悩み多き年頃の少女
※剣城視点


静かな図書室だから、潜められた名前さんの言葉はひとつ残らず拾うことが出来た。


「発端は去年で、入学式のその日にサッカー部に入って南沢さんと初めて会って……その後南沢さんに"借り"が出来ちゃってね、」


当時は初めての中学校生活ということで、入学式当日はと名前さんは大人しく振舞っていたらしい(想像もつかないが、本人からするとあまり良い記憶ではないようだ)。なるべく女の子への抱きつきたい欲求を抑え、丁寧な言葉使いを心がけた。結果、色んなものが大量に釣れたのだそうだ。その多くが新しい生活に胸をときめかせた男達。そりゃあそうだろう、顔"だけ"なら超高級品レベルなのだから、中身を偽りさえすれば釣れるだろう。

入学式のその当日に、既にトラブルは勃発したという。雷門にずっと憧れていたという名前さんは部室へと向かう前、校舎の探検をしていたのだという。…名前さんが探検……いや、深く考えるのはよそう。とにかく彼女は教室の位置取りを把握するために色んな場所に足を運んでいた。すると遠くからばたばたと騒がしい足音が響き始め、不審に思った名前さんは背後を振り返った。しかし、それはもう遅い。


「いやー、いきなり5人ぐらいでグループ組んだ男子が走ってきてね?見つけた!って叫ぶわけ。流石にびっくりして硬直したらその間に取り囲まれてねー。付き合ってください!とか言い出すわけ。普通に嫌ですけどって断ったら、そんな事言わないでくれーって全員が泣きついてきたの。流石にびっくりした」


予想外にも程のある展開に、名前さんは逃げ出した。しかし入学したばかりで騒ぎを起こすのはまずいと当初こそはなるべく穏便に終わらせようとしていて、それが更にトラブルを悪化させたらしい。最終的にはなりふり構わず逃げ込んだ先のサッカー棟で南沢先輩に出会い、状況を読んだ南沢先輩が"助けてやろうか"と持ち出してきた餌にまんまと引っかかったのだという。


「南沢先輩はどうやって名前さんを助けたんですか?」
「………」
「……や、言いたくないんなら俺は別に」
「剣城になら話しても……いや、剣城だから……」
「名前さん?」
「よし!話進めるけどいい!?」
「大声出して大丈夫なんですか」
「それでなんだけど、」


あ、話聞いてくれねえ。――多少引っかかるものを残して、名前さんの話は続いていく。

その後名前さんはサッカー部に加入し、自らの欲求も隠さないようになったことで言い寄る男は皆無となった。が、唯一の例外が南沢先輩だったという。何故だかその後名前さんを気に入った南沢先輩は名前さんの家にまで行くようになり(そのあたりの過程は話してもらえなかった)、名前さんの絶対正義である名前さんのおばあさんにひどく気に入られてしまったのだという。


「自分で言うのもなんだけど、」


私おばあちゃん大好きなんだよね、と名前さんが笑った。「父さんは母さんしか見えてないし、母さんは私の事が大好きなんだけど仕事があるし。おばあちゃんにたくさん時間を貰ったからかな」喋る名前さんの笑顔がなんだかあどけない子供みたいで、めったに見ることのないその表情に少し驚く。そういえば、本当に――出会った頃に比べると名前さんの表情は増えたような気がした。最初から笑顔だったくせに先輩は、名前さんはどこか隙が無かったんだ。それが今じゃあこんなに隙だらけ。――言わないが。


「だからこそ衝撃だったの。南沢さんがうちに来るようになって、おばあちゃんと仲良くなっちゃってね?…私は冗談半分だと信じてたんだけどね?南沢さんが『名前さんを俺に貰えません?』なんて言い出した時におばあちゃんが『ええよ?』って即答するなんて思わなかったの!」
「孫の将来をそんな簡単に?」
「おばあちゃん、父さん…息子絶対至上主義だから」


一瞬意味が分からなかったが、名前さんのお父さんの若い頃の雰囲気に南沢先輩は似ているらしい。直感で動く人だから…と俯く名前さんがぼやいた。「でも、その直感で悪いものも良いものも嗅ぎ分けられる凄い人なんだよ」尊敬してる、と。そこだけはなぜだか目を輝かせて名前さんは複雑そうな顔をした。「そもそも未来の事なんてなんにも考えちゃいないのに」その表情は、酷く切ない。


「そう言われる前も言われた後も今も、自分の将来がどうなってるかなんて考えた事無いよ。今が楽しいから、これがずっと続けばいいななんて願望を持ってる。ずっと一緒なんて有り得ないけど、ずっと一緒にいられたらって思うんだよね。ここで。雷門サッカー部で。……結婚なんて、まだこんな子供なのに考えるはずもないじゃない」
「……結婚したいと思わないんですか?」
「思うわけないよ、私達まだ中学生でしょ?将来の夢はお嫁さんじゃなかったし、ドレスなんて着てる自分が想像できない。そもそも将来を一緒にする人のことを考えたことなんか本当……無かったから、さ」


だから恋を知識として知ってはいても、感じたことはない。「剣城、私ってさ」変だよねー、と普段のへらりとした笑顔でそんな事を言われてしまったら、俺はどう返せばよかったんだろう。

確かに名前さんは色々と変だ。普通でないことは確かだ。でも、中身は結局俺とひとつしか変わらない女の子だ。たくさんの悩みを抱えていて、その悩みは"非"日常的だが悩む姿は年相応のものだ。決してその姿はおかしくなんてない。

これは彼女の"弱み"だ。付け入る隙も悩みも、名前さんには本当に少ないと思っていた。しかし自分の弱い部分を彼女は自ら俺に見せてくれたのだ。嬉しくないはずがない。信用されている証にまた少し胸の鼓動が早まって、前以上に少しだけ名前さんへの気持ちが増えた気がした。



垣間見えたのは悩み多き年頃の少女



(2013/07/27)