どろどろに溶ける
(※偽物臭が凄い上に内容が酷いです。ご注意)


"それ"がまことしやかに囁かれ始めていたのは知っていた。別に、いつものことだと軽く見ていたのが私の過失だったんだろうと今になって思う。焦り始めた時にはもう手遅れで、あることないこと入り交じった悪意の塊が鋭利な刃物に形を変えて、私を常に狙っていた。頼れるものはひとつもなし。

机の上に油性ペンで勢いのまま書かれた文字を見つめる。死ねだの分不相応だの、殺すだの害虫だのといった文字が私の机で踊っていて吐きそうだ。ああ、気分が悪い!ロッカーの中に置いておいた教科書はジュースに浸されて机の中に突っ込まれていた。…本当、私がどうしてこんな扱いを受けねばならないのか。荒北と仲が良いのが気に食わない?福ちゃんと一緒に帰ったのが気に食わない?それとも新開にお菓子を貰っているのを羨まれているんだろうか。ああ、それとも東堂と小学校から馴染みがあって、仲が良いのに妬かれているのかな。私が呼び捨てにされているのは東堂のファンには疎ましいのかしら。

心当たりがありすぎるせいで、どう対処すればいいのか分からないまま黙ってそれを片付ける。びちゃびちゃになった教科書は使うことが出来ないから、ゴミ箱。今度から置き勉出来ないなあ、なんて考えながら持参した某よく落ちるスポンジで机の汚れを落としていく。いつか、飽きてくれれば終わるだろうと思いながら腕だけを動かす。


**


流石に予想外だったのは、私がお手洗いの個室から出た瞬間に顔も知らない女の子達に取り囲まれたことだった。真冬の日に浴びせられたバケツの水は全身を冷やしたし、手入れを欠かさない髪をべたべたに濡らした。驚いている間に取り出された鋏には流石に、呆然とするしかなかったせいで、我に返った時には手遅れだった。足元にはざくざくと、衝動のままに切り刻まれた体の一部だったもの。鏡に映るのは不規則な髪。

暴力よりも余程精神的にダメージの大きいそれは、流石に自力で出来る限り誤魔化しは出来るけれど、隠し通せるものではなかった。東堂はイメチェンか?なんて私をからかってきたけれど目は笑っていなかったし、荒北なんかは眉根を潜めて私を睨んだし、なんとなく常況は把握されているんじゃないかと思う。新開も何も言わなかった。黙って、私の頭を撫でた。福ちゃんには会っていない。あの人には一番知られたくない。

穏やかにこの常況を解決する方法のひとつとして、部活のマネージャーをやめる、という選択肢は確かに存在したんだろう。けれど今更、ここまでされたらもう何をしても手遅れな感じはする。机の落書きは昨日は死ねで埋め尽くされていて、これもまた大分精神にキた。直接的な暴力は、今のところ一切無し。けれど心臓は相当堪えている。


**


家のポストに髪の毛(この間切り刻まれた、私のものによく似ている色のもの)を詰め込まれていた日は流石に学校を休んだ。口元を押さえながら掃除したポストには、微かに異臭が残っていた。都合よく母親も父親も夜勤で、一人娘の私が学業を疎かにすることを咎める人間は誰もいない。

ベッドで横になっているあいだ、気持ち悪さと得体の知れない不快感で何度かトイレに駆け込んだ。ピロリロ、とメールの着信を鳴らせる携帯電話を取ることさえ億劫で、ひたすら布団にくるまって目を閉るだけで一日を過ごした。夜、開いたメールのいくつかはやはり新開や東堂の大丈夫か、という確認で、珍しいことに荒北からはいい加減にするように言ってやろうか、なんて来ていたから驚いた。それからこんな時に不謹慎なのかもしれないけれど、福ちゃんから二通もメールを貰ってしまったことに心が躍った。体調が悪いのか、最近元気が無さそうだったが、明日は部活があるぞ――他愛のない言葉は他の誰よりも嬉しい。けれど無理矢理福ちゃんの前で笑顔を作るのにも疲れてしまったなあ、なんて。


**


メールで荒北に余計なことはしなくていい、と言ったはずなのだが、荒北はどうやら迂闊に巣をつついてしまったみたいだった。よりにもよって荒北君に、と責め立てる声はトイレの個室に響き渡り、じわじわと力の込められる指先から首に圧迫感が伝わってくる。

一瞬ぐらりと意識が傾いた瞬間に聞こえたのは、何をしている!と珍しく声を荒らげた東堂のものだった。なによ東堂のくせに。余裕無さそうな顔で、どうしてここまで来たの、と問うた気がする。私を探していたと言った東堂はそのまま私を抱きかかえて、保健室まで連れて行ったあと私を家に送り届けた。仲間なんだ、頼ればいいだろうと諭すように告げられたそれに、素直に頷くことはできない。

予想通り、東堂が私を助けたことは一瞬で広まって火に油を注いだ。次の日の朝、覗いた郵便受けには味を占めたのか再び髪の毛と、それから虫の死骸。極めつけは生ゴミで、父親の楽しみである新聞がめちゃくちゃになっていた。何でもない顔で同じ新聞をコンビニで購入しに向かうと、新開と鉢合わせて大丈夫か、とまた問われれた。休むとだけ告げると眉根を潜めて、それでも新開は無理をするなと私の頭を撫でた。どこかほっとする暖かい手。


