07ありえないベクトルで夜を明かそうよ



六で一人前の使用人として雇用されたナマエは、七で少年騎士達の世話だけでなく使用人たちの食事の給仕も任されるようになったし、八では厨房に入るようにもなった。九つの時には王と姫君、マルティナの晩餐にも関わるようになった。元々年齢が近いこともあり、マルティナとは王族と従者でありながらも良い関係を築いてきたナマエが、王に任命され、正式にマルティナの傍仕えの一人になったのは、ナマエが十の誕生日を迎える少し前だった。


きいてきいて!グレイグ、わたしマルティナ姫の傍仕えになったの!

ああ、聞いた。共に王家を支えていこう、ナマエ。


微笑んだグレイグの大きな手のひらが、ナマエの頭を優しく撫でたのを、ナマエは今でもよく覚えている。グレイグは二十に成っていた。デルカダールの紋章、大鷲の刻印を刻んだ黒の鎧を身に纏い、王の傍らに立つその姿の勇ましさといったら、言葉では言い表せない。

黒馬に乗り、多くの騎士を従え、デルカコスタの草原を駆けていくグレイグの姿があまりに眩しく、ナマエの幼い恋心はナマエ自身でも驚くほどに、大きく成長していった。知らないうちに多くの美しい女性がグレイグに近寄るようになっており、そういった光景を見るたびにナマエは肝を冷やした。真面目故に遊ぶことを知らないグレイグが、女性をとっかえひっかえできるはずはないと思ってはいたし、そもそも王への忠誠心だけでできている、と言っても過言ではないグレイグだ。剣が恋人のような男だ。そんな男が傍らに置く女を選ぶとしたら、一度きりだろう。

黄色い声を上げる女たちは、きっとそんなグレイグが振り向くまで待てるほどに辛抱強くないだろうとも思っていたものの、やはり十という年齢の差は大きな壁としてナマエの前に立ちはだかった。もしも、見た目が完璧にグレイグの好みで、性格だって忍耐強く、ひたむきにグレイグを想う気持ちが私よりも強く、私がグレイグの視界に女として映る前にグレイグの目に止まり、その心臓を射止めてしまったら――私はどうすればいいのだろう。そもそも私は彼の視界に、女として映る日が来るのだろうか。いつも変わらぬ態度で接してくれるグレイグは、ナマエにとって誰よりも近く、誰よりも遠い存在だった。


随分成長したな、お前も

残念なことに、まだまだこどもなの


ナマエが自らの身体的な成長の具合に疎くなったのは、グレイグの態度が主な原因だと言って違いないだろう。たまに顔を合わせるホメロスはナマエの身長の伸び具合や、少々の身体の変化に時の流れを感じるたびに、それを口に出していた。ナマエはというとホメロスの言葉を受け取るたび、まるで久しぶりに会う父親のようなことを言うなあなどと、ぼんやりとした感想を抱いていた。父さんが生きていればホメロスくんのようなことを言うのかな、とも。
二人のあいだには親族特有の距離感があった。近すぎず、遠すぎず、遠目から見ていればそれはまったく普通の兄妹だった。グレイグとナマエが仲の良い兄妹に見えるのなら、ホメロスとナマエはより"それらしい"距離感を持った兄妹に見えた。

普段からグレイグと行動を共にするホメロスが、グレイグに特別懐いている、ナマエの恋情を知らないはずはなく。そして気付かれていることに、ナマエが気が付かないはずはなく。しかしお互いそれを口にするのは、なんとなく嫌だと表面上は知らないふりを続けて。十年という月日の空白から生まれる付き合い難さをなんとか誤魔化しながら、ナマエとホメロスはその距離感を保っていた。たまに言葉を交わし、身内特有の話題を交換し、遠慮なく何かを言える間柄は、お互いに悪くないと思っていた。少なくとも、ナマエは間違いなく。


――転機はナマエが十一になる少しまえ、ユグノアで起きた悲劇の夜に訪れる。


20170928