「別に好きってわけじゃないんだよ」



南沢さんは、私の先輩だ。

整った顔と、気だるげな雰囲気と、それから色気。不特定多数の異性に優しくするタイプで更には女の子の扱いも上手い。社内の女の子達に圧倒的な人気を誇っている彼は、恐らく気まぐれであの日も私に声を掛けたのだろう。

南沢さんと私は部署が違う。が、そこまで大人数ではないうえによくお互いの部署に出入りしていれば、噂の絶えない有名な南沢さんの顔は自然と目に入ってくるから覚えてしまうのだ。そして、生憎なことに私も"彼"が整った顔をしていたせいで分不相応、と嫌な具合に噂になっていた身だった。知り合うきっかけはなんだったっけ?確か…苦労してそうだな、ってすれ違い様に囁かれたのが一番最初な気がする。その時私は酷く驚いたんだっけ。


「……苦労、ね」


なんのことですか、なんて随分と可愛らしくない返事をしたのを思い出した。くだらない、と薄く笑った南沢さんの顔は脳裏に焼きついている。きっとその時点で既に、南沢さんは私の知らないことを知っていたんだろう。幸せに浸っていた時期とはいえ、もう少しその言葉を吟味していれば、ここまで傷つくことはなかったのかもしれない。

ああ、私がもっと可愛くて。もっと気が利いて。もっと従順でもっと胸が大きくて、魅力的な脚を持っていれば。彼の理想を叶えることができるものを、あの人よりもたくさん持っていれば良かったのに。未練がましいのは分かっているけど、望まずにはいられない。あの優しい目が二度と自分に向けられないことを、実感として捉え始めたのはやっとだった。


**


「南沢、いいか」
「なんだよ」
「苗字のことだ」
「ああ、それか。別れてたぜ」
「別れてた?誰とだ?俺は苗字が随分と元気が無さそうだからと思い、」
「……そうだな、お前はそういうやつだ」


溜息を吐くと兵頭は不思議そうな顔をした。「違ったのか?」「いや、違わない」即座にそう答えてやると、腕を組んで仁王立ちする兵頭の首が少し傾く。心底から俺の言葉を不思議に思っているんだろう。大の男が首をかしげていてもかわいくはないが、兵頭なら…まあ、いいんじゃないかと思う。純粋で汚れていないし良いやつだし、丁度苗字ぐらいにはぴったりだ。何の非もないのに捨てられた、苗字の心を兵頭なら癒せるんじゃないかと俺は勝手に考えている。

とりあえずはと兵頭に苗字についての噂と、それから苗字から聞いたことををかいつまんで話すことにした。兵頭が苗字のことを好きだと知ってから、これはもう恒例行事のようなものになりつつある。付き合っている男がいる上、同性にあまり好かれない苗字を兵頭が好きだと知ったときは多少どうなのかと思ったが、苗字は別段至って普通のやつだったから多分、苗字と付き合っている相手を好きな連中が騒ぎ立てているのだろうと結論が出た。まあ、結論が出たからといって俺は何もしないのだけど。


「……随分、酷い話だな」
「だろ?それでまあ、苗字は今隙だらけだって話だよ」
「いや……いきなり行っても嫌われよう。もう少し様子見だ」
「それ何回目だよ。様子見してばっかりじゃあ逃げられるぞー」


途端に言葉を詰まらせて、顔を少し赤くする兵頭に思わず笑っていた。「み、南沢!そもそも苗字が、俺に…」「いけるいける、なんなら今すぐでもいいぜ兵頭」「無理だ!」ぶんぶんと両手を振る兵藤は、いつになったら苗字に思いを打ち明けるのだろう。

さっさと兵頭とくっついて、新しい幸せに浸ればいいと思う。そうすれば俺はもう無遠慮に苗字を眺めたりしなくて良くなる。「……くだらない、ね」確かに心底くだらないと思った。聞いているだけで欠伸が出そうな内容の話を、長々と聞かされた。苗字が吐き出したかったのは分かるが、俺にとっては十分な苦痛だった。


「そもそも、俺になんとか出来るんならとっくにしてる」
「やはり花は準備すべきなのか…南沢、どう思う?」
「好きにしろよ、なんでもいいだろ」


「別に好きってわけじゃないんだよ」



(2014/08/17)

冷めてる彼のセリフ2:確かに恋だった