その背中を追うだけでいたくない
「で、サジェ。聞きたいんだけど」
「聞きたいこと?ボクに?」
「ええ。随分とキラを目で追っているようだから、好きなのかなって」


にこにこと愉しそうに笑う唐突なマイユの言葉に、サジェはぱちりと瞬いた。「…えっ!?」マイユの言葉を噛み砕き、呆けて、意味を認識した次の瞬間爆発したように赤くなるサジェの顔にあらあら、と思わずマイユは目を丸くしてしまう。初めて会った時からサジェはマイユの目にも随分と背伸びをした、大人びた考えを持った少年だった。――色恋には疎く、指摘されたその感情が本当に無ければまさか、とサジェはマイユの言葉を笑い飛ばしただろう。サジェの脳裏には傷付きながらもサジェを守るために、必死で呪文の詠唱を続けるキラの姿が焼き付いていた。自分より少し背が高くて、自分より少し手が大きくて、最初に見た時はたったそれだけの、異種族の少女は自分より遥かに強く、助けを求めれば必死で自分を守るために戦ってくれる。口端から血を流しながら戦いの最中振り返って、それでも任せてと優しく、強い笑顔をくれる。

好きなのかなって、といったマイユの声がサジェの脳裏で何度も響いた。闇の世界に浮かび上がる、微かな光と共に吸い込んで、心臓に送り込んでいたその感情の名前をサジェはすぐに認めることが出来ない。
けれど確かにマイユに抱いた感情とはまったく違うものを、サジェがキラに抱いていたのも確かだった。手を差し伸べられ、見たこともない馬に乗り、彼女の腰に手を回して飛ぶように過ぎていく景色を眺める。その時間がサジェにとって、言葉では表せない価値を持っていたのは確かに真実だった。

キラはもうすぐ、ここを経つ。別れの時間が近づいている。そんな時に知りたくはなかったとサジェは思えど、特別なこの感情が確かに存在することを知れて嬉しいとも思うのだ。――彼女に、ボクはお礼の言葉以外に、何かを残せるだろうか。残しても良いのだろうか。元の世界に好きな人とか、恋人とか、絶対にいるんじゃないか。あれだけ強ければたくさんの人と出会っていて、こんな守られていただけのボクなんて、


「難しい顔をしているわね、サジェ」
「……だって、どうしたらいいんだよ、こんなの」
「サジェ、その感情を殺そうとしちゃいけないわ。その気持ちはあなただけのものよ」
「…でもキラは強いし、この世界に住んでるわけじゃない」
「あら、キラはそんなこと気にしないわよ」
「…そうかな」
「ええ、私が保証してあげる」


微笑むマイユのその顔が、一瞬だけサジェの中で今は亡きたった一人の姉の姿と被って見えた。…きっと姉さんもボクがこんな感情を異性に抱いたと知ったら、微笑んで背中を押してくれるのだろう。サジェの初めての恋を応援しないはずないわ、とか。――恋、恋か。姉さんが…バジューに恋をしたように、ボクにもその感情を知る日が来たんだ。


「姉さんは、バジューと心を通じ合わせて、それで」
「…サジェ」
「……でも、マイユさんは、…違うよね」
「ええ、勿論。アロルドを助けるために、私はここまで来たんだもの」
「ならボクだって、キラを守るために…自分にできるやり方で、キラの助けになって」
「キラはきっとサジェに振り向いてくれるわ」
「そうかな」
「そうよ、だから頑張りましょう!私はいつだってサジェの味方だから!」
「う、うん、…マイユさんが、そう言うなら」


キラが楽園の先へ向かう前に、最後の別れを最後にしないために、どんな言葉を送ればいいのか。いっそこの先のキラの旅に、着いていくための力を得るためにはどうすればいいのか。――必要とされるためには、どうすればいいのか。


「難しく考えなくていいわよ、そんなの」
「ボク、口に出してた?」
「気持ちは分かるけどね!…キラは色んな人に、必要とされる子だから」
「その中で一人、ボクだけを選んで欲しいなんて我儘だ」
「いいのよ、我儘で。恋ってそういうことよ」


背中を押すその言葉にサジェが顔を上げると、出発の準備を終えたキラが教会から顔を出すのが見えた。この我儘を伝えたとき、果たして彼女はどんな顔で、どんな声で、言葉を返してくれるのか。楽園に踏み込んだときとはまったく違う緊張に足を震わせながらキラの方へ歩き出したサジェの背中にがんばれ、と呟くマイユは普段気丈なサジェの、初めての感情に戸惑いつつも踏み出す勇気が、どうか少しでも報われるようにと祈る。


20160526