あの日の約束を今


「……ぃ、おい、ナマエ!」
「え、あ、はいっ!?」
「珍しいのぉ、ボーッとしておったのか?」
「………すみません、オーキド博士」
「何があったのかは知らんが、気分転換に外でも歩いて来たらどうじゃ?」
「………………はい」


あまり無理をするな、とオーキド博士の声が背中にかかる。言葉を返す気力もなくて小さく会釈して扉を閉めた。


**


「………やっちゃった」


研究所から少し離れた小さな川原、小石を掴んで思いっきり投げる。研究に私情は持ち込まない主義だったのに
ぴょん、と一度だけ跳ねて水の中に消える小石。もう何度、これを繰り返しただろう

―――ぐるぐると脳内を駆け回るのはやはりレッドの事だけで。

腕を掴まれただとか、細いくせにその腕が子供の頃に比べて明らかに力強くなっているだとか、私を射抜いた真っ直ぐな目だとか。
久しぶりに会った時、背が以前より伸びていたレッドに不思議な感覚を抱いたのも事実だ。
ああ、ライバルとしてレッドとグリーンと競いながら旅をしていた日々が遠く感じる。
そういえばあの頃からだっけ、レッドの存在がどんどん遠くなっていくような気がしたのは

一度もバトルで勝てなくて、レベルの差はどんどん開いていって、――チャンピオンになっちゃって。

ロケット団もたった一人で倒してしまって、そんなレッドについていけたのはグリーンだけ。私はもうきっと二人には追いつけない
そして、コトネちゃん。彼女はポケモンの研究のためにシロガネ山に入ったり出来る私と違って実力で認められているから出入り出来ている。
モヤモヤする気分をどうにかしたいと小石を握り、もう一度投げようとして座り込んだ。
こうやって色んな事に向き合うと、分かる事がたくさんある。
自分はちっぽけだった。どうしようもなく、ただ、小さい。
バトルは強くもないし、人より優れた容姿があるわけでもない。ただの普通のポケモン研究家だ。
生まれた場所と時間が違えばレッドとも関わる事なんてなかっただろう、ごく一般的な人間だ。だって『持っている』ものが違う
けれど私は今ここにいて、そして分かった事がある。


「ナマエ!」
「へ?――――ッ、レッド!?」


記憶に強い聞きなれた声より少し低いその声を聞いて振り返る。どうしてレッドがここに?
考える間もなく思いっきり抱きしめられて、その反動を支えきれなくて川に落ちた。
真冬の川の冷たさに驚いてレッドに抱きしめられている事に気がついて硬直してしまう。


「グリーンと、付き合うの」
「さ、さむ……ってえ、あ、何でそれ……っ」
「やだ」
「……な、何で?」


色んな意味を込めた"なんで"だった。がくがくと震えながらレッドに問う。真冬なのに半袖なレッドはきっとシロガネ山のせいでこの程度ならば寒くないのだろう。
ぎゅっ、と抱きしめられた力が強まった。嫌だ、と耳元で囁かれて吐息にどきりとする


「俺の方がグリーンよりもっと前から、ナマエの事が好きなのに」


―――頭が真っ白になる、というのはこういう事なのだろうか


「いきなり、ポケモンの研究とかいって色んな場所に出かけたりしだすし」
「俺がシロガネ山にいるあいだグリーンとやたら仲良くなってるし」
「……約束破って嘘まで吐くし」


俺のこと嫌いになったの、と耳元でか細い声で呟いたのは本当にレッド?


「嫌いになるわけ、ないじゃない…!」
「なら、どうして」
「私もレッドが好きなの…!幼馴染としてじゃない、レッドが、レッドが好きなの!」


認めてしまおう。ずっと大事な幼馴染で、親友だと思っていた。でも今は違う
きちんと異性としてレッドが好きで、他の女の子と一緒に居るところを見たくなくて。
震える腕をなんとか動かして彼の背中に腕を回した。


「……なんで泣いてんの、ナマエ」
「わ、かんないよそんな事……!」


ただただ溢れる涙を濡れた服に押し付けていると、うっすらと蘇る幼き日の思い出。
そうだ、あの時もレッドにこうして抱きついて言ったんだっけ。


――――『約束なんかしなくても、レッドとはずっと一緒にいるよ!だって、レッドの事大好きだもん!』


なんだ、幼い自分の方がちゃんと自分の感情を理解しているんじゃないか、なんて


「……ねえ、レッド」
「なに?」
「ずっと一緒にいて、私のこと離さないで」


やっと思い出した?と笑ったレッドと優しく唇が触れ合った。



せかいでいちばん

(ねえ、ナマエ)
(ん、なあに?)

(世界で一番、愛してる)


(2013/01/12)