対等の条件
狩屋と共にグラウンドに戻ったら誰も居なかった。不審に思って部室を覗こうと廊下を歩いているとミーティングルームからぞろぞろと雷門サッカー部のメンバーが出てくるではないか。「天馬!」何事かと、列の先頭に立って廊下に出てきていた天馬を呼ぶと驚いたように振り返った天馬が剣城、と俺の名前を呼んだ。
「何があったんだ?」
「お、俺からはなんとも……」
何やら天馬は気まずそうである。大事な話し合いだったのだろうか?ならば何故俺達二人を呼んでくれなかったんだろう。…あれ?「なあ天馬、名前さんは?」見渡すと名前さんだけが見当たらなかったからと天馬に問いかける。「苗字先輩っ!?」びっくううう!と名前さんの名前に反応する天馬に思わず眉をひそめた。名前さんに関連する事なのだろうか?訝しんでいると霧野先輩と、それから倉間先輩がミーティングルームから姿を現した。複雑そうな、変な苦笑いが俺を捉えた瞬間に驚きに染まり、そして優しい笑顔に変わる。
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ミーティングルームに入ると、一瞬誰も居ないのかのような錯覚に陥った。しかし微かに聞こえるすすり泣きのような音にぐるりと見渡すと、机の隅の隅――普段なら彼女が絶対に陣取る事の無い場所で、声を押し殺して丸まっている背中がひとつ。
「名前さん」
「っ!?」
すすり泣きが止まる。ひっく、という微かな嗚咽の声は聞こえるから必死に涙を止めようとしてくれているのだろうか。なんだかその背中は酷く小さかった。もう一度名前を呼ぼうとは考えなかった。なんだか彼女が普通の女の子に見える。……どうしてだろう。
「………ごめんね、剣城」
「え、」
今、俺はどうして謝られたんだろうか。思わず呆けているとぐいっと顔をジャージの袖口で拭った名前さんが立ち上がった。振り返った彼女の目は赤い。「剣城、私は傲慢な人間なんだよ」唐突に告げられたその言葉に目を見開いた。「……こんなの、初めてだからなんにも分かんないって言い訳して、逃げようとしてるの」壁にぱたん、と足をつけて俯いた名前さんが言葉を紡ぐ。「ちょっと考えれば本気かどうかなんて分かるくせにね、剣城のこと馬鹿にしてたも同然」…彼女は、
「これでもまだまだ中学生なんだよ、……私が知ってる世界なんて、本当に小さいの。それでも普段はそれを隠して得意げになってる。自分の事は自分で全部理解してるって思ってる。だから自信に溢れてるよねって言われるけど、自分の知ってるものになら自信があるけど、知らないものにはとことん臆病なの。自分がどうなるか分かんないから、言い訳まみれにして……踏みにじってるんだよ、今!剣城のくれたもの全部!……なのに、なんで」
―――本当はとても、臆病なのだと気がついた。
名前さんを最初に好きだと思ったのはいつだっただろう。気がついたら、目が離せなくなっていた。いつだって笑顔だった彼女に見惚れていた。それは多分、同時に憧れでもあったのだろう。――今は?今は、違う。憧れは無くなった。彼女は手の届かない存在ではなくなったのだ。その証拠にほら、目の前で小さく震えている。
これが初めての恋だ。俺だって、名前さんに関わると自分の知らない感情を自分の中に見つけて驚く事が多い。それに対して、名前さんは怯えているんだ。――"自分の事を自分で全部理解している"――だから、初めての感覚に怯えるんだ。
「……教えてくれって、俺に言ったくせに」
実際に知ったらこんなに怯えるだなんて。
気がつくと口元は緩んでいて、彼女の元へ一歩踏み出していた。剣城、と小さく呟く声が聞こえる。誰なのか分からないぐらいにか細い声に酷く緊張した。でももう、止まることはない。彼女に捧げるべき言葉を俺は知っている。
「大好きです、あなたのことが」
二度目のその言葉に、名前さんが大きく目を見開いた。彼女の体の震えが止まる。伸ばした腕が細い手首を掴んで引き寄せた。
――柔らかな頬の感触が、唇に触れる。
「名前」
「……つる、ぎ」
「京介、って呼べよ」
初めて名前で呼ぶと、ぴくりと目の前の肩が揺れた。もう俺と名前は対等だ。俺の思いを踏みにじろうとした代償を貰って、これでおあいこ。一度は離した体を再び抱き寄せても抵抗は無かった。黙ったままの名前の耳元に口を寄せる。
「月山国光との練習試合の後に、答え、聞かせてくれ」
――本当に小さな小さな声で、彼女がはい、と同意したのが聞こえた。ゆっくりと体を離すと床に崩れ落ちてしまう彼女はもう、名前さんだ。名前と呼ぶのを許されたのはさっきの一瞬だけなんだろう。今は。
気恥かしさで崩れ落ちた彼女に背を向けた。練習はもうとっくに始まっているんだから、早く行かないと怒られてしまう。
彼と彼女の対等の条件
(2013/09/14)
今までで一番書くのに時間がかかったのは書きながら恥ずかしがってたせい
終わりが近いですね。長かったなあ。
……ところでこの二人の偽物臭がやばいですどうすれば