全速力で動き出した。私は世界樹に向かうのは初めてだけど、闇を糧にして光を放つというこの世界の世界樹には興味しんしんだ。しずくを祭壇に使うことで、闇に侵食された世界樹は救われるのだという。

デッキに出ていた私はジュリエッタの発明品でもある特別な望遠鏡で、まだ少し遠くにある世界樹を覗いていた。……大きな木と、白亜の城。そして、それに群がっている魔物達。状況は随分悪いみたいだけど、聖なるしずくで祭壇を清めることが出来れば美しい世界樹を取り戻せるのだとジュリエッタは言った。この世界で一番美しいものは、きっとあの世界樹なのだと肌が感じ取っている。


「でもナマエ、ただのでっかい木なんかより宝石の方がずーっとキレイじゃない?」
「マーニャ、本当はそんなことないの知ってそう」
「……アンタのそういうとこ、嫌いじゃないけど」


肩をすくめて口元を緩めたマーニャは、アタシにも見せてよ、と隣から望遠鏡を覗き込んでくる。彼女はアリーナ達と気球で旅をしていたことがあるらしい。……気球、かあ。それは流石に乗ったことないなあ……絵本の中ではよく描かれていたけど、旅の中で気球を見ることは本当に稀だった。何より空を移動する手段を使える人は本当に限られている。王族に直接仕える賢者様だとか、それなりに名の知られている戦士にしか与えられないものだった。…私も気球、乗ってみたいな。緩やかに空を移動しながら、景色を眺めるのはまた新しい発見がありそうだ。でもやっぱり、私の一番はファルシオンの引いてくれる馬車だと思う。初めてファルシオンが空に連れていってくれた時、脳裏に焼き付けたあの景色は、目を閉じるだけで瞼の裏に鮮やかに蘇る。あの時私が噛み締めた幸福は、残りの人生の全てを捧げてもお釣りが来るぐらいのものだった。


「そーいえばナマエ、しばらくテリーと口聞いてないみたいに思えるけど?」
「……あー、それは……」
「おねーさん、相談に乗ってあげなくもないわよ」


望遠鏡から顔を離して、今度は私にぐいぐいと迫るマーニャ。思わず一歩下がりながら、私は降参の意を込めて両手を上げた。「…私、どうやってテリーに話しかけてたのか忘れちゃったの」「……ふうん?」じろじろと、マーニャは遠慮をせずに私の顔を眺め回す。まるで目の動きや言葉のひとつひとつを、拾い逃さないと言わんばかりに。


「まあでも、早いとこ仲直りした方が良いと思うわよー」
「…どうして?」
「どうしてって、アタシ達が気を使わなきゃいけなくなるじゃない。そうしたら上手く連携が取れなくなるでしょ?自分の怪我の責任を誰かに感じるなんて嫌よ」


言葉には、不思議と説得力があった。うん、と頷いてマーニャを振り返る。「私、次にテリーと顔を合わせたら…仲直り出来るように頑張ってみる」「そーしなさい。さっさとね」ぱしり、と肩に一瞬触れたマーニャの手は優しかったから思わず笑っていた。「ちょっと何よ、ナマエったら」「ううん。…マーニャは優しいなあって思ったの」「当たり前でしょ」胸を張るマーニャの笑顔を見ていると、なんだか元気が沸いてくる気がした。


**


世界樹に着けばおのずと戦闘になる。――迷いを抱えたまま、戦うわけにはいかない。

雑念は剣に迷いを生み、迷った剣で戦う剣士は何よりも弱いことを俺は知っていた。……アクトも、レックも剣に迷いがない。それは確かに普段の自分も同じなのだが、今この瞬間の自分は誰と戦っても"らしくない"剣筋で負けてしまうだろう。

世界樹に到着する前に、頭から雑念を払ってしまうことが必要だった。それは当然ナマエのことであり、そんな事で悩んでいる自分を他の誰にも(ナマエ本人には特に)見せるつもりはない。デッキに続く階段を下りてくるマーニャの姿を見届けてから階段に足を掛けた。風に当たれば、少しは気が紛れそうな気がしたのだ。


――再び旅に出たのは、"あいつ"を追いかけるためだけじゃない。


レックの名前を嬉しそうに呼ぶナマエを見たくなかった、というのが本音になるのだろう。レックは俺よりも多くナマエの表情を知っていて、ナマエはそんなレックを仲間の中で一番信頼していた。ナマエがレックを特別な目で見ていることはすぐに分かったし、だからこそナマエを忘れてしまいたかった。幸い、共有した時間は少ない。その存在ごと頭の中から消してしまえば、…きっと楽になれたのだろう。結局時間が過ぎただけで、今頃あいつはどうしているんだろうとか、考える頻度は減らなかった。そろそろ会っても平静でいられるのかもしれない、なんて思っていた。ケジメを付けたら顔を見に行くのも悪くない、と考えることもあったぐらいだ。レックとナマエが幸せなら、それを現実として受け入れて、きっぱりと諦める理由が欲しかった。――その矢先に、これだ。

