日常にスパイスを


アメリカから帰ってきて数週間。


「よう、久しぶりだな名前」
「………ワーミナミサワサンダー」


とても苦手な人と、雷門の校舎前で遭遇しました。


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「……転校したって聞きましたけど」
「ああ、月山国光にな。ところでお前、いつイタリアから帰ってきたんだ?」
「ついこの間d「嘘だな」うぐっ……」


南沢篤志。私をじろりと睨みつけるだけで黙らせる事が出来る(貴重な)人間である。

言葉に詰まって思わず距離を取ると、にやりと口端を歪められた。そして一歩、南沢さんが距離を詰めてくる。一歩後退する。「どうして逃げる」「いやー…ははは……」わ、笑えないっス南沢さん。そんな顔でもひたすらエロいです。ぴくぴくと動くこめかみを感じながら腕に抱えていた買い出しの戦果(ドリンクの粉)を左から右に持ち替えた。逃げる。宣言しよう、私は今から逃げる!


「さようならまた会う日まで!」
「はッ、逃がすかよ!」
「いいえ逃げます!"五里霧中"!」


なっ、と南沢さんが息を呑むのが分かった。正直ずるい感じがするからこの技はあんまり好きじゃないけどもうこの際我儘なんて言えない。自分の足元で巻き起こった土煙が南沢さんを取り囲んだのを確認し、校門ではなく柵を乗り越えて植え込みの草木の中に飛び込んだ。そこでじっと息を殺す事はしない。南沢さんは勘が鋭いからこんなのすぐにバレてしまう。とりあえず目指すべきは絶対にサッカー棟ではない。サッカー棟ではなく……そうだ、校舎!校舎の、図書室とかその辺りなら多分バレない!脳が結果を弾き出すと同時に植え込みから飛び出す体。五里霧中はまだ効いている。ドリンクの粉を一時的に植え込みに置いて身を軽くしたから後はもう私の独壇場だ!


「おい名前、逃げんなっての!」
「(逃げないと南沢さんひたすら迫ってくるじゃないですか!?)」


心の中でだけ叫んだ言葉は、誰にも拾われることなく消えた。


**


(剣城視点)

「……これと、これか」


本棚から目当ての本を二冊だけ抜き出し、小脇に挟む。ついこの間神童先輩から借りたサッカーの小説がかなり面白く、続きが気になって図書室に足を運んだのは今日で数回目。
シリーズもののその小説は自分以外に借りる人もいないらしく、毎回数冊抜き出して持ち帰っては読んでいた。……と、いうか、図書室そのものが常に静かだ。普段は(嫌いじゃないし、むしろ好きだが)騒がしいからこういった静かな場所があるのはとても心地良い。静かな空間というのは人の心を落ち着けてくれるというもので。


「良い天気、だな」


窓から空を見上げると、快晴。雲ひとつない青空。
ここ数週間は本当に和やかな日常が続いていた。アメリカから帰ってきた後、名前さんがどんどん可愛くなっていっていて自分でも頬が少し緩む。俺と話す時だけ耳が赤くなるだなんてと倉間先輩は戦慄していたが(名前さんに吹き飛ばされていたが)、それをいざ目の前にすると本当に彼女が可愛くて仕方無くなる。恋は盲目というが、これがそうなんだろうか。

……恋じゃなかったらあんな人が可愛く見えているって俺は……なんだ?恋愛観により補正がかかっていてもああ変な人だなーと思うのに(百合疑惑もあるし)、恋愛観でなく可愛いなーと思えるのは正直顔だけじゃなかろうか。いや好きだけれど。好きじゃなかったらあんな風に迎えに行ったりなんてしないし、触れたいと思わないはずもない。むしろ触れられたいという欲求の方が強いだろうか?最近、先輩は可愛くなった代わりに俺に近寄る事が少なくなった。霧野先輩は『緊張してるんだよ…あいつが乙女とか気持ち悪いな』と真顔で言い放っていたが、本当にそうなんだろうか。天馬や信助にはハグだのをしているというのに。

ずるい、と思わなくもない。が、天馬や西園、空野にキスを迫っていたところを俺に見られた名前さんは必死で否定してくるのだ、俺に。『ち、違うって!剣城これはその、だから、……クセで』そう言い訳する時の名前さんの可愛らしさは異常だった。狩屋と影山が頬を染めるぐらいには可愛かった。先輩たちは呆然とし、倉間先輩は泣いていた。俺はもう先輩が可愛くて可愛くて仕方無いのでとりあえず頭を撫でて……


―――ここまで回想したところで、窓から差し込む光が急に遮られた。






「…………は?」
「ごめん剣城、緊急事態。お願い助けて!」


あの、名前さん?何で窓から入ってきたんですか?助け、えっ?ここ三階ですよ!?



変態じゃない日常にスパイスを



(2013/07/15)

全力のパルクールで逃げてきました。