指先からグラデーション 
 テスト期間が終わった日の空気と言うのは、いつものそれとは何だか違う気がする。いつもよりうんと澄んでいて、清々しくて、晴れやかな色をしているような気がするのだ。あくまで気がする、という話であって、実際はそんなことはないのかもしれないが、気持ちの問題とはよく言ったものだと思う。
 そして現在、午後一時三十分。やはり気持ちの問題なのかもしれないが、明るい気分で眺めるハンバーガーはいつもよりおいしそうに見えるし、食べれば実際においしい。

「それで、肝心の英語はどうだったの?」
「うぐっ……、い、今それを聞くって言うの?」

 チーズバーガーを頬張っていたにこが、うげげ、と言いたげに表情を歪ませる。さっきまではものすごく幸せそうな笑顔を浮かべていたのに、その変わりようが何となく面白かった。
 テスト前の貴重な時間を使ってにこに英語を教えた身としては、その質問は是非投げかけておきたいところだったのだが、にこにとってはどうやら聞かないで欲しいことだったようだ。にこの様子からこれから得られる回答が大体わかって、私は既に口角を上げていた。

「……英語は、まあ、頑張ったと言ったら頑張ったのよ。だけど人には向き不向きってものがあるし……。そもそも、日本人なんだから日本語ができればそれでいいじゃない」
「ダメだったんだね」
「ちょっと、その生温かい笑顔やめなさいよ」
「あはは、ごめんごめん」

 「で、どのくらいは自信があるの?」、言いながら私はポテトをつまむ。カリカリした食感が香ばしさを伝えてきて、ダイレクトな塩気がそれに続く。いくらでも手を伸ばせてしまいそうなおいしさだというのに、少し物足りないところで全部なくなってしまう、罪深きポテト。
 「それは……。五十点、五十点はカタいわね、多分……」答えつつ、にこが私のトレイからポテトを一本連れ去っていった。それは私が大事に食べていたポテトだというのにだ。あっ、と声を上げたときにはもう遅く、既にポテトはにこの口の中へ消えていた。にこの口の動き、ポテトを飲み込む喉の動きを見ながら私もハンバーガーを咀嚼する。ポテトもおいしいけれどハンバーガーもとてもおいしい。だからポテトの一本くらいは許すことにした。

「……けど、ナマエに教わったところは書けたの。そこはすごく自信があって……」
「そうなんだ、良かった」
「……だから、今日はお礼にと思って、一緒に……。もう、調子狂うわね」

 視線を逸らしながら、消え入りそうな声でにこが「ありがと」とつぶやいたのを私は聞き逃さなかった。しっかり聞いていたぞという意味で笑っていたのを、にこも真正面から受け取ったらしい。きまりの悪そうな顔をしたから、よく分かった。

「……もう、この話は終わり! せっかくハンバーガーを食べに来たのに、こんな空気じゃ湿っぽすぎるわ!」
「そうかな」
「そうよ! 放課後はまだまだ始まったばかりなんだから、空気を温めておかなくちゃ」
「そっか。そうだね、せっかくだから楽しまないとだね」
「にこにーが一緒なら楽しくなるに決まってるけど……ってナマエ、ちょっと」
「へっ?」

 にこがテーブルから少し身を乗り出して、私に急接近した。透き通った綺麗な赤色の瞳は大きくてきらきらしていて、そこへ長い睫毛が陰を落としている。にこの挙動に合わせて二つに結った髪がさらさらと揺れて、こういうときにふと、ああ美少女だ、と思うのだ。
 にこの右手の親指が拭ったのは私の口元。可愛らしい顔が離れていったと思ったら、すこし呆れたような表情へ早変わりだ。

「これ、ハンバーガーのソース? もう……本当にナマエは仕方ないんだから」
「あはは……」

 指についたソースを紙ナプキンで拭いたにこは、じとっとした視線を向けたあとふっと笑ってみせた。こういう表情も絵になる可愛さだ、と思う。

「普段はもっと頼もしいのに、変なところで抜けてるんだから……」
「じゃあ、今みたいなときはにこのこと頼りにしておくね」

 私の言葉を聞いたにこは、もともと大きい目をもう少し見開いて、その後視線を逸らして「もう」だの「本当にナマエって……」だのぶつくさ言い始めた。これは結構露骨に照れている。
 けれど私の言ったことは嘘じゃない。こうして放課後の時間を過ごしてくれること自体もそうだし、どこに行くだとか何をするだとか、いい具合に私を振り回してくれるから、にこと過ごす時間はいつだって飽きがこないのだ。そういう意味で、私はにこを頼りにしている。

「……だから、今日もにこに楽しい時間を過ごさせてもらおうかなって」

 言い終わって、にこのトレイに乗っているチキンナゲットを一つつまんだ。ポテト一本さらわれたお返しにしては大きすぎるものをもらったけれど、にこがそれを咎める気配はない。
 にこは暫し惚けて、はっと気がついたように咳払いをしてみせて、「と、当然でしょ!」とジュースの入った紙コップを手に取る。じゅう、と中身を吸い上げるストローからうっすら透けて見えるのは黄色に近いオレンジだ。
 「よろしくね?」なんて言いながらハンバーガーを口に運んだ。今度はソースを顔にくっつけたりなんてしない。ケチャップのほのかな酸味だとか、パテのいい具合に焦げた部分のカリッとした食感だとか、ふわふわしているのに香ばしさを感じさせるバンズだとか、口の中に広がったすべてはいつもの食事よりずっと幸福感を届けてくれる。それはテストがどうこうとかではなくて、単に向き合って座る目の前の女の子の力なのかな、なんて考えると、私はますますこれからの時間が楽しみで仕方なくなるのだ。


20170228

霜月さんのお宅の企画で、リクエストさせていただいた矢澤にこです!尊すぎて愛おしすぎてこんな素晴らしい矢澤にこを頂いていいのか分からず今の今までひた隠していた感じですがそっと飾らせていただきます霜月さんから頂いた矢澤にこ…読んでいいのよ…ってかんじです…上から目線すぎるって???矢澤にこなのでしょうがない
まじで理想の斜め上どころか霜月さんにしか書けない矢澤にこ尊すぎて愛おしすぎて結婚するしかないです 流石ボス 一生ついていきます ありがとうございます…霜月さんの矢澤にこほんとしんどい…全てにおいて尊さにあふれているのすごいです…本当にありがとうございます…!