ドラゴン、ペットを寝床に放り込んでみる

 果実をどうにか食べ終えた人間は手を中途半端に持上げてきょろりと周りを見渡した。
 そして、ヴァイツに向かって小さな声で尋ねてくる。

「手、とか、洗う場所はあるか?」

 その言葉に、ヴァイツは気を良くする。
 果実の液は甘ったるくべたべたしている。そのまま寝床に入られたら不快極まりなかったのだ。
 洞窟の、寝床とは別の横穴に向かいのしのしと歩いていったが、後ろの気配が動かないのに気付いて振り返る。
 人間は、戸惑ったような顔でヴァイツを見ていた。
 人間の腹を緩く尾で巻き、軽く引き寄せた。よたよたとよろける人間から尾を外して、軽く地面を叩いた。

「……ついてこいってことか?」

 ぐう、と唸りまたのしのしと歩き出せば、今度はちゃんと人間がついてくる。
 そうして辿り着いたのは、ヴァイツの顔の2倍ほどの大きさの泉だった。
 これは、魔王がヴァイツの飲み水として、常に清潔で新鮮な水が湧くよう魔術を施して作ったものだ。
 後ろからついてくる人間の背を尾で押せば、人間はよろよろと泉の前に押し出された。

「ここで、手を洗って良いのか?」

 そうだ、という意味を込めて見返すと、人間は少し迷った様子を見せたあと、ジャブ、と泉に手を突っ込んだ。
 そして、十分に濯げたと思ったのだろう、人間は水から手を引いた。
 濡れたその手を、生温い風を作り出して乾かしてやれば、人間は驚いたように目を丸くした。

 「すげぇ……って、うわ?!」

 尾で人間を持ち上げ、のしのしと奥の寝床へと向かう。
 そして、寝床へ人間を放った。ぼふん、と毛皮と羽根に埋もれた人間が、何とか立ち上がろうとする上からある物を落としてやれば、それに潰れて再び人間は毛皮の海に埋もれた。

「何なんだ、いったい……」

 自分の上に落とされた物をどかして、人間が戸惑った顔でヴァイツを見上げた。
 そしてヴァイツの金色の目が見ているもの、自分がどけた布の塊を見て目を丸くした。

「これ……服、か?」

 ヴァイツの視線を意識しているのか、ちらちらとヴァイツを伺いつつも、人間は布の塊を広げた。
 それは、淡い朱色のゆったりとした服だった。
 餌を探してくる前に、人間が小さくくしゃみをしていたことを思い出したヴァイツは、人間の着ている服がお世辞にも暖かさを提供してくれるとは思えないほど薄く、そしてぼろぼろだったということも芋蔓式に思い出し、ミルドレークに服を用意して貰ったのだ。
 人間に風邪を引かれては困るから暖かな服をくれ、という旨を正しく理解したミルドレークがすぐに用意したのがその服だった。
 色々施しておいたから、という不穏なことも言っていたが、ヴァイツにとってはどうでも良いことだ。
 着て良いか、と遠慮がちに問う人間に、小さく鳴けばそれを了承と捉えた人間はゆっくりとぼろぼろの服を脱ぎ始めた。

 着替える人間を、ヴァイツは少し物珍しげな気持ちで見つめる。
 魔族の裸体はそこそこ見慣れているが、人間の裸体はなかなかお目にかからない。
 そもそも、ヴァイツと遭遇した人間の3割はさっさと逃げ出し、7割はさっさとヴァイツの腹の中に収まるので、人間自体を間近で観察すると言うことが無かった。
 肌の色は、ほどよく日に焼けてはいるものの、白い。少なくとも、褐色の肌のミルドレークよりは白かった。
 そして、予想外にも身体はそこそこ鍛えられているようで、腹筋は割れているし、腕や腿も引き締まっていた。
 なるほど、手加減していたとはいえミルドレークから逃げる足の速さがあるのは納得だ。と言っても、予想よりは、という具合でヴァイツからすると軟弱なのは変わりない。
 傷一つ無い綺麗な肌なのは、先ほど治癒効果のある湯に浸かったからだろう。
 だが、いくら治癒効果があるとはいえ、血色の悪さは変わらなかった。
 果実の食いっぷりの良さからも、ろくなものを食べていなかったのだろう。
 人間は、ヴァイツの視線が気になったのか、ちらりとヴァイツを見た。
 そして目が合うと、狼狽え視線を彷徨わせる。「相手はドラゴンだってのに……くそ」と小さく呟く人間の気持ちなど、ヴァイツには分からない。
 服を着替えるのにそこそこの時間がかかったのだが、ヴァイツはその間一声も唸らず静かに人間を見ていた。
 そして着替え終えたのを見て、人間が脱ぎ捨てた服をおもむろに尾で捉えた。
 そしてぽいと後ろに放ると、振り向き、軽く火を噴いた。人間が先ほどまで着ていた服は、すぐに火がつき灰と化す。
 ぽかんとしている人間など気にもとめず、ヴァイツはふんと鼻を鳴らした。
 人間が着ていた服には、効果は薄まりつつあったものの、何かしらの魔術が施されていた。
 何の効果かは興味はないが、ミルドレークの魔力ではなかったのは確かで、知らない魔力が側にあるのはやや不愉快だったのだ。
 尾を振るい、灰を払うように地面を叩けば、灰は風圧によって出入り口の方へと浚われていった。
 これで良い。
 満足して、ヴァイツはその巨体を揺らし寝床へと足を踏み入れた。ふわり、と羽根が数枚舞う。
 人間は突然近寄ってきたヴァイツにぎょっとして身を固まらせたが、ヴァイツが人間を踏まないように側を通り過ぎ、座り込んだのを見て、安堵の息をもらした。
 尾を丸め、身体も丸めて、ヴァイツは寝心地の良い場所を探す。そして、くわ、と大きく口を開いた。ヴァイツはとても眠たかった。

 人間はと言うと、途方に暮れたように立ちすくんでいた。
 だが、明らかに眠る体制に入ったヴァイツを見て、ごくりと唾を飲み込むと、ヴァイツから少し離れた寝床の隅におそるおそる座った。
 じっとヴァイツを見ていた人間だが、しばらくすると、膝を抱えて小さくなった。
 更にしばらくすると、膝に顔を埋めて、震える声で小さく呟いた。生きてる、と。

 それが歓喜故の言葉なのか、悲観故の言葉なのか、ヴァイツには判断が付かない。
 しかし、ヴァイツはすぐに考えるのをやめた。
 眠かったし、何よりどうでも良かったからだ。

 もう一度ヴァイツが欠伸をすると、それまで洞窟内を照らしていた壁の火が掻き消える。

 完全な暗闇となった寝床で、ドラゴンの金色の目は数度瞬いたかと思うと、ゆったりと消えていった。


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ドラゴンのペット

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2016.10.31〜