BAT ROMANCE


謎の男、一人<05>


 アガトルテは成人男性の平均か、それ以上には体格は良い。いくら体格に差はあっても、酔っぱらったアガトルテの身体を支え歩くのは骨が折れるだろうに、ガルドレッドは然程苦も無く歩いていた。
 酔っているとはいえ、意識が無くなっているわけではなく、鈍くなっているだけのアガトルテには、あやふやな思考の片隅でも、今、誰に支えられているかくらいは分かる。

「……ガルドレッド、さん」
「何かね?」
「すみま、せん。俺、酒に弱くて、……ご迷惑を」
「こんなもの迷惑の内に入らん。やたらと愛想を振りまくわりに警戒心が全くないことの方が、よほど迷惑だ」
「すみません……?」

 よく分からないことを怒られている気がするが、謝った方が良いと謝罪を口にすれば「分かってないだろう」と叱咤が飛んだ。
 それから暫く沈黙が続いたが、ガルドレッドがその沈黙を破った。

「そう言えば、蝙蝠がいなくなったと、聞いたが」
「……はい」

 その話を振られて、アガトルテは途端に気持ちが暗くなった。あの可愛い蝙蝠は、どこへ行ってしまったのだろう。10日も一緒に過ごしていないのに、いないことが寂しかった。野生に戻ったのであればそれを喜ばねばならないのに、どうしたって、アガトルテは手放しに喜ぶことができなかった。
 そう訥々とアガトルテは独り言のように話した。それを、アガトルテを支える男は黙って聞いていた。

「ずっと、一緒にいたかったのに、」

 ぽつりとそう呟いたとき、ぐ、と腰を抱く力が強くなった。それに思わず顔を上げると、赤い目がアガトルテを見下ろしていた。
 その怖ろしいほど美しい赤に、アガトルテは息を呑む。見たことのある色だった。

「ガ、ル……?」
「……会いたいか」
「え、」
「一生、共にありたいか?」

 赤い目をした小さな蝙蝠に問いかけられているような錯覚を覚え、アガトルテは呆然としながらも、その問いに答えるべく口を開いた。

「……会いたい。できるなら、一生共に、いてくれ」

 アルコールのせいか潤んだ視界に、にい、と吊り上がった男の口元が見えた。その口角の端からちらりと何かが見えた気がしたが、アガトルテにはそれが何なのかは分からなかった。

「―――良かろう」

 ぞくり、とアガトルテの背筋に悪寒が走る。それを察したかのように、大きな掌がアガトルテの背を撫でた。
 くらり、とアルコールに侵された身体が揺れる。しかしその身体を支える屈強な腕のおかげで地面に倒れ込むことは無かった。
 アガトルテのぼんやりとしていた意識が徐々に、徐々に、落ちて行く。

「着いたぞ」

 その言葉に、重たい首を動かして顔を上げれば、確かに見覚えのある家が見えた。

―――ああ、帰って来た。

 ぽつり、と心の中で呟けば、気が抜けたようにアガトルテの首がかくんと落ちた。急速に失われて行く意識の片隅で、自分の身体がふわりと浮いた心地がした。
 



 それまで、ふらつきながらも何とか自力で立っていたその身体から一気に力が抜けたのを感じ、ガルドレッドは支えていたアガトルテの足裏に腕を通し、抱き上げた。
 そして横抱きにしたアガトルテの顔を見下ろして、ふむ、と頷く。

「寝たか」

 ガルドレッドは、家の敷地内に我が物顔で入り、玄関前に立つ。すると、がちゃり、と錠が開く音がして、家の扉は来訪者を歓迎するようにゆっくりと開いた。
 アガトルテを抱き上げたまま中へと入れば、バタン、と背後で扉は閉まり、施錠される音がした。
 コツコツと僅かに靴音を響かせながらガルドレッドが歩き出すと、薄暗かった廊下にぼんやりと明かりが灯る。その灯りは、廊下を進み、二階へと続く階段へと続いている。
 ガルドレッドはその灯りの続く廊下と階段を進み、ある一室の前に立ち止まった。
 その扉もまた、玄関と同じように、まるで見えない誰かが主の為に恭しく扉を開けたかのように、開かれた。

 ガルドレッドは何の躊躇いもなくその部屋へと入る。
 一つの大きなベッドと、クローゼット、棚が置かれた簡素な部屋は、ガルドレッドの腕に抱かれたこの家の主の寝室だ。

 ガルドレッドはベッドまで進むと、アガトルテをそこにそっと置いた。
 アガトルテはむずがるように眉を寄せたが、アルコールが回っている為か、目を開けることは無かった。

 整った造作とは言え、けして女性的では無い美貌の青年の寝顔をじっと見つめるガルドレッドは、その指で慎重に青年の前髪を払う。
 それから頬を撫で、ゆっくりとその首元へと顔を近づけた。

「……この匂いは、酷く私を誘う。初めてだぞ、ここまでのものは」

 くつくつと笑い、ガルドレッドはゆったりとその口を開いた。きらりと煌めくは、普通の人間のものとは思えないほど長く鋭利な牙だ。
 大きな手でアガトルテの力無くベッドの上に投げ出された手首を押さえつけた。
 女性ほど細くはないが、ガルドレッドよりは華奢な首にそっと牙をあてがった。その時だ。

「ん……」

 アガトルテが小さく呻いたことに、ガルドレッドの動きが一瞬止まる。しかし、その行為を止める理由など無かったガルドレッドは気を取り直したように、押し当てた牙をそのまま首筋へと差し込もうと、力を込めた。

「ガル……」

 ぴたり、とガルドレッドの動きが完全に止まる。しばしの沈黙の後、ガルドレッドは肩を竦めて、アガトルテの首筋に押し付けていた牙をそっと離した。
 それから、顔を上げ、間近にあるアガトルテの顔を見下ろして深々と溜め息をついた。

「……間の抜けた顔とは、このことだな」

 ほんのりと口元を緩め、どこか幸せそうに、アガトルテは名前を呼ぶ。あの小さな蝙蝠の名を。

「……ふん」

 ガルドレッドは、傍らにあった椅子を引きよせ、そこに腰を下ろして足を組む。
 組んだ足の上に頬杖を突き、ガルドレッドは赤い眼でアガトルテを見つめた。

「……一生、共に。その言葉は、盟約である。嘘偽りはあってはならないぞ、アガト」

 そう厳かに告げたガルドレッドは目を伏せ、またもや溜め息をついた。

「そして、私がお前に言ったこともまた、盟約だ。私はそれを破りはしない」

 そして次の瞬間には、その場に大柄な銀髪の男はいなかった。
 ただ一匹、椅子の上にはちょこんと蝙蝠が鎮座しているだけだ。
 赤い目を理知的に煌めかせた蝙蝠は、小さく羽ばたき、アガトルテの顔の横に降り立った。
 蝙蝠は、小さな指で青年の目の下をそっと撫でた。うっすらと黒くなってしまっている隈は、以前にはなかったものだ。
 蝙蝠はまるで呆れたとばかりに小さく鳴くと、こてんと枕元にその小さな体を横たえた。

 アガトルテを見つめる赤い目は、数度瞬いた後にゆったりと閉じられた。



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2017.4.9〜
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