さわるな危険
「赤羽君、それやめてくれない」
「ん?これ、本当に切れないんだなあって思ってさ」
「…なんで私で試すの」
「苗字さんの血が見たいなあって」
ダメ?って笑った赤羽君は対先生用ナイフを私の首筋に突き立てた。ぐにゃり、柔らかく曲がったそれに痛みを感じることはない。感じるのは精々不快感だ。
赤羽君とはあまり話すことはない。クラスメイトとしては仲間だけど、個人として赤羽君と私のあいだには何も無かったはずだ。どうしてこんな、誰もいない放課後に私は彼に絡まれているの。赤羽君はどうして、私を(対先生用ナイフと言えど)刺しているんだろう。殺したい、というには殺意が足りないから違うとして。
…赤羽君の意図が読めないせいで、ただでさえ苦手な数学は普段以上に集中出来ないでいた。「じゃあ、こっちは?」「…っ、」ちくり、と首筋に走った痛みは何かを突き立てられたもので、ノートの上に数式を連ねていた黒線が途切れた。ぱきり、と小さく芯の折れる音。
「やっぱさあ、ボールペンは痛い?シャーペンとどっちがいいかな」
「赤羽君、やめて。私今勉強してるの」
「苗字さんが一人で一時間勉強するより、俺が五分教える方が効率良いと思うけどな」
「……なんなの」
「で、苗字さん。痛い?」
「痛いけど、それが何なの」
突き刺さったわけじゃない。先端が少し、肌に食い込んだだけ。
それでも不愉快感はこの時点でかなりものだったから、私は苛立ちを隠すことなく赤羽君を振り返った。「あ、もしかして苗字さん怒ってる?」右手にボールペンを、左手に対先生用ナイフを持った赤羽君はにこにこと、口元だけ緩めていつものように食えない表情で笑っている。その目はとても楽しそうで、ますます私は赤羽君が分からない。
「怒ってるし、すごく苛々する」「へえ」心で思ったまま、口に出しても赤羽君は鼻で笑うだけで笑うのをやめない。…本当、なんなんだろう。初めてE組に顔を出したときにもそう思ったけど、赤羽君は本当に掴めない。何を考えながら、彼は今ボールペンを握っているんだろう。…どうして私の首元から、目を離さないんだろう。
「分からない、って顔してるね」
「赤羽君、私に理解させようとしてないもの」
「…あ、いつもの顔に戻った」
「なにそれ。私はいつだってこの顔だよ」
「そうじゃなくて、さっきみたいな。感情剥き出しの顔がいいなあ、俺」
「っ、」
唇が触れる、かと思うぐらいに近寄ってきた赤羽君の顔に思わず目を見開いた。「そうそう、苗字さん。それだよ」分かってるじゃん、って呟いた赤羽君は嬉しそうに目を細める。私はというと少しでも赤羽君が動けば唇同士が触れてしまう距離に、着いていけなくて頭が回りそうだ。「…いいね、その顔」「…赤羽君離れて」「あ、余裕無くなってる」純情なんだ、って呟いたのもこの距離なら嫌でも聞こえてしまう。顔に熱の集まる気配。
「苗字さんってさ、喜怒哀楽ないのかと思ってた」
「…私だって人間だよ」
「殺せんせーにナイフ当てても、嬉しそうにすらしない」
「……顔に出にくいだけ」
「苗字さんがどんな顔するのか、考え始めたら凄く気になってさあ」
痛いのはどうかなって思ったんだよ、と楽しそうに笑う赤羽君の指先で、ボールペンがくるりと回った。「でも、今はどうでもいいかな」かしゃん、と何かがふたつ落ちる音がする。右と左、視界の隅でちらついたものを確認することが出来なかったのは、赤羽君が私の頬をその手のひらで覆うように包んでいたからだ。ひやりとした冷たい手が私に触れているのに、顔に集まっている熱は収まってくれない。
「こうやって顔近づけるだけで、苗字さんが真っ赤になるなんて思わなかったよね」
「どうでもいいから赤羽君、離れて…!」
「あーやっぱ女の子だ。力弱いし、それ本気?」
「…赤羽君、いい加減にして」
「かわいいね、苗字さん」
「〜〜ッ!」
ぺろり、と。
まるで飴でも舐めるみたいに、舌でなぞられたのは唇だった。言葉を失った私に、再びかわいい、と耳元で囁いた赤羽君は満足そうな表情で私から離れてそのまま教室の床に座り込んだ。ねえ苗字さん。呼びかけに応えられるほど、今の私に余裕はない、のに。
「苗字さん、ちょっと可愛すぎるね」
「な、」
「他のやつに迫られても、そんな顔しちゃダメだよ」
――赤羽君の頬が少し赤いのに気がついたけど、その意味を私は知りたくない。
さわるな危険
:DEGOD69
(2015/04/26)
皐月さまへ!結局悩みに悩んでカルマ君にしてしまいました…鉄仮面クール、感情が顔に出にくい夢主と、そんな夢主の鉄仮面を剥がしてみたいと思ったら思わぬ沼に落ちたカルマ君です。基本単行本派なんですが、ちょいちょい本誌も追いかけているので!ぜひとも!ぜひとも今度暗殺とか語りたいですゴニョゴニョ…基山もまた書いたら捧げさせてください…!