**


夜、荒北からメールの返信が来ていた。お前が何もすんなって言ったから、俺は何もしてねえよ。シンプルな文字が並ぶ画面からは、荒北の困惑が伝わってくるみたいだった。荒北は迂闊に巣をつついたりしていない。ごめん、勘違いだったみたい、とだけ返してメールを終わらせることにする。

東堂からもメールが来ていた。お前の大好きなフクが心配しているぞ、と言われて少しだけぎくりとする。福ちゃんには、私がこんな扱いを受けていることを知らないでいて欲しい気持ちがある。…クラスは別だし、福ちゃんはこういったことに疎いし、良い意味で自転車馬鹿だから、きっと大丈夫だろうと信じたい。

郵便受けにさまざまな悪意が詰め込まれるようになった。バリエーションが広がっていくのに笑ってしまう私は相当疲れている。心が折れそうになったのは、明らかにこれで首を吊れと言わんばかりのご丁寧に結ばれたロープ。学校を休んだ日、ガラスを破って手のひらサイズの石が飛び込んできたのも記憶に新しい。血糊に浸されたナイフなんて、悪意を隠そうともしていない。ああ、もう…本当にダメになりそうだ。


**


そろそろ限界がきていた。誰かに縋りたくてたまらない。

私は基本的に、誰かを頼るような人間じゃない。それを私の周囲にいる人はよく知っている。だからきっと、頼れば力になってくれそうだと…そんなことを夜な夜な考えて、毎朝郵便受けに仕掛けられている悪意の塊にも怯え始めた私は、相当やばい風に見えたんだろう。わざわざ家までやってきた東堂は開口一番、まだ頼らないのか、と呻いて私を抱きしめた。呆気に取られている私の頬を撫でて、痩せたなと静かに呟く東堂がまるで、私を救いに来てくれた神様みたいに思えたのだ。

怖かっただとか、不安だっただとか、助けて欲しいだとか、口に出せば出すほど恐ろしさは募るし胸は痛む。けれど東堂が黙って抱きしめてくれたまま、よく頑張ったな、って褒めてくれたから私は東堂に全部を任せることにした。もう、一人だと限界だった。

東堂は環境を変えようと言った。私の両親にどう話したのかは知らないが、私は東堂の実家の旅館の、部屋をひとつ一時的に借りることになった。割り当てられたその部屋は、普段あまり使うことがないから好きにしていいのだと東堂の両親は優しく笑う。


**


東堂は、時折恐ろしくなるほどに優しく私を包み込んだ。毎日私のところに顔を覗かせて、あるはずもないのに大丈夫だったか、と厳しい顔で私に問う。その度に嫌なことを思い出して、詰め込むように食べたものを戻しそうになる私の背中を優しく撫でる東堂の、手の温度は暖かすぎるぐらいだ。

私がここにいることは、他の誰にも伝えていないらしい。どこから情報が漏れるか分からない、と東堂は言う。携帯電話は両親以外、東堂の連絡先しか登録されていないものに変わった。何かあったらいつでも呼べばいいと優しく囁く東堂に、うん、と頷いたあたりから私の記憶はずっと朧げだ。

朝ごはんは二人で一緒に食べる。東堂と一緒なら、ごはんが喉を通る。東堂が…へ出かけてしまうと、途端に不安になって誰かの影にずっと怯えて震えることしか出来ない。東堂が戻ってくると、東堂の迷惑になると分かっていても傍を離れられなくなる。随分と甘えるようになったなあ名前は、とからかい半分の言葉すら私の思考を麻痺させる。



「……名前」


広げられた腕の中に飛び込む。躊躇いはひとつもなくなった。守ってくれるのは東堂だけ。信じられるのは東堂だけ。優しく笑って、随分伸びたな、って髪を撫でてくれる東堂だけ、私は信じることにしたのだ。東堂、東堂。お願いだからもっと、もっときつく抱きしめて。そうして怖いことなんてないって、優しく優しく囁いて。そうすれば、私は、


どろどろに溶ける



(2014/11/02)

本当は箱学三年生全員分分岐あったとか言えない
一番酷い東堂さん持ってきたとか ハッピーエンド福チャンがいたとか言えない
一ヶ月ぐらい前に出しそびれてたので他の分岐が無かったかのように出しました。



東堂、東堂、と泣きそうな顔で縋ってくる名前が可愛らしくてしょうがない。

本当に、全てが思い通りに行った。喜びで常に顔が緩むくらいに、それは簡単だった。ああ、たまらない。なんでもするから、なんでもするから怖くないって言ってよ、か!気丈で常に自分を保っていた、名前は崩れ去るとこうなるのかと見るたび見るたびに嬉しくて嬉しくてしょうがないから、やはり、やって良かったと思うのだ。

腕の中で震える名前に大丈夫だ、と何度囁いてやったことだろう。うん、うん、と頷いて、それでも震える名前はもう、他の誰の目にも触れることはないだろう。俺以外の人間を思い出すこともないかもしれない。それを望んでいたのだから、不都合もなにもないのだが。……ん?ちょっと考え事を、な。ほら、キスをしてやるから来るがいいよ。