どくせんよく
「あの、…ええと、ヒロトさん」
「なんだか君にさん付けで呼ばれるのはくすぐったいね。それに慣れてなさそうだし」
「だって私としてはついこの間会ったばかりで…じゃない!」
どこに行くんですか!と思わず大きくなってしまった声でヒロトさんに問うとさあどこだろうね、と誤魔化すような返事が返ってきた。頭を抱えてもヒロトさんはどこ吹く風で、ご機嫌そうに鼻歌なんて歌っていらっしゃる。ああ、これはもしや誘拐というやつなのでは…いやまあヒロトさんに限ってそれは有り得なさそうだ。あれよあれよと言う間に高級そうなスポーツカーに乗せられ、どこかの道路を走っている私は現在、非常に混乱していた。明王の兄さんとの約束もあるのに、ヒロトさんにドナドナ連れて来られたという始末。
「あの、ヒロトさん」
「今度はなんだい、名前」
「私今日明王の兄さんと約束をですね?」
「勿論知ってるよ。何せ聞こえてたからね。だから横から攫ってきたんじゃないか」
「あ、知ってらしたんで………ん?えっ?」
「不動君は案外過保護みたいだから、こうでもしないとゆっくり話が出来ないかなって」
「話?」
「そう、コミュニケーション。そうだなあ…名前の好きな食べ物は何?」
ごちそうするよ、と優しく微笑んだヒロトさんに敵意は一切無い。あの不気味な潜水艦で話をしたときより、彼はずっと穏やかで暖かい目をして私を見ている。「…ええと、」気を張り詰めていた体から、ゆっくりと力が抜けていくのが分かった。兄さんには後で連絡を入れよう。雷が落ちそうだけど、兄さんはイナズマジャパンの話をせがむと恥ずかしそうにするんだもの。ゆっくり話が出来るのなら、私はイナズマジャパンに所属して円堂さんや兄さん、豪炎寺さんとフィールドを駆け抜けたヒロトさんの話を聞いてみたい。
「ふふ、ゆっくり考えていいよ。一緒にご飯を食べながら話そう」
「…ご飯!」
「その前に服を調達するかな…流石に君が制服だと、俺が通報されそうだ」
ヒロトさんみたいに顔の綺麗な人を通報する人なんて居なさそうだけど、と言いそうになって口を閉じた。大きな会社の社長さんだと言うし、やはり世間体があるのだろう。でも私が服を着替えたぐらいで問題の解決になるんだろうか?
**
既に名前の授業が終わる時間帯から、30分は経過していた。
運悪く、渋滞に巻き込まれたのだ。悪い待たせた、と謝るつもりで校門前に止めた車を降りたときに目の前に居たのは名前ではなくて、見知らぬ女子中学生だった。不思議そうに俺を見上げる少女の横を通り抜け、グラウンドへ足を踏み入れる。
名前はサッカーに関しては"待て"が効かない。サッカー部はグラウンドで練習をしているようだった。ボールを見たら待つことなんて忘れてマネージャー業も放棄して飛び込んで行くんじゃないだろうかと思ったのだ。結果、丁度ドリンク休憩を行っていた天馬から名前がヒロトに横から掻っ攫われたのを知ったという次第。当然ヒロトの携帯に電話を掛けても繋がるはずがなく、現在俺は円堂に連絡を取っている最中だ。理由はヒロトが俺からの電話を拒否しても、円堂からの電話は絶対に取るだろうということを知っているから。
「……ああクソ、」
どうせ名前は警戒心も何もないから、ほいほい飯かなんかで釣られたんだろう。そりゃヒロトがあんなガキに振り回されるとも思わない。名前がヒロトになびくとも考えにくい。あいつの中にあるのは、多分憧れ一色だからだ。
「でも、苛立つんだよな…!」
目の前の赤信号を睨みつけながら、かつかつと爪でハンドルを弾いた。自分以外の"おとな"に名前を連れて行かれるのが嫌なこの気持ちは何だろう。あいつは危なっかしいから、誰かが手綱を引いてやらないといけない。その役目が俺から他の大人に渡るのが酷く嫌だった。独占欲?所有欲?何とでも言え。あいつのサッカーは俺が育てたんだ。
「……今更、誰かにやるわけねえだろ」
どくせんよく
(2014/07/15)