王子様を待っている


誤解をなんとかしようとして、丁度一週間。

普段通りに振舞うものの、どこか俺に気を使ってよそよそしい名前さんに俺は声を掛けるのを躊躇ってばかりだった。天馬や狩屋には呆れられたが、聞く耳を持たない名前さんだって悪いと思う。無理しないでだの、休んでだのの一点張りだ。……心配して貰えるのは有難いし嬉しいのだけど、名前さんに元気がないのが目に見えているから喜べない。

そうして今、なんとか週末を迎える前にきちんと誤解を解こうと、ホームルームが終わった二年生の教室に名前さんを迎えにきた俺は、頭を抱えずにはいられない状況に陥っている。咄嗟に物陰に隠れてしまったのが恨めしい。ひゅうう、と口笛の音が聞こえて咄嗟に口元を抑えた。人の残る教室では、名前さんが見知らぬ男子生徒を目の前に狼狽えた様子を見せている。


「……えっ、と」
「聞こえてなかった?じゃあもう一回言おうか」
「いや、いいよ伊月く――」
「苗字、好きだ。一年の時からずっと、お前が好きだった」
「………っ」


――いかにも自信に満ち溢れていると言いたげな声の主が、名前さんに迫っている。

物陰から覗く背丈は恐らく俺よりも高くて、制服は少しばかり着崩されていて。そういえば名前さんはすごく綺麗なんだった、とここで久しぶりに思い出した。自信に溢れた顔で一歩、先輩が名前さんに距離を詰めたところで飛び出していきそうになってしまう。「……っ、くそ」素直に飛び込んで名前さんの手を引いて逃げ出してしまえばいいのだろうが、気まずかったせいもあって躊躇ってしまう。非常に気まずそうな顔をした名前さんは、こういったタイプを少し苦手としているはずだ。手馴れている感じと、なんでも自分の思い通りになるという考えが読み取れる相手は本能的に嫌だとかなんとか、言っていたのを覚えている。

今すぐ返事をもらえないかな、と名前さんに迫る先輩に対して名前さんはああうん!と必死で顔を取り繕った。「そ、そうだったんだ!知らなかった、ありがとう!でも私にはね、その……付き合ってる人がいるから」目線を揺らして、言葉を探しながら喋る名前さんを見つめた。まさかの返答だったのだろうか。名前さんを取り囲んでいた周囲の人間の全てが目を丸くして彼女を見つめた。「苗字さん、彼氏いたの!?」一人の女子生徒の叫びにも似た声に、きんきんと耳元が鳴り響いた。ああ、もう我慢ならない!


**


人のいる場所で告白されて、そしてそれはかなり、クラスでも人気の高い男の子で。

うまい具合に断らなければ、私は敵を作ってしまうことを知っていた。だからこそ酷く戸惑った。クラスメイトの幾人かが示し合わせたようにその場にいたのが、偶然だったかなんて私は知らない。そんな場所で断りの文句として思わず口をついて出てしまったのは剣城の存在だった。迷惑をかけているのに、これでまた更に迷惑をかけることになるんだろう。ゴシップが大好きなグループの女の子の一人に聞かれてしまったことを酷く後悔した。同時にこんな場所で私にこんなことを言わせた、伊月君にも腹が立つ。

私達は、大げさに騒ぎ立てるのが大好きな年頃の真っ最中だ。あることないこと、騒ぎ立てるのが大好きな年頃だ。しかも剣城は一時期、サッカー部の部室を壊しただの、制服を改造しているだので私達のあいだでも話題になっていた。最近はやっと落ち着いてきた頃だろうに……誰、誰なのと迫ってくるクラスメイトに曖昧な微笑みを浮かべながら必死で考える。回転させろ、頭を!

剣城のことを知られたくないそれには、確かに独占欲もあるのだ。でも一番はやっぱり、また剣城に迷惑をかけて、それで―――…嫌われてしまうのが恐ろしい。ただでさえ疲れているのに、また気苦労を増やしてしまう。剣城は優しいから、私を気遣って絶対それを言わなくて、


「名前」











―――開いていた教室のドアの向こうから、大好きな声がする。

眉を潜めた、不機嫌そうな剣城が入口に立っていた。「っ、剣城!」思わず駆け寄りそうになるものの、ぐっと堪えたのはクラスメイトの視線があったからだ。一年の剣城京介じゃん、と呟いた声さえ聞こえなかったら私はすぐに剣城に駆け寄っていただろう。

どうしたの、と言いたいのに声が出ない。「……部活なら、ちゃんと行くよ」結局目を逸らしてしまって、ああ私は何をやっているんだろうなんて珍しく冷静な頭がバカを連呼した。それにしても、どうして剣城は私の教室まで来たんだろう?私が部活を休むことがないことなんて知ってるだろうに。

思わず周囲を見渡すと、好奇の目線(それから、伊月くんの突き刺すような目線)が私と剣城を交互に突き刺していた。遠慮なんてなにもない目線に、思わず私はたじろいでしまう。なのに剣城は挨拶もなにもなしにずかずかと教室に踏み込んでくるのだ。「え、ちょっ」なにやってるの、と言おうとした瞬間に剣城の腕が伸びてくる。


「どうしたの、つる――」
「名前」
「っ、いや、だから!」
「いつもみたいに名前で呼べよ」


ぐいぐいと近づいてくる顔と、クラスメイトの目の前で下の名前を呼ばれている気恥ずかしさでどんどん熱が頬に集まってくる。剣城どうしたの、何か変なものでも食べたの――目を逸らせば簡単に言ってしまえる、普段の軽口が出てこない。今度は目が逸らせないのだ。いつもみたいに吸い込まれそうな剣城の目の色に釘付けになっているあいだに、唇にやわらかいものが触れた。何が起こったかなんて考えたくない。


「先輩、名前は俺の女です」


伊月くんに、剣城が言った言葉の意味もなにも考えることを放棄しようと決めたのは、クラスメイトの女の子の甲高い声が響いてからだった。



きみは、少し強引な王子様
(2014/05/08)




「つ、るぎ!?なん、なにっ!?」
「何って、名前さんは俺の彼女でしょう」
「そう、だけど!そうだけど!でも、あの!みんなの前でっ!」
「名前さんは一応顔がとても綺麗なんで、ああでも言わないと悪い虫がつきそうで不安なんです」
「――っ、だから……って一応!?一応なの!?」
「俺は別に、名前さんを顔で選んだわけじゃないんで」
「…き、きっかけにはなったでしょう。みんなそう言う」
「それはそうかもしれないですけど」


椅子から立ち上がって、剣城はふんわりと優しく笑う。「でも、今はただ…単純にあなたが好きなんですよ、名前さん」どうしてかは分からないですけど、とぽつりとこぼしたのを私は聞き逃したりしなかった。「…ずるいよ、そういう事言うの」「どうしてずるいんですか」私が剣城になにも言い返せなくなるのを知ってて言うからに決まっている。

俯いて赤くなってしまった顔を隠していると、惚れた弱みって知ってます、なんて剣城が言い出した。「名前さん、俺はなにも迷惑なんてかけられてないんです。好きだから、一緒にいられる時間が増えるのはむしろ嬉しいですし…っ、」上手く言えないですけど、と髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回しながら剣城が俯いた。


「俺と一緒にいない名前さんが、…他の男に困ってる姿を想像する方が嫌です」


(傍にいます。だからどうか、俺の前でだけ特別な顔を見せて。そしていつか、俺だけのお姫様にさせてください)