生贄の行く末


生贄にされていた少女は、神に救われた。後、少女は自ら身を差し出し、その後少女と神は仲睦まじく暮らしたそうな。
とおいとおい昔の物語。それを私に語ってくれた少年は、今思えば村の人ではなかった。山で迷って帰れなくなってしまった私を導いた彼は、やけに山に詳しかったのだ。不思議に思うことはあれど、結局二度と彼とは会えなかったのだから彼は村の人ではなかった。はっきりと覚えているのは優しい目と、優しい声。安心を与えてくれる手の温もり。

そして今、私は酷くそれを欲している。こんな時にどうしてこんな事を思い出したのか分からないが、私は助けてくれる人を、神様を待っているようだった。聞かせてもらったあのおとぎ話が本当ならば、私だってきっと助けてもらえる。そうしたら幸せになれるんだ、なんて思いながら天井を仰いだ。大きな板で小さな人二人が入るのが精一杯なくらいの小さな小屋の至るところが覆われており、私を逃がす人なんていない。(そもそも、逃がそうと思う人はいない)

占いババ様が予言を成されたのだ。近いうちにこの村は津波に襲われ、全ての男と女子供は死滅してしまうだろうと。海神様はお怒りであると。なんとか海神様を沈めるためには酒と食料、そして生贄が必要だろうとババ様は言った。全ての家が生贄に差し出す女を渋る中、私の両親は進んで私を差し出した。それも当然で、私は村のやっかみ者であり彼らの本当の娘ではなかったからだ。反論はひとつも出ず、私はそれに従った。

山に一人で置いてけぼりにされた時、私の命は(あの少年がいなければ)潰えていた。既に失っている命をどう使おうと、と両親に言われてしまったらもう私に考えるものなんて無かった。村以外の世界を私は知らなかったし、山に逃げ込んでも彼に会えるとは思わなかった。けれど漠然とした恐ろしい気持ちは胸の大半を占めていた。言い伝えに描かれる海神様は、あのヤマタノオロチと似た風貌をしていた。八つの首に引き裂かれ、私は食べられてしまうのだろうか。

しょうがない、と私は思った。同時に嫌だ、と私は思った。助けてくれる人がいるのなら助けて欲しいと何度も乞うた。でもそれはただの耳鳴りとして村人には捉えられたらしい。じんわりと諦めが全身を支配した時、私はこの小屋に入ることを受け入れていた。周りには酒瓶や米俵、装飾品が箱に入れて置かれており、独特の香りが鼻をつく。もう数時間もこのままだった。そして間もなく、村の祭りは終わりへと囃子の音を響かせていた。

ぴたりと音が止み、訪れる静寂。何も聞こえないこの場所ではぼんやりと考えることしか出来ないが、がくりと揺れた体にはっとした。動いている。…海に、流されてしまう。ずりずりとした音が止み、ふわりと浮くような感覚があった。再び音の鳴り出した囃子が酷く遠い場所から聞こえてくるような気がする。今日の海は穏やかではなく、帰ることの出来る望みはひとつもない。

体中の力が抜けた。ああ、と。出したい声すらも出せない私は一体どうしてしまったんだろう。思えば何も得るものがない人生だった。優しい少年の思い出以外、私には忘れてしまいたいものばかりだ。それでも自ら命を絶っていれば、こんなに残酷に殺されはしなかったのだろうとぼんやり考えた。けれど、自ら命を絶つなんて考える暇も無いぐらいに私は幼かったのだ。目の前の米俵を持ち上げることすら出来ない細い腕。無かったことにされるのであろう存在。

虚しい気持ちばかりが募るが、けれど私のように別段美しくもない娘はきっと、神様すら見向きもしてくれないのだろう。助けてくれる気配なんて感じないまま、流されていく感覚だけがある。神様への貢物に手をつける考えなんて無い。生きたいのか、死にたいのかも分からない。





**


気が付くと頭がぼんやりしていた。まず"酷く眩しい"という感覚があって――あれ?おかしいな、私は閉じ込められていたはずなのに、どうして眩しいと感じているんだろう。

暗闇に慣れてしまっていた目が開くのを拒むぐらい、明るい光が周囲にあった。次いで、体が誰かに触れられているのが分かった。…運ばれている?体は固定されているような気がするけど、酷く不安になる。そっと目を開こうとすると眩しい光が目を突き刺して――――来ない。誰かが私の上に影を作って、太陽の光を遮っている。


「……ええっと、だな」


恐る恐る目を開いていくと、私を抱き抱えていたその人が見えた。彼は困ったような声で私から気まずそうに目を逸らし、言葉を探しているらしかった。しばらく彼は私から目を逸したまま、眉を潜めて目線をちらつかせた。やっとこちらを向いてくれたと思った時、私はようやくここが海の上で、彼が海面に足をつけずに浮いているということに気がついたのである。そんなこと、人間には絶対出来ない。

―――出来るとするのなら、きっと。


「怪我は無かったか…でいいのか」


知っているような知らないような、暖かな腕の持ち主を見つめた。困っているような、でも笑っているような表情をした少年は紛れもなく海神様で、それは伝承に伝わるヤマタノオロチのような姿ではなく、れっきとした人の形を取っていた。頷いた後、彼が指差した方に目を向けると私が乗っていたのであろう、小舟の残骸が岩に打ち付けられでもしたのか海面に微かに残っていた。私は確かに、神様に命を救われたのである。



生贄の行く末



(2014/02/24)

っていう海山ちゃん連載…時間があったら書いてる(血涙)