きみに恋をする権利
(※ちょっとだけ注意)
御堂筋君のことを、私はあまりよく知らない。
知っているのは自転車競技部のエースだということ。身長が高いということ。少し怖いということ。そして何故だか、目が離せないということ。気が付けば私は御堂筋君を目で追いかけてじっと見つめてしまう。
授業中は一番後ろの席だから、視界に入るのは自然なことだと言い訳してじっと見つめている。帰宅途中は通る道だからと言い訳して自転車を漕ぐ彼の姿を探している。会話を交わしたことは同じクラスにも関わらず、やはり大半と同じくほぼ無い。けれど私は御堂筋君のことをよく知らずとも、会話をせずとも、彼がそこにいてそこに存在していて、それを見つめることさえ出来ればそれで満足なのだ。
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よくよく考えたら、これは恋なのかもしれなかった。意味もなく御堂筋君の姿を目で追いかけるなんて、恋でなければ何だというのだろう。話しかける勇気なんてないから、告白する勇気なんてないから、と何度も口の中で言い訳を繰り返して御堂筋君の後ろ姿を見つめた。大きな背中が学生用の椅子の上で、窮屈そうに揺れた気がした。
御堂筋君はつるまない人だった。彼は孤独というより孤高だった。少なくとも私の目にはそう見えていた。きっと私なんて触れることはおろか、話しかけることさえも許されないんだと思う。
御堂筋君は無表情で黒板を見ている。その御堂筋君を私は見ている。なんだか吸い込まれてしまいそうだ。
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御堂筋君が他の人といるのは、自転車に関連する時が大半だと知った。女の子達は彼を怖がって、遠巻きにしてしまっている。御堂筋君は一度認知してしまったら目が離せなくなるぐらいの存在感を持っているのに、教室ではそれを椅子と机に無理矢理、自分の体と一緒に閉じ込めてしまっているみたいだった。彼の成績がいいのを知っているのに、みんなは御堂筋君を見た目だとか、普段の些細な言動(キモい、だとかウザい、だとかの)を言い訳にして色眼鏡を通して彼を見ている。要するに、浮いた噂はないし御堂筋君に恋をしている女の子も恐らく私ぐらいだろうという結論。
御堂筋君には母親がいない。小学校の頃、亡くなったようだった。詳しいことは流石に分からない。ぼんやりと今日も御堂筋君の後ろ姿を見つめながら考える。あまりの悲痛さに胸が張り裂けそうだ。御堂筋君、私があなたを支えてあげられたらいいのに。傍に寄り添ってあげることが出来たら、それは私にとっても最上級の喜びなのに。
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今日も、御堂筋君の後ろ姿を見つめている。クラスの中では席替えがあって、私は今度も一番後ろを確保することに成功した。しかし近くはなかったものの、視界に入りやすい位置に座っていた御堂筋君の席は大きく変わってしまっていた。黒板の方を向いているふりをして、御堂筋君を見ることはもう出来ない。かなり遠ざかってしまった彼と私の席の位置は、見つめていると少し首が痛くなるけれど、私にとってそれは苦痛ではない。
それに今度の位置は、横顔の見える位置だった。後ろ頭から横顔にかけての、授業中はずっと無表情なその顔も、私が独り占め出来ると思えば心がゆるゆると満たされた。シャープペンシルを動かしながら、そっと御堂筋君を見つめる。彼が見つめる先にはみんなと同じように黒板がある。ああ、御堂筋君の視界に捉えられた黒板が羨ましい。
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少しだけ変だ。御堂筋君が、時々背後を振り向いている。
授業中や部活中、最近の彼はよく背後を振り返る。私は不思議に思いながらも日常の風景に溶け込んでいく。御堂筋君は大きな存在感を持つ人だから、私みたいに存在感の薄い人間のことなんて認識すらしたことがないんだろう。少し寂しくなりがら、見られてもいないのにへらりと口元を緩ませていた。御堂筋君に認識されなくていい。私は日常風景として、彼のことをそっと見つめているだけがいい。
