その愛を暖めて孵すのです
どこの世界でも目を奪われるものは変わらない。変わらないことを知るたびに、自分も女という生き物であることを確認する。どんなに長い歳月を戦いに費やしたとしても、願うことはたったひとつ。
「要するにね、幸せになりたいの」
「解放者様は幸せではない、と?」
「幸せじゃないって意味ではなくて…つらいことも苦しいことも多いけど…まあ、充実してるし、他の人が絶対に送れない日々を過ごしてはいるよ」
「……つまり?」
「幸せだけどね、幸せとは違うよね。一緒に戦ってくれる人がいて、友達がいて、家族の記憶があって、今日も死ぬことなく呼吸をしながらここに立って…生きてるけど、それだけな気がしちゃうの。幸せだと言えば幸せだけど、本当にこれが私の求めてた幸せなのかなって。………もっと、小さいときは」
「解放者様は幼い頃、どのような幸せを夢想されたので?」
「んー、ありきたりだよ。こんな戦いの日々がやってくるなんて想像したこともなかったもんなあ…剣も、きっとあのままだったら握らなかった。剣の代わりに包丁を握って、大好きな人の帰りを待つの。野菜を切って、鍋に入れて。お帰りなさい、って言う瞬間を待って」
きっと疲れて帰ってきたであろう大好きな人を出迎えて、一緒に暖かなスープを飲んで、湯船に浸かりベッドに入る。夜を暖かな毛布に包まれて過ごし、朝日を浴びて起き上がる。大好きな人が自分のために、家族のために働きに出かけるのをいってらっしゃいの言葉で見送る。あの木で出来たカメさまの銅像を見上げて、一日の自分の仕事を確認して。たまには兄弟の待つ家に戻って、暮らしはどうだとひやかされたりして。
幼い頃夢見たのはありきたりな、果てない幸福の形だった。そんな幸せをより望んでしまうのはきっと、そんなふつうの人には当たり前に与えられている幸せの可能性が私にはきっと、もうひとかけらも残っていないからではないかと思う。
家族は遠く、血に塗れた手は包丁ではなく剣を握る。毎晩のように寝床は変わり、誰かのために料理をする未来が私の進む道の先にはおそらく、ない。戦いの日々の終わりは同時に、私の命が終わる瞬間でもあるのだろう。
いつ死ぬのか。どこで死ぬのか。強さを手にしたせいで、あなたなら安心だと。強さに裏打ちされた信頼の果て、誰も知らない場所でひとり、誰にも不安がられることなく、誰にも心配されることなく死んでしまうのが何よりも恐ろしいのだ。泣きたくなるほどに、不安で不安でしょうがない。せめて、せめて一人でも。自分の強さを信頼した上で、常に共に在ってくれる人がいれば。……考えるだけでそんな人は、現れる気配すら見せてくれない。
だからこそ、より憧れは強まってゆくばかりなのだろう。エジャルナの市街地、竜族の礼装を販売する店で美しい花嫁衣装から目を離せないナマエは、隣に立つトビアスの視線を感じて口元を微かに緩ませた。
「ごめんね、こんな話。つまらないでしょう」
「…いえ」
「必要とされる限り、戦う運命にあるのなら戦う。でも、やっぱり、…憧れるんだよね」
「……叶えて、差し上げましょうか」
「ふふ、誰がこーんな女を嫁に迎えてくれるっていうの」
「俺が」
「……いやいやトビアス、真に受けなくていいから」
「俺は本気です、解放者様」
「……………………………トビアス、話聞いてた?」
「ええ、最初から最後までしっかりと。俺があなたと共に在り、あなたの帰る場所になり、あなたの手料理に舌鼓を打ち、あなたの手を汚させることなく、戦いの日々からあなたを遠ざけ、あなたの笑う顔を守れる男と成りましょう。…この戦いが、終わったあとには」
「…………」
「今すぐ、というわけにはいかないことは」
「いや、それは分かるけど…冗談の気配が感じられなくて」
「今の俺の言葉を全て飲み込み、これらを冗談だと笑うのであれば今なら、失恋を受け入れましょう」
「う、あ、うけ、受け入れなくて、いいから!いいよ!そんなの、言ってもらったの、初めてだし、ああ、うん、これって」
「プロポーズです。指輪はそのうち用意させましょう」
「………ごめんトビアス、今ここで泣いていいかなあ」
「…せめて、教団に戻ってからで」
「無茶振りだよそれ」
「解放者様こそ、予定のない場面で大事に暖めていた言葉を使わせました」
「…大事、かあ」
「ええ、大事ですよ、とても」
2016.04.03
やれば書けるハッピーエンド…(震え)春の力ってすごい…
空からトビアス様が降ってこないでしょうか
養いますとても全力で