臆病者の末路(天馬/水渡様へ)
『苗字名前は松風天馬が好き』
この事実を知っている人間は世界にたった一人、私だけだ。苗字名前だけだ。初めて抱くこの感情の不安定さに最初は酷く驚いたけど、それは慣れると非常に心地の良いものだった。
天馬君の一言で一喜一憂する感情、彼の眩しい笑顔に高鳴る心臓。気がつけばいつも目で天馬君を追いかけていた。名前、と天馬君に呼びかけられるたびに嬉しくて嬉しくて仕方が無くて、舞い上がりそうなのを隠してなあに、と答えた。サッカーがサッカーが、と毎日が楽しそうな天馬君を見つめている時間が幸せで、その時間を思い出すだけでも幸せに浸れた。
天馬君が好き。天馬君の笑顔が好き。天馬君のサッカーをしている姿が好き。
「……言えるはず、ない」
多分天馬君はこういった感情に疎いのだ。きっと私が思いを告白したところで、ごめん、俺はそういうのよく分からない、といった風に返されるのだろうと思う。断られて気まずくなって、…会話すら出来無くなってしまうのが怖い。関係を変えようと動くのが怖い。
天馬君が私を見て、困ったような顔をするなんて嫌だ。天馬君の笑顔が向けられなくなるのが嫌だ。…大丈夫、大丈夫。きっと天馬君は彼女なんてまだ、作らないはずだ。
**
「なあなあ名前ーっ!」
「どうしたの、そんなにニヤついて」
次の授業が移動教室だからと教科書を抱えて廊下へ出たばかりの私に駆け寄ってきたのは狩屋君だった。へへ、だの驚くぞ、だの。素が垣間見えるいたずらっぽい表情でニヤニヤとしながら「聞きたい?」なんて聞いてくる。当然興味をそそられた私は即座に頷いていた。何があったんだろう。期待に高まる感情は顔に現れたらしく、狩屋君が耳貸せ、と手招きしてきた。「いいか、誰にも言うなよ?」「言わないって」それなら教えてやるよ、と至極楽しそうな狩屋君の口元が耳元に近づく。
「春が来たんだ」
「春?…あ、えっ、狩屋君に!?」
「バカ俺じゃねえよ!」
「いっ、耳元で叫ばないでよ!…えー、じゃあ誰?」
「聞いて驚くなよ?」
「天馬君に、彼女が出来たんだぜ」
――――なあに、それ。
**
言葉を失った私に狩屋君は驚いただろ、と楽しそうに笑った。多分、半ば放心状態だったけれど私はそうだね、と。驚いた、と。そんな言葉を返したと思う。
ざわざわと嫌な音が耳元で鳴り響いていた。違う、違う。そんなはずない、そんなはず――……「天馬君」なるべくいつも通りに、柔らかな物腰で。なあに、と振り返った天馬君の笑顔はいつもより嬉しそうに見えた。普段ならどきどきと音を立てる心臓も、今日ばかりはばくんばくんと、嫌な音を響かせている。お願い天馬君、否定して。お願い、どうか…狩屋君の見間違いでいて。
「天馬君、彼女出来たって聞いたけど」
「え、え、ええええ!?なんで名前そのこと知ってるの!?」
あ、本当なんだ。
狩屋?と問われたからさあねー、と。声が震えていた事には上手い具合に気がつかれなかったらしい。「告白されたんだ。俺、まだそういうのよくわかんないけど…」やっぱり天馬君はまだ分からないんだ。じゃあなんで、どうして?
「でもね、俺にそんな気持ちを向けててくれたって事が嬉しかったんだ。俺はサッカーも大事だけど、それでも良いって言ってくれたし…へへ」
こういうのって照れるんだね、なんて言いながら頭を掻く天馬君を見つめていると、どうしたのと不思議そうな顔で見上げられた。なんでもない、なんでもないんだよ天馬君。ただひたすらに後悔をしているだけなんだよ。
天馬の裏切り者ーっ!という声が響いて西園君が天馬に突っ込んでいった。西園君とはしゃぎはじめた天馬君の視界に私はもう映らない。そっと教室を出ると途端に駆け出していた。立ち入り禁止になっている階段に置かれたポールを乗り越え、鍵の掛かっている屋上の扉の前で座り込む。ああどうか、今から吐き出す言葉が誰の耳にも届きませんように。
「好き、好きだよ天馬君……そんな子よりずっと、私の方が天馬君を好きだよ!私が、私が言えばそんな風に返してくれたの?その子はやっぱり特別なの?別れて、別れて…!別れてくれないと私、私、おかしくなりそう!嫌、嫌、嫌あああああ!天馬君!天馬君!好き、なのに……好きなのに、なんで、……言えなかったの」
自分で思っていた以上に私は、天馬君の事が好きだったらしい。今私のなかに残っているのはより一層強くなった天馬君への好きだという気持ちと、言えなかった後悔と、名も知らぬ天馬君の隣に居られる権利を勝ち得た少女への敗北感。
――天馬君は優しい。
きっと大切にされるんだろう。きっとたくさんの幸せを得られるのだろう。ああ、どんなに後悔をしてももう何もかもが手遅れだ。
臆病者の末路
(2013/12/29)
企画より水渡様へ捧げさせて頂きます。リクエストありがとうございました!
切ないものと聞いて、片思いで終わる感じのものを想像しましてこうなりました。伝えられなくてひたすら後悔する→臆病故に言えない、みたいな。最初思うがままに書いていたら死ネタになってしまった、短編の方に放り投げた方もコンセプトは一緒です。お好みでなかったらごめんなさい;;切ないを履き違えているかもしれないです。
ご参加本当にありがとうございました!
(本人様のみお持ち帰りが可能です)