9月28日
※命日の話

あの人がこの家からいなくなって、どれぐらいが過ぎたのか。

カレンダーを捲る、その行動の意味を忘れてしまった。だから私の時間は今も、9月28日で止まっている。どうしたって忘れられないのは、最後に優しく微笑んだ五郎さんの衰弱しきったあの顔だ。掠れた声で愛している、と囁いた後に五郎さんは目を閉じて、そのまま二度と起き上がらなかった。涙は、枯れ果ててしまって流れもしなかった。

五郎さんはやはり恨まれてもいたけれど、慕われてもいた。何人もの人が五郎さんがいなくなってしまったことを惜しんだ。そして、惜しんだ後に私から五郎さんを取り上げて狭い箱の中に入れてしまった。それは当たり前のことで、五郎さんだけではなく私も最後にはそこに入らなければいけないのだけど……胸は潰れてしまいそうなぐらいに痛みを訴えるのに涙が出ない。今すぐにでも死んでしまいそうなぐらいに痛みが体中を走るのに、たった一粒さえ涙が出ない。

溢れんばかりの生花と炎に包まれた五郎さんの姿は、見たくもなかったのに目に焼き付いている。五郎さんは熱いとも苦しいとも言わなかった。感じ取ることが出来なくなってしまっていることを、私は知っていた。五郎さんは一度も目覚めないまま、裏山の目印の下と私の目の前の仏壇に分けられて今もまだ、ずっと眠っている。

年の差はあった。生きていた時代も違った。随分朧げになっているけれど、私の家族はこの時代にいないこと。それは今でもきちんと覚えている。帰るチャンスは確かにあった。でも大事なものを全て投げ打って、それでも私は五郎さんと一緒にいたいと望んだのだ。五郎さんは、かけがえのない人だった。私の、何よりも大切な人。何物にも変えられない、私の全てを受け止めて優しく微笑んでくれる人。厳しくて、強くて、約束をくれた。


「約束、破るなんて酷いですよ」


どうしたって、もう枯れ果ててしまった涙は出ることがない。永遠を約束したくせに、五郎さんは私を残してどこかに消えてしまったのだ。もう二度と会うことが出来なくなる場所へ消えてしまった。当たり前のこと。しょうがないこと。分かっていても彼の言葉に夢を持ったし希望を抱いた。守ってくれる、なんて言ったくせに。


「五郎さん、私が一人じゃ何も出来ないの、知ってるくせに」


乾いた笑いといつもの嘘。生きていこうと思いさえすれば、私は一人で生きていける。事実どうしたってお腹は減るし、体重は減ったけれど水は飲んでいる。二人で消費していた食料は、一人じゃどうしても使い切れない。五郎さんが好んでいた日本酒も、お猪口も、縁側にいつだって用意しているのに。あの猫と一緒に、いつだって五郎さんが帰ってきていいように私はずっと待っているのに。

さあ、と風が縁側から吹き抜けた。どこかの家の秋桜の、優しい香りが漂ってくる。もう何度も風に揺られて脆くなっていた日めくりカレンダーが28日を攫っていった。畳の上にぱさり、と優しく音を立てて数字が落ちる。

それを視界に入れた瞬間、五郎さんの長い髪が風に揺られた幻影が見えた。五郎さんは庭に立っていて、出会った時の姿だった。私はまだ幼くて、あの短いスカートを履いて険しい顔をする五郎さんを見上げている。鹿鳴館の夜会の最中、五郎さんに初めて出会ったあの場所。サーベルを腰に携えて、怖い顔をしていた五郎さんの表情は数秒ほどしてふっと緩んだ。驚く私を、楽しそうに見つめる五郎さんがそこにいる。

優しい微笑みで、あの深緑の目で私は確かに見つめられていた。差し出された手を取ることに、迷いは必要のないものだ。それは無かったはずの光景で、あったかもしれない憧憬だった。ああ、幸せな夢はきっとここで終わりなんですね、五郎さん。枯れたと思っていたそれが頬を伝うのを理解するのに少しだけ時間が必要みたいですけれど、私の止まっていた時間が緩やかに動き出すみたいです。どうか、少しの間だけあなたを置いていく私を許してくださいな。

繋いでいた手をそっと離すと、寂しそうな目で口元だけ緩めた五郎さんがゆっくりと遠ざかっていく。……ううん、違う。私が、五郎さんから離れている。離れるために歩いて、一歩一歩踏み出して、辿り着いたのはやっぱり五郎さんの眠っているお墓の前だった。ここに五郎さんがいるわけじゃないのにね。ねえ五郎さん、私は一人でも頑張っていけるところを見せますから。だから、今だけはここに居させてください。情けない娘だと笑って、あなたは頭を撫でてくれるでしょう。今はそれを感じられないけれど、私が五郎さんのところに帰った時、きちんと頑張った私を褒めてくださいね。



9月28日



(2014/09/28)


勢いだけで書いてTwitterに放り投げた藤田さん命日です。本当に勢いだけで書いたんですけど、藤田五郎(斎藤一)で私が一番親しみやすい(?)と言えば牙突の方の斎藤なので彼が死ぬところは想像出来ないのでした。斎藤一には家内が居たと聞きます。牙突の方は想像出来ないのですが、めいこいの場合は…芽衣ちゃんいない場合、藤田さんはどんな人と結婚するんだろうって思いますね。世話焼きだし家事万能だしオカンですし猫が好きなお嫁さんもらってるといいなあ…一番は芽衣ちゃんと幸せになって欲しいですけどね;;トワヰライト楽しみです