氷の領界に旅立ちたくない


「解放者さま、いつまでそうしておられるつもりですか」
「…この扉が開くまで、いつまでも」
「貴方にはこの扉が開くことを待つよりも重大な、使命が課せられたはずでしょう」
「知ってるし、受け入れたけど、でも」
「貴方の我儘に我々は酷く弱い。そこに付け入るなど卑怯というもの」
「………私がここにいないあいだに、死んじゃったら、私」
「…確かに酷い怪我でしたが、あの方はあれで命を落とすほどやわではない」
「分かってるけど、でも、…その死神をこの手で、討ち果たしたいとも思うけど」
「どうしてもこの扉が開くのを、待ちたいですか」
「うん」


「多分、待ってるって知ったらきっと、トビアスは私に何も言わず総主教様に謝りにいくでしょう。頭の良いトビアスがこんなに分かりやすく表現してる、私の気持ちに気が付いていないはずがないもの。…それは私の望んでることじゃない。だから私はトビアスに変な気を遣わせる前に立ちあがって、氷の領界に向かわなきゃいけない。あなたの口からトビアスの耳に、解放者が氷の領界に向かったと報告させなければいけない。そして次なる領界への道を切り開いたと伝えさせなければならない。分かってる、分かってるのよ。でもどうしても、足が動かないし、…目を見て、一言、オレは大丈夫ですので、とか。私のことよりも解放者様は自らの使命を果たしてくださいませ、とか。言って欲しいの。会いたいの。…一目姿を見て、ちゃんと生きてるって知りたい。ねえ、だめかな」


「…申し訳ありません。面会謝絶は、トビアス様の怪我の回復速度に関わっている」
「……うん、わかってる。わかってる、よ」
「泣かないでくださいませ、解放者様」
「…それ、トビアスに言ってほしかったなあ」
「ではトビアス様の言葉として、俺から伝えさせていただいたと」
「トビアスは別に、私のことは救世主として崇めてるから、強く拒めないだけじゃないの?」
「解放者様がそう思うのでしたら、そうなのでしょう」
「…まんざらでもないなら今度から、解放者様って呼ぶのやめてって伝えておいて」
「かしこまりました。では、」
「あ、あのね…あと五分だけ、座ってていいかな…」
「…まったく、しょうがない方だ」


戦うときはあのように勇ましい表情で戦場を駆け回るというのに、こうしているとただの恋に溺れた普通の娘だ。どうかこの娘の恋情が、報われることを部下の一人としてナドラガの神に祈っておこうではないか。


20160929