好男子の憂鬱


どう考えたって、彼女は無防備過ぎるのだ。


例えば一週間前。一緒に神楽坂に出かけた時、俺がちょっと目を離しただけで泉に捕まって兎の小物を餌に泉の部屋に連れて行かれそうになっていた。アンタに似合いそうな小物があったんだ、折角だから買ってやらんこともないと思って、と普段よりも随分素直に(同時にとても嬉しそうに)泉が笑顔で彼女の手を引くから恐ろしくなって反対側からあの子の腕を掴んで引き寄せた。俺と一緒に買い物に来ているのに、泉のところに行くなんて随分と調子がいいと思う。しかもそういったところを考えていなくて、素でやってしまうのが彼女の恐ろしいところだ。純粋とも言うのだろうけど。

不機嫌そうな泉から彼女を引き離すのは容易かったけれど、少し残念そうに泉を振り返ったあの子の表情は気に食わなかった。俺より泉が良かった、と聞いてしまいそうになるのを咄嗟に堪えたのは賢い選択だったと思う。物で釣るのは卑怯だ。……釣られる側も釣られる側だけど、卑怯だ。


少し前にも似たようなことがあった。最初は随分と苦手にしていたようだったのに、いつの間に打ち解けてしまったのか。怖いと言って恐れていた警察官とすっかり仲良くなってしまって、猫と牛肉に釣られて家に連れ込まれそうになっていた。しかも道端でそんな会話をしていたものだから、偶然そこを通りかかって肝を冷やした俺の気持ちは想像に容易いものだと思う。

当然、割って入って彼女を無理やりその場から連れ出したけれど彼女はやはり少しだけ残念そうだった。…いや、少しではなくてそこそこに残念そうだった。一瞬猫かと思ったけれど、(彼女は猫派だと、俺は認識している)絶対にあれは牛肉を惜しむ顔だった。牛肉で釣るのもかなり卑怯だ。肉にホイホイと釣られる彼女も彼女だけれど!彼女の大好物を知って、それで気を引こうなんて。


牛肉と言えば、鴎外さんもだ。つい昨日だって彼女を牛鍋屋に誘っていたようだし、一昨日も、その前も彼女の好きなおかずを夕餉や昼餉に準備させている。フミさんは笑っているけれど、彼女の好意はやはり…頼りにされているという意味もあると思うし、恩人という意味も含まれるだろうけれど。でもやはり、鴎外さんに一番に向けられていると思う。

…鴎外さんだって十分、彼女の好みを把握してそれで彼女の気を引いている。でも鴎外さんには卑怯だなんて言えない。俺よりも彼女に信頼されている気がするから、鴎外さんは…それをするに値する、と認めてしまっているのかもしれない。


なのにどうして鴎外さんに不満を覚えてしまうのかと言えば、彼女が俺の隣に来て嬉しそうに話をするからだ。俺の隣で楽しそうに、今日何があっただとか、フミさんがこんなことを言っただとか、鴎外さんに饅頭茶漬けを食べさせられそうになって逃げただとか、公園で可愛らしい猫を見かけただとか…他愛もない話を嬉しそうに、笑顔で話しては笑うからだ。春草さん、と柔らかな声で囁くあの声を耳に入れる度に言いようのない苦しさが胸を締め付ける。

彼女に惹きつけられている人間の一人ではある。でも俺はどうしたって、彼女を独占したくてたまらない気持ちになるのだ。俺以外にも、彼女に深く関われば、皆そう思うようになるのだろう。今だって例外にはならない。目の前のソファーですうすうと間抜けな可愛らしい寝顔を晒して、名前は誰かを待っている。その誰かは鴎外さんでないことを、俺はよく知っている。手を伸ばして肩に触れて、ゆっくりと揺らして声を掛けるだけではっとしたように名前は飛び起きて、目元を擦ったら俺の名前を呼ぶんだろう。

春草さん、と寝起きの舌っ足らずな声で呼ばれるのは嫌いじゃない。どうして俺を待っていたんだ、なんてもう聞く必要もないぐらいには親しくなった。今日はどんな話を聞かせてくれるんだろうね、君は。結構こっちだって考えるんだからさ、他の男の話は無しにしてよね。

好男子の憂鬱



(2014/09/27)

:めいこい版深夜の文字書き一本勝負様に提出しました
芽衣→名前変換有りにしたものです。
初めて書いた春草さん偽物感ありまくりやで…