例えばの話
「ダイエットの秘訣?」
思わずといった風に首をかしげて、眉を潜めた泉田を睨む。そこそこ長い付き合いのクラスメイトは、ぽかんとした顔で私を見上げた。「そう、ダイエット!」腕に力を込めてぐい、と泉田の顔に顔を近づけると、やっぱり冬の時からは考えられないぐらいに綺麗なラインになった輪郭がある。無駄な贅肉が全て筋肉へと変換され、綺麗に絞られた泉田を心底羨ましいと思っていたのだ。迫ると、泉田は戸惑ったように少し離れてくれるかい、と私の肩を優しく押した。丸みを帯びていた腕も今や、筋肉質なのが学生服の上からでも分かるぐらいに絞られている。
心底羨ましいなと前々から思ってはいたのだ。いきなり太ってしまった泉田には流石にびっくりしたけれど、それ以上に一瞬で痩せてしまったと同時に以前は無かった筋肉を泉田が手に入れていたことが。インターハイのためだと言っていたけど…要するに泉田に出来るのだから、私にもこのお腹だとか、二の腕だとかのお肉を筋肉に変換して無駄のないようにすることが出来る可能性があるわけだ。
「苗字さん、僕はダイエットじゃなくて…」
「いいから!何かコツがあるんでしょ?やっぱり運動?ジムとか?」
「ジムはジムだけど…だから少し、っ、近くないかな」
泉田が一歩下がるから、私は一歩踏み出していく。「ジムで、どんな運動してたの?」「いや、だから…」詰め寄ると困った顔でどんどん距離を開けていく泉田の、学生服の袖を掴んだ。「秘密にするようなこと?」「そういうわけじゃ、」睨むと、泉田がぴくりと釣り上げた口の端を揺らした。「とにかく、私は今すぐにでも痩せたいの」出来れば健康的に、筋肉を付けつつ、無駄な贅肉を全部落としたい。
私より背の高い泉田の顔を見上げると、は、と呆れたような息が吐き出された。「苗字さん、どうして痩せたいんだい?」問いかけてくる目はなんだか優しい気がする。…どうせ、泉田はきっと笑うでしょう。「…うるさい」無意識に唇が尖っていた。ぱっと泉田の学生服の、掴んでいた裾から手を離す。
「……東堂さんに、太ったって言われたの」
「?」
「…あ、意味分かんないって顔してるむかつく…察してよ!」
――好きな人に言われたらそんなの、痩せるしかないでしょう。
さっきよりも強く泉田を睨むと、ようやく納得したようにああ、と口元を緩めて頷いた。「苗字さんは、東堂さんが好きだったんだね」…晴れやかな笑顔で、言い切られてしまったらそうだよと頷くことしかできないじゃないか。笑顔になんだか脱力してしまって、ずるずると泉田がさっきまで据わっていた、泉田の机に腰を下ろした。
「……腰周りと二の腕がもう少し細かったら、理想的だって言うんだもの」
溜め息を吐いて腕を捲くり、泉田に二の腕をつまんで見せてやる。こてん、と首をかしげた泉田はこの肉の意味が分かっていないんだ。「とにかく、東堂さんの理想になりたくて…でも周りはダイエットなんてするなって言うし…」頼れるの、泉田ぐらいなんだって。小さくぼやいて泉田の机に突っ伏すと無遠慮な視線を目の前から感じた。泉田が、じろじろと私を見渡している。なんなの、ちょっと恥ずかしいんだけど。
泉田は私を眺めた後、再び首をかしげてそれから笑った。「僕も苗字さんの周りの意見に賛成かな」それに覚悟が違うと思うよ、と小さく告げられた言葉に思わず顔をしかめてしまう。確かに東堂さんへの憧れは、叶う可能性がほぼ無いと言っていい。対する泉田はインターハイに向けて体を作り上げたんだっけ。まあ、…言われてしまっては元も子もないけど。でも、少しでも可能性があるかもしれないじゃない。何が起こるかなんて分からない。
いいから、と泉田を急かそうとしたところで投げ出していた腕をすくわれた。思わず体を起こすと私の手首を掴んだ、泉田の口元が緩んでいるのが見えた。「東堂さんの理想はモデル体型だよ、苗字さん」「それぐらい知ってるけど…!な、んで掴むの」思いのほか、私は触れられたことに戸惑っているみたいだった。そんな私に気がついているのかいないのか、分からないけれど泉田は更に私の腕を引くのだ。思わず立ち上がって向かい合う。ごつごつした、男の子の手が手首に触れている。泉田の手は暖かい。
「ほら、比べてみなよ。僕の腕に比べれば苗字さんの腕なんて細いし脆いだろう」
「それはそうかもしれないけど、それは泉田が鍛えてるからで」
「十分じゃないのかい?少なくとも、僕よりは細いし僕よりは弱い」
「……なにそれ」
「苗字さんは東堂さんの理想の細さにならなくても、僕よりは細いだろう?」
「そんなの、当たり前じゃない。性別的な体格差もあるし……」
「人にはそれぞれ得手不得手があるんだよ、苗字さん。恐らく君は向いていない」
「む…、」
「我慢強くないだろう?」
確かにその通りだから口を噤むしかなくなってしまう。にこにこと笑顔を絶やさない、泉田の楽しそうな顔がうらめしい。「…そろそろ離してよ」腕は未だ、掴まれたままだ。意識すると心臓が飛び跳ねそうになるから、離してよ泉田ってば。逃れるように体をよじると、優しく腕が開放された。
痩せる必要はないと思うよ、と泉田は言った後に静かにひとりごちた。「僕は我慢強い方だと思うなあ」「……なに、いきなり」思わず、反射的にじろりと睨んでしまう。「いいえ、なんでも。それより東堂さんの理想になろうとするなら、それは僕以上に努力を必要とすると思うよ。その上彼の理想になったとしても、選ばれるとは限らない。博打をするより、堅実な道を選んだらどうだい?そう、例えば目の前の僕だとか」
例えばの話
(2014/06/11)
泉田君の口調に時々敬語が混ざってるうえにただの偽物過ぎてつらい