花咲く空に
※明治残留END後



「…名前、そんな庭の隅で何をしている」


声を掛けるとびくっと肩を跳ねさせた名前が、ゆっくりと此方を振り返った。隣に猫を携えて、泥の付いた手を体の横で払っていた。隠しているつもりなのかもしれないが、生憎縁側からだとその行動は全て筒抜けだ。

おはようございます、と向けられた笑顔はどこかぎこちないものに見えた。…寝起きのせいで視界が霞んでいるわけでもない。要するに、見間違いではない。些細なことでもころころと表情を変える名前に慣れてしまった今、こんなに大きな表情の変化を読み取れないなんてことは有り得ない。


「朝ごはん、今準備しますね」
「……きちんと手は洗っておけ。袴の裾の泥もな」
「う、」
「良く分からんが、俺に見られては都合の悪いものなんだろう」


顔を背ける前、少しだけ顔を歪めた名前の表情に心が軋む音がした。突き放した言い方になってしまった自覚がじわじわと湧いてくる。「そういうわけじゃないんですけど…」「なら、隠す必要が無いだろう」ぱたぱたと縁側から駆け上がってくる音。言葉を紡ぎながら振り返ると、眉間に皺を寄せて心底困ったと言わんばかりの表情の名前がそこに立っていた。裾の土はしっかりと払ったようだ。


「五郎さん、もしかして疲れてますか?」
「そういうわけではない」
「でも随分不機嫌に見えますけど」
「……そう見えるか」
「私、何かしました?あ、もしかして昨日ご飯炊くの少し失敗したの、まだ怒って――」
「神楽坂だ」
「でも今朝はちゃんと成功……へっ?神楽坂?」
「……泉鏡花と、昨日は随分楽しそうだったが」


あ、と小さく呟いた名前の顔は本気で驚いているそれだった。「五郎さん、見ていたんですか?」「……目に入っただけだ。丁度神楽坂を巡回していた」気まずくなって思わず目を逸らす。要するに、年甲斐もなく嫉妬をしているだけなのだ。

前々から思っていたのは、自分と目の前の少女の年齢の差についてだった。そんなに大きく開いているわけではないけれど、やはり同い年ぐらいの泉鏡花だとか、同じ魂依の泉鏡花だとか…楽しそうにしている様子を見ると、どうしたって不安に襲われる。今度は月ではなく、誰かの元へ攫われそうな気がしてたまらない。


「いっそ、首輪でも付けておこうか」
「そんなもの無くても、私は五郎さんから離れたりしません」
「……分からんだろう。人の感情は永遠ではない」


名前は笑顔になっていた。何がおかしい、と言ってもへらへらと笑うだけだ。「でも嬉しいです、嫉妬してくれるなんて」「っおい…!そういう話ではない、だろう」幸せそうに口元を緩ませた名前はもう止められそうになかった。不安そうな声はいつの間にか弾んだ声へ。


「五郎さん、こっちに来てください」
「何故だ」
「いいですから、ほら!」


ひやりとした体温が腕に触れた。微かに土の付いたその体温に少し緊張が走ったのは何故だろう。一言注意してやろうかと思う間もなく腕を引かれて縁側を降り、草履を履かされればすぐに庭の隅だ。見てください、と名前が取り出した紙の小袋と色鮮やかな花の写真。


「シザンサス、って言うんです」
「…シザンサス?」
「外国から来た花なんです。昨日、鏡花さんから分けてもらって…綺麗で可愛い花なんですよ」
「その花がどうした」
「シザンサスの花言葉、知っていますか?」
「知るわけがなかろう」
「『いつまでも一緒に』――五郎さん、これが私の答えです」


ふにゃり、と崩れた顔は幸せだと言わんばかりに咲いた。「誰よりも五郎さんが好きだなんて、五郎さんが一番知ってるじゃないですか」……朝から恥ずかしいことを、どうしてこうも堂々と言い切れるのか。年の差はあれど、これでは俺がリードされているような気分になる。「…いつ咲くんだ」「シザンサスは秋に植えて、冬を越して春に花を咲かせるみたいですよ」楽しそうな芽衣の横顔に、まだ目も出ていない可愛らしい花の虚像が映った。花びらが風に浮き、空へ舞い上がっていく。


「…あまり不安にさせるな、名前」
「十二分に注意します」


――もう少し、もう少し。

秋が終わり、冬を越して、そうして春がやってきたら。もう少し時間を積み重ねることが出来るなら、きっと今よりも素直に気持ちを伝えられるようになるんだろう。もう少し、もう少しだけ。愛おしさが増して溢れた不安を拭えきってしまえたら、そこには純粋な愛情と、穏やかな生活が待っている。


花咲く空に



(2014/08/30)

:めいこい版深夜の文字書き一本勝負様に提出しました
芽衣→名前変換有りにしたものです。
変換抜けている箇所がありましたらご連絡ください;;

シザンサスかわいい