65
「あの、その……何というか、折り入って相談があると言うか」
「名前」
「…へ?」
「アンタの名前。先に名乗るのが礼儀ってもんだろ」
「あ、ごめんなさい。私はナマエ。君は?」
「シルバー。用件は?」
「えっとですね、うちのピカチュウがそちらのマニューラに一目惚れをしてしまったみたいで」
受け答えの最中ずっと険しい表情を変えなかった金銀ライバルことシルバーの表情が、みるみる年相応の驚きを顕にした顔になって思わず笑ってしまいそうになった。「……は?」つい数秒前まで明らかに面倒臭そうだと言わんばかりだった、その声でさえ少し上ずった疑問符だった。そして主人とまったく同じようにぽかんと口を開けたマニューラとアリゲイツの目の前で、ピカチュウはもじもじと頬に手をあて恥じらっているのだった。
**
除き見をしていたことはすぐにバレてしまって、何か用でもあるのかと目に見えて威嚇されてしまった後の会話が冒頭である。現在、テーブルに招待された私の隣にはピカチュウが。目の前にはシルバー君で、その隣にはマニューラがいる。私とシルバー君が、ピカチュウとマニューラが向かい合っているというお見合いのようなシチュエーション。
一番混乱しているのは恐らくマニューラで、ピカチュウとシルバーのあいだで視線を彷徨わせていた。(時々私にも視線が飛んでくる)ピカチュウはといえばもじもじとリボンをいじったり指で遊んでいたり、マニューラの方を見たかと思えばすぐにほっぺを赤くして俯いたり。イーブイはアリゲイツに預けてきた。アリゲイツは兄貴肌なのか容易く引き受けてくれたし、イーブイもすぐにアリゲイツに懐いた。さて、話はこれからだ。
「で、アンタは俺にどうしろって言うんだ」
「どうしろって?」
「……だから、」
苦い顔をしたシルバー君が、ちらりとマニューラを振り仰いだ。「俺はマニューラを強要したりしないし、アンタにもそんなことはさせない」少し睨むようにして威嚇された。私はというとそんなことは考えてもいなかったから、そういえばどうしてこんな席を設けさせてしまったんだろうかと頭の中をぐるぐると回転させた。ええと……ピカチュウはマニューラに認識された。最初の目標はひとまず達成。じゃあ次は?
「ピカチュウ、」
リボンをいじる手が止まった。なあに、と言わんばかりの表情で恋する乙女は顔を上げる。「ほら、マニューラがせっかく目の前にいるんだから。何か言わないの?」小声で囁いてやると、みるみる真っ赤になっていくこの子はどうやら酷く照れ屋なようだった。ううん、どうしたものだろう。ピカチュウが押さなきゃマニューラはきっと戸惑うばかりなのに。ほら早く、と急かしてみてもピカチュウは首を振っててこでも動かないと言いたげだ。私は友達からのスタートでいいと思……あ、そうだ!
「シルバー君!」
「……いきなり大きい声を出すなよ、何?」
「私と友達になろう!」
「は?」
何言ってんの、と間の抜けた顔で動きを止めた彼に椅子を立って歩み寄った。「な、なんだよ…?」明らかに動揺の見える、シルバー君の手を取って握る。私がシルバー君と友達になれば、自然とその手持ちのポケモン同士にだって友情が芽生えて恋心が芽生えちゃったりする可能性だってあるはずだ!「ほら、友達!どう?どうシルバー君!」「っ、近…!おいアンタ、」「アンタじゃなくて、もう友達なんだから名前で呼んでよ」「覚えてねえ!」「あ、覚える気無かったやつだ。私はナマエ、以後お見知りおきを!」
きみのためなら
マニューラは狼狽える俺の後ろで、あいつ…ナマエのピカチュウと友達になったようだった。押され気味だったのか、何を言われたのかまでは分からないがほんの少し頬を赤らめていたから、多分そこまで嫌ではなかったんだろう。好意を寄せられることは悪いことじゃない。
そう、悪いことではない。友達になろうという言葉は好意に溢れている。例え自らのピカチュウのためだとしても、それ以外に目的は無さそうだった。最初に合わせた目は戸惑いの色を帯びていたのに、さっきのきらきらした目は楽しい遊びを思いついた子供のようだった。多分、何の変哲もない女の人だ。もっと綺麗な人を何度も見たことがあるし、綺麗だと言うなら俺の姉さんの方が綺麗じゃないかと身内の贔屓目で思ったりする。
でも詰め寄られて手を取られて、顔を近づけられた瞬間に心臓が飛び跳ねたのは確かだった。子供のように純粋無垢なきらきらした目は、俺の持っていないものだ。それはバトルに勝利した喜びを、ポケモンと分かち合うヒビキの目によく似ていた。よく似ていたが、少し違った。覗き込んだ瞬間に、不安に駆られる目をしていた。くらくらと脳が揺れる感覚。
ナマエ、と小さく呟いた自分の声が少しだけ熱を帯びている気がする。不思議そうに俺を見下ろす、アリゲイツに頭から水をかけて貰えば少しは気分が晴れるだろうか。ナマエは明らかに旅慣れをしていなくて、ポケモンも見た限りではまったく育っていなかった。船を降りたあと、ナマエはどこへ向かうつもりなのだろうか。そもそも、どうして自分はこんなことを気にし始めているのだろう。
「っ、くそ」
頭を振ると、熱が分散されてどこかへ行ってしまう感覚があった。気にしない、気にするほどのことでもない。ちょっと友達になっただけだ。認めたくないが、俺は多分浮かれているんだろう。そう、きっとそれだけだ。
(2014/07/24)