このまま連れ去ってしまえたら




「テリーさん、怖い顔をしていますよ」
「…そうか」
「ナマエさんですか?」
「……………」
「彼女、決意を決めたようですけど」


チャモロの声がどこか、遠くで響くような気がしていた。ファルシオンの嘶きもどこか遠い。寂しくなるな、とレックが呟き姉さんがそうね、と寂しそうに俯いた。ハッサンとバーバラはナマエと共に、目の前の花屋でブーケにするための花を選んでいる。

花のことはよく知らない。が、それぞれが個々に意味を持つ花なのだと力説する店主にハッサンは首をかしげながら、バーバラはふんふんと興味深そうに聞き入っていた。ナマエは胸に付けたバラのブローチを愛おしそうに撫でながらも、鮮やかな色彩に目を奪われているようだった。赤、橙、桃、黄、青、紫―――…ナマエが赤色の花ばかりに気を取られているのは誰にだって分かっただろう。『…私にはね、赤が一番似合うって』照れくさそうにナマエが俺達に告げたのは丸一日前か。

レイドックに来るたび、幸せそうに出かけていくのを知っていた。宿屋に戻ってくるときも、レックが用意した王宮の部屋に戻ってくるときも、ナマエはレイドックにいるあいだ、常に表情を緩ませていた。普段の敵を目の前にした時の、真剣な表情とはまったく違う。剣士ではなく、一人の女としての表情を見せるナマエに惹かれていた時点でそれは手遅れだった。剣を振るう時の凛々しい顔。レイドックに戻ってきた時の幸せそうな顔。自分の気持ちを自覚した時には頭の中を二人のナマエが埋め尽くしていたし、レイドックに戻るたびに幸せそうに笑うナマエを独占したい気持ちに駆られた。ナマエにこんな表情をさせられることが俺に出来るのか。――否、難しいだろう。

中途半端に近寄って、微妙な距離で連携を崩れさせ、他の仲間に迷惑を掛けるわけには――…そんな風に迷っているうちに、ナマエはどんどん遠ざかっていたのだ。指先に光る銀色のリング、相手はレイドックの貴族でナマエの幼馴染。王家とも良い関係を築き上げ、レイドック城下でも悪い噂を聞かない。更に一途ときた!旅に出るとナマエが決意した時も、ナマエをここで待っていると言って微笑んで送り出したとか。…知りたくなかったとは言えないまま、嬉しそうに話すナマエの言葉を聞き流した。まともに認識したらおかしくなりそうだった。ナマエは俺の気持ちを知らない。そんな素振りを見せたことはない。知っているのは聡いチャモロと、戦闘の時に些細な動きからバレてしまったレックぐらいだ。姉さんだって俺の気持ちを知らない。……知らせたくない。困らせるだけだ。


「ナマエ、やっぱり赤?あたしはオレンジもいいと思うけどな」
「じゃあオレンジも入れようか」
「赤一色ってのもアリだろ。シンプルだ」
「おっ!なかなか情熱的だねえ」
「からかわないでよおじさん……へへ」


赤い花をいくつか手に取ったナマエが気恥ずかしそうに笑い、ハッサンとバーバラがからかうようにこれもこれも、と自分たちの好みで選んだ花をナマエに手渡していく。――赤色の花で染まっていくナマエ。この光景を見て、あの幼馴染だとかいう男は嬉しそうに笑うんだろう。自分の色に染まっていくナマエを、自分の元からもう離れていかないように指輪でナマエを縛れることを、心の底から喜ぶんだろう。…別に、俺が。俺がナマエのことを好きだと思わなくなればいいだけだ。赤色に染まっていくナマエを、なかったことにして思い出にして。共に戦った仲間が幸せになることを祈ればいい。それだけだ。




ナマエと過ごす最後の晩餐。レイドックの大食堂で、貴族の男と手を取り合い婚約を正式に発表したナマエのドレスは赤色だった。普段と違う髪型に整えられ、胸元にはやはり赤いバラのブローチが光っている。次々に周囲は美しいとそれを褒め称えた。

……それでもやっぱり、俺はナマエに赤が一番似合うとは思えないのだ。確かに戦う時のナマエは赤が似合う女だろう。それでも普段の、例えば少し気を抜いて焚き火の炎を見つめる表情。武器屋で剣を見比べて、値段と自分の財布の中身を比較して肩を落とす時の表情。――レイドックに戻ってきて、ほっとしたような表情になる時。……に会って、心底満たされたと言わんばかりのあの顔―――…赤色で縛る理由は、どこにもないと思うのだ。ナマエの表情には様々な色がある。それはもっともっと、広い世界に連れ出すことでその色彩を鮮やかにするはずだった。名前のある色では、足りないくらいに様々な色を俺の目の前で見せてくれる、そんな未来が……ほんの少しの勇気や、迷いを蹴散らすことで手に入ったかもしれない。


「…もう手遅れ、か」


扉の向こうでは貴族やレック達が食事を楽しむ声が聞こえている。廊下で一人、食欲のないまま考えるのはどうしたってナマエのことばかりだ。もしあの時、何かを言っていれば。もしあの時、俺の方を向けと言っていたら。もしあの時―――…後悔しても時既に遅し。時間は取り戻すことが出来ない。…まだ遅くないのか?いや、遅い。遅すぎる。何もかもがもう手遅れで、ナマエはもう一生あの銀色に囚われて赤色に染まりながら生きていく。あの男の望む笑顔をあの男に向けて、あの男の好きな服を着て、あの男の望むままにキスをさせて体を許して、共に子供を産み育てて、……それで。


「あれ、テリー?」
「っ…」


廊下の向こうから、歩いてきたのはナマエだった。主役だろ、なにやってるんだ、こんなところで―――…声はらしくないことに、少しだけ震えていたかもしれない。「うん、ブーケをね。部屋に置いてきたの。早めにやっておきたかったし、何より大切な花だし…メイドに任せるより自分でやりたくて。水切りして花瓶に活けてきたのよ」そんなに多くなかったから、と幸せそうに笑うナマエの指先はきちんと拭われている。が、ドレスに数滴垂れた水の痕跡はまだ消えていない。……他の人間の手に花一束、渡せないぐらいにあいつが好きか。大事そうに愛おしそうに、撫でるぐらいそのブローチが大事か。


「…随分精巧に作られてるんだな、それ」
「ええ、彼がその…特注してくれたって」
「近くで見てもいいか?」
「もちろん!」

あの男が俺は心底羨ましくてならない。ブローチに目を凝らすフリをして一歩詰め寄っても、幸せそうに口元を緩めるナマエは気がつきもしないのだ。「っ、え」呆けた声を上げた時には、もうストッパーが外れていた。ナマエの両腕を掴んで、壁に押し付けてキスをする。俺のそんな行動を予測もしていなかっただろうナマエは目を見開いたまま、流されるまま、自分の身に何が起こったのか分からないといった表情で固まった。「……どうして」「…さあな」目線を逸らして、細っこい腕で必死に逃れようとするナマエの唇を再び奪う。「…これが気まぐれじゃないってことだけは確かだ」



このまま連れ去ってしまえたらきっと幸せでしょうけど、それは叶わぬ願いでしょうね



(2015/06/16)