グラジオラスの世界



別に、恋だとか愛だとか、それらは人の目を気にしていては出来ないと思うのだ。自分がその対象を好いている、それだけ。相手に好いて貰いたいだとか、気持ちを伝えたいだとか、そういったことは別の話として欲しい。好きだ、と思うことに自分以外の人間は干渉して来なくていい。

私は、ずっと昔から一緒に居る幼馴染のうちの一人が好きだった。その感情は、最初は友達に向けるものだった。それはゆっくりと形を変えて、家族愛によく似た感情へと変化した後、自分でも自覚しない間に恋しさだとか愛おしさだとか、そういったものを孕むようになっていった。だからもう、気がついた時には好きで好きでたまらなくて、苦しくてしょうがないばかりだったのだと思う。

気持ちを誰かに打ち明けられたら少しは楽になったのだろうか?…そういうわけにはいかなかった。だって、幼馴染は私と同じ女の子だった。少し男勝りではあったかもしれないけど、確かに私と似たような体をしていた。手首が細くて、体の線が柔らかくて、それで髪を伸ばしていて。玲名、って呼んだらやっぱり男の子よりも高い声で返事をする。

どんなところが好きなの、って……そんなの、上手く言い表せられないよ。例え?例えば?なんでもいい?……月並みだけど、全部かなあ。え、全部じゃだめ?そう…ええと、うん。目は、とても綺麗だと思う。昔からずっと思ってた。きらきらしてて、吸い込まれそうなの。髪だって手入れしてない、なんて言ってるけどいつもさらさらで、指に絡まないんだよ。それから、いつだって私に優しい。名前、って玲名に呼ばれるとすごく安心するけど、心臓がひっくり返りそうになる。あと、


「ええっと、名前。もういいよ、よく分かった」
「……やっぱり軽蔑するんだ?」
「それはない、けど。……予想より本気だったというか、本物だったっていうか?」
「自分がおかしいのは分かってるよ。嫌ってほど知ってる」
「…でも、玲名を好きなのはやめないんだ」
「誰のことを好いていようが、それは私の自由だからやめない」
「それを玲名が知って、君の事を気味悪いって思うようになったとしても?」
「人が一番気にしてて、一番考えないようにしてることをわざわざ聞く?」
「そういうわけじゃないけど、そこが一番気になるところではあるかな」
「………ヒロトなんかに言わなきゃよかった」


がたん、と大きな音を立てて立ち上がった名前の腕を咄嗟に掴んだのは反動というか衝動というか。「待って待って!愛とか、ほら。そういうのは人の自由だし…俺は名前を否定したりしないから」元々低かった評価が更に下がったことは気にしないけれど、流石に泣きそうな顔のまま名前を逃がしてしまったら、それはそれで罪悪感が募るし何より玲名が鬼になる。とにかく落ち着いてよ、なんて言いながらゆっくりと再び」名前を椅子に座らせると、目が少しだけ赤くなっていた。多少の刺激で爆発してしまう爆弾の如く。


「とにかく、君は玲名がずっと好きだったんだね」
「……うん」
「あーあ、残念だなあ。俺も前からずっと名前のことが好きだったのに」
「…ごめんヒロト、私本当にどうしても玲名のことしか好きになれそうにないの」
「真顔で断らないでくれないかなあ。冗談だよ、冗談」
「なによ、それ」


目を少しだけ細めた名前は、ゆっくりと張り詰めていた緊張の糸を緩めたようだった。「…ヒロトは、ほんとに分かんない」溜息をひとつ、落としてからお茶のカップに手を伸ばす。心の中でだけほっと息を吐いて、同時に自分の指もカップに伸ばした。絡め取った取っ手をそのまま引き寄せて、口にそっと液体を流し込む。

名前も、玲名も最近ずっと変だと思っていた。エイリア学園として戦う時にも影響が出るぐらいには調子が悪かったしどことなくぎくしゃくしていた。名前を避けようとする玲名と、普段通りに振舞ってはいるがどことなく苦しそうな表情を見せる名前。チームのリーダーとしてなんとかしなければいけないと思ったのが悪かったのかもしれない。一番気になっていた玲名は違和感の正体を絶対に吐いてくれないだろうと思って、名前のところに来たのもまずかったか。半ば無理矢理吐き出させことを後悔しつつ、ゆっくりと名前に視線を向ける。