予期せぬ再会は心に波紋を広げた。本能は、自分にないものを持っている彼女を求めていた。髪を伸ばして、記憶の中の姿より少し成長しているのに変わらないナマエに、不安でたまらないといった表情で見上げられたあの瞬間は抑えていた何かが爆ぜた瞬間でもあった。目を合わせた瞬間、親を見つけた雛鳥のように表情を変えたナマエの表情が頭から離れてくれることはない。…全部、ナマエが悪いのだ。

デッキに続く扉を開くと、風が髪を強く揺らした。目を合わせて、喜んで、笑顔を向けて、たまには帰って来いと――此方の事情を知りもせず、よくもまあ好き勝手言えるもんだと思う。ナマエはそういうやつだと知っていたけど、それが時に人を傷つけることをあいつは知らない。……おかげでずっと、冷静でいられたはずの頭の中はぐちゃぐちゃだ。


―――好きだと認めて、……そうしたら、どうなる?


「っ、あ」
「………ナマエ」


久しぶりに、その名前を声に出して呼んだ気がした。マーニャだけでなくナマエもデッキに出ていたのだと、理解したのはしばらく経ってからだった。…そう言えば、俺はナマエに八つ当たりをしたんだったか。大事な仲間、という言葉は確かに嬉しいと思った。けれど同時にそれを聞いた瞬間、酷く醜いものが心臓を一瞬で染め上げたのだ。……理性がふざけるなよ、と言おうとしたのは飲み込ませたけれど。

でも俺はナマエに大事な仲間、なんてくくりでレックと同列に扱われるぐらいなら他人の方がマシだと思う。レックと俺が並んだら、ナマエはレックの方に行くんだろ。……レックがいなくても、お前はレックに通じるものがある人間に惹かれて、俺の方を振り向くことはない。そんなことはとっくの昔に理解しているのだ。

――…それでも本能は、ナマエが欲しいと叫んでいる。


「……テリーも、世界樹を見に来たの?」
「そんなところだ」


恐る恐る、と言わんばかりの様子で声を掛けてきたナマエに返事をしてやると、ナマエが安心したように口元を緩めたのが見えた。なるべく不信感のない動きで、一定の距離を開けたまま立ち止まる。「…悪かったな」謝罪は、案外簡単に出来てしまった。ぱちぱちと目を瞬かせるナマエを見据えて、少し恥ずかしいと思いながらもう一度口を開く。


「…お前のことを、大事な仲間だと思ってないわけじゃない」
「テリー!それ本当!?嘘、とかじゃなくて!」
「……ここで嘘なんか吐いてどうするんだよ」
「そ、っか。そっか…!良かった!私、すごく嬉しい」


口元を嬉しそうに緩めて、どこを見ればいいのか分からないと言いたげに視線を彷徨わせるナマエと一歩、距離を詰める。続いて一歩、もう一歩。「…テリー?」笑顔のまま、不思議そうに固まるナマエに近寄ったそのまま腕を伸ばして細い手首を掴んだ。自分の方に引き寄せると、微かに漏れる困惑の息。

そのまま閉じ込めてやると、声になっていない声が俺の名前を呼んだ。……抵抗はない。何だ、と頭の中で誰かの声が響いた。混乱しているにしても、この行動の意味ぐらい分かりそうなものだ。…生半可に期待させるなよ。レックのことが好きなら抵抗すればいいだろう。そう思って腕に込めた力を強めるのに、ナマエはぴくりとも動かない。

大事な仲間だと思っていないわけじゃない。ただ、それでひとくくりにするのも、されるのも嫌だと思うだけだった。「つまり、そういうことだ」半分、独り言のつもりで吐き出したそれは確実にナマエの耳に入っていた。腕の力を緩めると、膝から崩れ落ちるようにして落ちていったナマエはそのままその場にぺたりと座り込んだ。その顔は真っ赤で、呆然としていて、見たことのない目の色をしていた。――は、と息を吐き出したのは自分か。いや、待てよ。…反則だろ、これは。ナマエはレックと仲良くやってた、そうだろ。


「……テリー…っ」
「じゃあな」


ナマエの方を見ていられなくて直ぐに背中を向けた。自分の顔も相当な熱を孕んでいるのを自覚したら、それを見られるわけにはいかなかった。…これ以上ナマエを見るのもどこか、ストッパーが飛んでいきそうになるせいで出来なくなっている。足はもう躊躇わず、デッキの入口を目指して動いた。ナマエが動く気配はない。

一歩、もう一歩と歩を進めるたびに頭の中がクリアになっていく。触れた体は柔らかく、熱を孕んでいたのを思い出してもどこか、すっきりとした気分だった。触れてみたいと、ずっと思っていたのだ。触れてもナマエは消えなかった。あの笑顔の持ち主は、幻想なんかじゃなく実際に存在していた。欲求は更に強まったけれど、我慢をしていた時より随分(…姉さん流に言えば)素直になったってことだろう。やりたい事はやった。嫌われようが恐れられようが、もうどうなってもいい気がする。ナマエを抱きしめた、その事実はもう取り消せない。





(2015/03/07)