振り返った御堂筋君の視界の、目立つところに入らないように心がけて動けば思った通りになった。首をぐい、と傾けておかしいなあ、とひとりごちた声を何度も聞いた。聞きながら、口元を緩ませていた。御堂筋君は、私を認識できない。
御堂筋君は私の、視線には気がついている。でも私の存在には気がついていない。フェアじゃないのは明白だけれど、でもそれさえも嬉しいと思っていたりする。視界だけでいい。御堂筋君を独り占めにしている気分が心地良いのだ。御堂筋君、これからも私に気がつかないままでいてよ。私はずっと、影からあなたを見守っているから。だってあなたは他人の手なんて借りる必要がないでしょう。
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迂闊だった、と思った時にはもう遅かった。大きな手が私の腕を掴んで、ぎりぎりと骨を締め付けた。「僕のこと、嗅ぎまわっとったやろ」淡々と、歪めた口元から笑顔で放たれた言葉にぎくりと胸が嫌な跳ね方をする。「苗字さん、なんのつもりや」キモいんやけど、と言われて思わず肩が跳ねる。腕に込められた力は緩まない。
どっかのスパイでもしてるんかなあ、と冗談交じりには聞こえないトーンで問われて必死で首を振る。そうしてゆっくりと口元を緩めると、今更ながらに腕を掴まれている羞恥心が湧き上がってきた。頬がかっと熱くなって思わず御堂筋君から目線をそらした。ウザいからさっさと喋ってや、と御堂筋君がささやくように威圧してくるのさえ、気恥ずかしい。
こうなったら思いを打ち明けてしまおうか。でも、もう私は最初の頃の淡い恋心を変な色で塗りつぶしてしまったんだよなあ…なんのつもりかと言われても。だってこんなの、きっと普通じゃないんだろうってことは知っている。ある意味ストーカーに近いもの。ああでも、御堂筋君はきっと女の人を酷い扱いには出来ないだろうな。お母さんが多感な時期に亡くなっているからきっと私のことを、無下には出来ないはずだ。いいや、言っちゃえ。
「あのね、御堂筋君」
「……キモっ」
「ふふ、気持ち悪くてもいいよ。顔が赤いのぐらい分かってる」
私、御堂筋君のことが好きなの。ずーっと見てたの、気がつかなかったでしょう。私はずっと、御堂筋君が私のこと探してるのに気がついてた。すごく嬉しかったのよ、私の存在に気がついてくれたこと。予想外だったのは御堂筋君のことを調べまわっていたのに、御堂筋君が私に気が付くのがこんなに遅かったっていうことぐらい。本当は、こんな風に気がつかれるつもりなかったんだけどね。うん、私は視界で独り占めする御堂筋君が大好きなのよ。優越感があって、今この時御堂筋君を見ているのが私だけだって気分にさせてくれるの。そうしたら御堂筋君が、私のものだって気分になるの。御堂筋君はいつも一人だけど、見ている私も含めたら二人だったんだよ。御堂筋君を見ていると心が満たされるの。私は付き合ってだとか、応えてだとか言わないよ。面倒くさいのは嫌いでしょう。今でも十分面倒くさいだろうけど、干渉はしないわ。
「ねえ御堂筋君、私があなたに恋をすることを許してくれる?」
「………」
「私はね、見ているだけでいいの。許されなくても、御堂筋君が好きで見ていたい」
「……苗字さん、それ僕に許可取る意味あるん?」
「一人分の視線なんて慣れっこでしょう」
御堂筋君はキモい、ともウザい、とも言わずに珍しく眉を潜めた。でも私に向ける口元はいつも通りの笑顔だ。やがてしばらくお互いの目を見つめ合った私達だったけど、先に目を逸したのは御堂筋君だった。そのままぽつりと彼はキモ、と言い残し私に背を向けて歩き出した。ああほら、やっぱり彼は私に強く言うことができない!弱みにつけこんだ後ろめたさはあるけれど、あの様子はきっと好きにしろという意思表示に違いない。ああよかった、私はまだ彼に恋をする権利を持ち合わせているみたいだ!
きみに恋をする権利
(2014/06/10)
御堂筋君の口調というか京都弁が分からないので地味に私の地元が混ざる。アカン