幼い頃から知っている名前と、今目の前にいる名前がイコールで結びつかなかった。ええと、名前がお日さま園に来たのは小学校低学年ぐらいの頃だったかな…なかなか馴染めなかった名前の世話を一番、焼いていたのは玲名だった。いつも一緒に居たし、名前は多分一番最初に玲名に心を開いたのだと思う。南雲が昔、冗談めかしてあいつらレズなんじゃねえの、なんて言っていたのはあながち間違いではなかったのかと思うと、


「悔しい、ね」
「…悔しい?何が?」
「子供なら子供なりに、やれるだけやれば良かったなって」


――不思議そうに首を傾ける名前は、(多分、無意識のうちにだろうけど)また苦しそうに眉を潜めてカップを見つめた。変なところで鈍感だから、きっと玲名に時折避けられていることに気がついていないんだろうと思う。玲名が気がつかせていないのかもしれない。どちらでもいい。名前は俺がずっと、わかりやすく表現していることに気がつかないぐらいだから(先程、ばっさりと切り落としたそのまま、言葉のナイフが腹に突き刺さっている感覚を覚えている)……本気で、玲名のことで悩んでいるんだと思うことにしよう。とにかく、名前は玲名が名前に酷く苦しそうな表情で視線を送っていることに気がついていないようだった。…ああ腹立たしい。なんて腹立たしい。よりにもよって異性に負けるなんて、ね。しかもこの流れ、俺が二人のキューピッドにならなきゃいけないやつじゃないか!


「……ねえ名前、ひとつ聞きたいんだけど」
「…なあに」
「俺が名前のことを好きだ、って言ったの。冗談じゃなかったらどうする?」
「それは冗談だって最初からわかってたよ、私」
「だーかーら、そうじゃなくて。ほんとに好きだって言ったら名前はどうするのさ」
「ヒロトが?私を?ないない、絶対にない。私と玲名が両思いになるぐらいない」
「それが有り得たりしたり、しなかったり」
「結局あやふやにしちゃうんだ…」


かたり、と何かが壁に当たる音が聞こえた。「じゃあ"もしも"の場合でいいよ」「…もしも?」一瞬だけ視線をやれば、見慣れたシューズの爪先が微かに覗く。主張を隠せそうにもない胸部のふくらみは間違いなく、練習を終えた玲名だろう。「そう、もしも。もしも名前が今好きな……玲名を。好きでなかった場合、俺に可能性はある?」名前の部分だけ声を潜めれば、青色の髪が隙間で揺れた。これは釣れただろう。

「もしも……玲名を好きでなかったら」ゆっくりと名前が顔を上げて、俺を見つめた。まじまじと食い入るように俺を見つめる名前の姿は、扉の向こうの彼女にはどう映っているのだろうか。思わず口元を緩ませると、訝しげな表情で名前が俺を覗き込んでくる。おおっといけない、見せつけてやらなきゃね。「で、どう?」「…んん」催促すると、唸ってから首を捻った名前はやがて、ふるふると首を横に振った。

「考えられない、かなあ。ヒロトはずっと家族だもの」…ううん、それじゃダメなんだよなあ。例えでいいから、俺のことを好きになっていたかも、ぐらい言ってくれなきゃ報われないじゃないか。こっそり覗き見をしている趣味の悪い誰かさんは、安心したみたいに溜息なんて吐いちゃって。…――キスしてみたら飛び込んでくるかな?


「名前、手」
「手?手がどうしたの」
「いいからほら、出してみてよ」
「……今日のヒロト、普段よりも変だね?」
「なんだい、俺が普段から変みたいな言い方…玲名の影響を受けすぎだよ」
「そんなことは無いと思うけど……これでいいの」


半ばやけっぱち気味の名前が差し出した手のひらを包む。「…っ、」あ、玲名が息を呑んだ。結構効いてる?面白くなってきたかもしれない。「ちょっ、ヒロト」「いいから」小声で囁くために耳元に顔を寄せたのも効果有り。微かに聞こえてきた声は名前が焦っていなければ、名前にも気がつかれたことだろう。「……ヒロト、もういい?」微かに力を込めて手を自分の方へ引こうとする名前をやんわりと制する。「大丈夫」そう、大丈夫。ほんの少し触れるだけだよ。ほんの少し、そう。手首を掴んで、引き寄せて――





