その日、最後の砦を訪れたのはかつて悪魔の子と呼ばれていた勇者の少年だった。ペルラの上げた大きな喜びの声に、ナマエも何事かとそこに駆けつけたものだ。色素の薄いさらさらの髪と優しく吸い込まれそうな空色の瞳をナマエはどこかで見たことがある気がした。気のせいだろうと思っていたそのルーツを、思い出すのには少し時間が掛かった。
掘り起こした記憶はそれほど色褪せていなかった。あの夜の出来事は、きっと一生忘れない。ナマエは十の時、その中では一番若い、王女マルティナの従者だった。多忙なデルカダール王の代わりに王女の遊び相手を務め、話し相手となり、その傍に付き従っていた。ユグノアに四国の王が集い、話し合いをするとなったその日、ナマエもユグノアへの同行へ選ばれ、ユグノア王家に仕える従者たち、各国から王の付き添いでやってきた従者たちと共に会議の準備に走り回った。
ユグノア滞在開始から数日、目前に迫る会議の日。とあるタイミングでナマエはマルティナと行動を共にした際、ユグノアの王妃と顔を合わせるタイミングがあった。紋章をその手に生まれた彼は、まだ産まれたばかりの赤ん坊だった。幼いマルティナが本当の母のように慕う、ユグノア王妃エレノアの腕に抱かれていた。すっかり本当の弟が出来たかのように喜ぶマルティナを少し離れた場所で見守っていると、マルティナにナマエもと促されたのだ。従者である私はと躊躇い、エレノア王妃に良いのよと微笑まれ、ならばとおそるおそる、覗き込んだ王妃の腕の中には、青空を閉じ込めた瞳の、可愛らしい赤ん坊が抱かれていた。
「エレノア様に抱かれていた赤ん坊が、こんなに大きくなるほど時が過ぎたのね」
声を掛けたナマエを振り向いた少年の瞳の奥には、あの日見た青空がまだ閉じ込められている。
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「王の容態は」
「ここに来たばかりの時より、ずっと回復してる。…今日、彼と話したのも良かったみたい」
「そうか」
言葉少ないグレイグが微かに目を細めたのは、安心を得た証明だろう。食事もそこそこに、剣を取り出し磨き始めたグレイグは、魔物達の襲撃に備えるようだった。遠征から戻ってきたばかりでも、グレイグはきっとすぐに戦いの支度を始めるだろうと思っていたナマエは、リタリフォンの手綱を棚から下ろした。グレイグの腕には、また包帯が増えている。
ナマエはどうしてこんなことになってしまったのか、考えずにいられない。グレイグが、せめて一人でなければ。ホメロスが傍らに立ち、二人で王を支えていれば。…どうして彼の人は、魔に魅入られたのだろう。それに、応えたのだろう。ユグノア悲劇の夜以前からグレイグと同じように王はホメロスを信頼していたし、……――自分が拾ったからというのもあるかもしれないが、王はどことなくグレイグを贔屓しているように、見えなくはなかったかもしれないけれど。
「私も、彼と少し話したの」
「…どうだったんだ?」
「まるで太陽みたい。優しい空色の瞳に見つめられると、すごく安心する。…だから、」
「だから?」
――いつだって鈍いグレイグは、そこが確かに彼の良いところではあるのだろうけれど、きっと王の微かな贔屓にも、ナマエの言葉の先も読めない。
「言えなかったわ。…あなたと大切な仲間達が別れ別れになるきっかけを作った男は、身内ですなんて」
20170925