ドラゴン、ペットを洗ってみる
人間も魔族も、魔物さえも滅多に立ち入らない山の頂上付近の崖には、ヴァイツが住処とする穴がある。
小さな丘ほどある体躯のヴァイツが入っても余裕があり、なおかつその巨体がぶつかったとしても崩れ落ちないほど頑丈なそこは、今や魔王と称され崇拝される存在に作ってもらった場所だ。
その洞窟の入り口に降り立ったヴァイツは、背中に乗せた存在を尾で巻いて地面に置いた。
まだ気絶しているようで、ヴァイツは呆れる。人間という種族は、本当に弱い。
ペットと言うからには、寝床も用意してやらなければならないのだろうが、今から寝床になる素材を集めてくるのは面倒だった。
洞窟の奥にある自分の寝床に放り込むか、と改めて人間を見て、低く唸った。人間は血にまみれ、ぼろぼろに汚かった。
ヴァイツは綺麗好きである。
住処で寝る前には、すぐ側にあるクレーターに溜まった水で水浴びをするくらいには綺麗好きだ。ちなみにそこの水はミルドレークお得意の魔術で常に綺麗に保たれている。
ヴァイツは人間に牙を食い込ませないよう、そっとくわえると、のしのしとその水たまりまで歩いていった。
そして、人間を地面におくと、水たまりに向かって火を吐きだした。それは絶妙な火力だった。水を蒸発させるわけでも、沸騰させるわけでもない。仄かに湯気が上がるくらいまで温めたそこに、ヴァイツは人間をぽいと放った。
ばしゃん、と水しぶきがあがる。じたばたと、手足が暴れているのが見える。
しかしどうにも顔があがってこない。
人間は、水の中でも息が出来るのだったか、と疑問が浮かんだが、段々と暴れる手足の勢いがなくなっていくのを見て取って、はたと思いついた。
このクレーターは、ヴァイツが足を折り畳むと丁度背中がつかる程度の深さだ。つまり、ヴァイツの体長に到底及ばない人間の足が底につくはず無いのだ。
仕方のないペットだ、とため息をついて、長い尾を湯の中に突っ込んだ。そして、人間を尾で巻いて持ち上げる。
「げほ、ごほっ、な、なんだってんだっ……!!」
びしょぬれになり、殆ど布切れと化している服を肌に張り付かせた人間はそう怒鳴ったが、目の前にヴァイツがいるのに気づき途端に口をつぐんだ。その身体がかたかたと震え出す。
ヴァイツは大人しく固まった人間を尾で巻いたまま、その湯の中にのそりと入った。
ざばん、と水面が揺れ、湯があふれ出す。その湯に浸かったとたん、ほんの少し疲れていた身体が全快する。そういう魔術が施された水なのだ。
ヴァイツは、人間を巻いたままの尾をゆっくりと湯に沈めていく。
先ほどまで溺れていたからか、人間が巻き付く尾から逃れようと身をよじるがその抵抗はヴァイツにとっては虫に刺される程度のものだ。
ざぶり、と尾が沈み、人間は思わずというふうに巻き付く尾にしがみついた。
そして、ぎゅっと堅く目を閉じているのをヴァイツは何となく眺める。人間はいつまで経っても溺れないことを不思議に思ったのか、おそるおそる目を開けた。
湯に肩まで浸かった人間は、戸惑うようにヴァイツを見た。その目には確かな恐怖が宿っている。ヴァイツにとってはどうでも良いことだ。
「あったけぇ……し、怪我が、治ってる……?」
人間が言うとおり、人間の身体にあった無数の傷は完治していた。
ぐるる、と湯の気持ちよさに小さく唸れば、びくりと人間が肩を振るわせた。
しかし、ヴァイツが特に何もしてこないのを見ると、じっとヴァイツを見つめてきた。ヴァイツは見られていることには気付いたが、湯を味わう方が大事だと目を細める。
体温の変わらないヴァイツは、水浴びよりもこうして湯に浸かる方が好きだった。
水が冷たいと、眠くなるし、感覚も鈍るのだ。そんなときに襲われたらたまったものではないので、水浴びはむしろ嫌いだった。
「なんだこれ、どういう状況だ?なんで、俺、ドラゴンと温泉入ってんだ?」
人間は、ぶつぶつと呟き始める。状況を整理しようと必死なのか、あーでもないこーでもない、と頭を抱えている。
そんな人間に、答えを返してやれる器官をヴァイツは持っていない。
「あの魔族、俺をこいつのペットにするとか言ってたな……いったいどうなってやがる。俺はあのとき、もう死んだって、食われるって思ったのに何だってんだ、これ。意味分からねぇ。大体、こいつ、ペットって意味分かってんのかよ。俺、非常食とかだったら笑えねぇ、ぞ、…………」
あれだけ怯えていたのに、今やヴァイツの尾を椅子にし湯に浸かる人間だったが、しばらくしてその呟きが途切れた。
気持ちよさにうとうとしていたヴァイツが人間を見てみると、顔を真っ赤にして、くたりと尾にもたれ掛かっていた。
どうやら、のぼせたらしい。
人間は軟弱だ。
そう心の中でぼやいて、ヴァイツはのそりと湯から立ち上がるのだった。
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2016.10.31〜