「―――やめろヒロト!名前に触れるな!」


――…体を咄嗟に逸らすと、すれすれの部分を形の良い脚が旋回した。ああ惜しい、あと20cmぐらいだったのに。「…玲名、結構キレるの早かったね?」「知るか!」やっぱり気がついていたのか、と苦々しげに吐き捨てた玲名の目線から逃れるように顔を逸らす。


「名前、その手をさっさと振り払え。変態がうつる」
「え、なん、えっ……えっ」
「行くぞ。グランなんかに構うな」


緩やかに振られた腕に逆らわず、手を離してやると名前は目を白黒させながら俺を見上げた。「ひ、ヒロト……何、しようと」「え?そりゃあ勿論玲名に取られる前に名前の初めてを貰おうと思っ」「聞くな名前、耳が腐る」目の前から、一瞬で攫われた名前は少し頬を紅潮させていたからやっぱり敵わないんだろうと実感してしまった。ああ、なんて面白くない。


「玲名に飽きたら俺のとこにおいで、名前」
「絶対にそんな事はさせない!」
「俺は名前に言ったんだけどなあ…」


捨て台詞を残した玲名が名前の腕を掴んで、目の前からばたばたと走り去るのを何とも言えない気持ちで見送ってから背後を振り返った。二人分のカップは、名前のものだけ回収されてしまったらしい。関節キスすら許してくれないほど、独占欲が強いくせにどうして素直に言わないんだろうね。いっそ入り込める隙間を作らなければ、俺だって淡い希望を抱いたりなんてしなかったのにね?



グラジオラスの世界



伊織様のリクエストで相思相愛な夢主とウルビダにちょっかいをかけるグランでした。
終始名前で呼び合わせてしまったのが少し後悔…百合で良かったんでしょうか。テンションが上がってしまってそのまま百合で突っ走ってしまったのですが…百合を書いたのは久しぶりで楽しかったです。でも久しぶり過ぎてメインの二人の絡みを上に書ききれかかったので下に詰めました。ウルビダは私も本当に好きです!セクシーで!ソルジャーで!いいですよね…!ありがとうございました!

(2014/10/20)




ヒロトに掴まれたのと、同じ部分を掴んで玲名は走る。腕を引かれながら思考を巡らす。最近ずっと私の顔を見るたびに少し嫌そうにしていたのに、玲名はどうして割り込んでくれたんだろう。それにさっき、ヒロトに私は渡さない、みたいな事を…言ってくれた。何故だろう。どうしてだろう。友達として?それとも……まさか。まさか、まさか!

ぐるぐると頭の中を回るのはそんなことばかりで、やがて玲名が足を止めた時には掴まれた腕を意識してしまっていて脳が沸騰しそうだった。「…玲名」声が、小さくなっていく。掠れる。震える。ヒロトの前では普通でいられるのに、私は玲名の前でだけ、いつもどおりでいられない。いつも通りでいたいと思うたびにそうなってしまう。

やがてこちらを振り向いた玲名の、泣き出しそうな表情は私の中の何かを駆り立てた。「…名前、すまない」私と同じように小さな声で、どうしてだか私に謝った玲名の首に腕を回したのは何故だろう。「すまない」もう一度、玲名が繰り返した。何に謝っているのか聞こうとして、やめた。私は玲名が謝る理由を、痛いほどによく知っている。

別に悪いことじゃないよ。周囲は私達を少しおかしいと思うかもしれないけれど、別にそんなの、私達が気にしなければいいだけの話なんだよ。「玲名、玲名」「…名前」「おかしくなんかない。おかしくなんか…おかしくなんかない、って言って」玲名がね、一人、私のことをおかしくない、って認めてくれたらそれだけでいいの。玲名、玲名。


――ずっと、あなたのことが大好き。


初めて囁いた愛の言葉は、玲名の耳元で溶けていった。数十秒を置いて、ゆっくりと腰に回された腕の力を感じて目を見開いた。同時に耳元で優しく、私もだと囁いてくれた玲名を好きだと思うこの感情が、どうかずっと私の中から消えていったりしませんように。