ドラゴン、ペットの夜鳴きに悩む
「あれだけ寝てるのに、まだ眠いのか」という人間の言葉は、ヴァイツとしても予想外に、腹のたつ言葉だった。
誰のせいで、安眠が妨げられているのか、全く分かっていない人間が憎たらしい。
人間は気づいていないようだが、飼い初めてから毎夜、夜鳴きが酷い。
寝床の隅で小さくなって眠る人間は、時に大きな声で何事か喚き、時に小さく悲壮な声で鳴く。
何度、夜中に起こされたことだろう。何度、その喉を潰してしまおうと思ったことだろう。
実際その喉を鋭い爪で抉ってやろうかと行動に移しかけたこともあった。だが、ぼろぼろと目から水をこぼす様を見れば、その気も失せた。
結局、夜鳴きが収まるまで、暗闇のなかじっとしているのがここ数日続いていた。
ヴァイツは眠るのが好きだ、と周囲の者には思われているようだが、真実は少し違う。
眠るのが好きなのは確かだが、それ以上に、眠ることをヴァイツの体が欲しているのだ。
それはおそらく、燃費の悪いヴァイツの巨体のせいだ。
まず、普通に生活しているだけで相当のエネルギーを使う。それに加えて、魔力の使い方が下手くそで、必要以上の魔力を無駄使いしてしまう傾向にあった。
元々備えている魔力量が桁違いのため魔力が尽きるということはないが、それでも使わなくて良い魔力も消費してしまい、結果、ヴァイツを睡魔が襲う。
今までは、自由に眠ることができたから問題はなかったが、ペットに安眠を妨害されているこの数日は違う。日々、疲れが溜まっていくのだ。
どれだけ治癒効果のあるあの湯に入ろうが無くならない疲労感に、ヴァイツは苛立ってた。
緑が鬱蒼と生い茂る森のなか、ヴァイツの巨体が余裕で収まるほどの広さのある場所を見つけて降り立った。
ドスン、と荒々しく地面に足をつけたヴァイツは、足元の草を踏み慣らす。丁度良い昼寝場を見つけたからには、さっさと眠るに限るのだ。
その場に伏せるように座ると、身体を丸めて顎を地につけた。金色の鋭い目が、とろりととろける。ぱちぱちと数度目を瞬かせ、そのままゆったりと目を閉じる。つもりだった。
「ーーードラゴンだっ!」
不躾な安眠の妨害者さえ現れなければ。
噛み付きへし折った大剣の半分を、くわえた口から離すと、それは地面へと落下した。ざくり、と土に刺さったそれは最早剣ではなくただの鉄の塊だった。
ひゅうひゅうと、歪な呼吸音が聞こえる。その呼吸の主は、小柄な人間の雄だった。
全身を血で真っ赤に染め上げたそれは、恐怖と苦悶の表情を浮かべていた。「死にたくない」とその口から漏れた声は、掠れ濡れている。
無造作に動かした尾がしなった。何かがひしゃげた音がしたが、ヴァイツとしてはどうでも良かった。
誰かの名前を叫んだ他の人間の雄が、憎悪を込めた目でヴァイツを見た。
殺してやる、という愚かしい言葉を吐いたそれを、ヴァイツは静かに見つめた。そして、ゆったりとした足取りで、それに近付いた。
奇妙な方向に曲がった腕を何とか動かして、地面を這うように逃げるそれを足で押さえつける。
叫び声をあげるそれに、黙れという意味を込めて体重をかければ、ぼきりと何かが折れた音がした。
ぐるる、と喉の奥が自然と鳴った。辺りに充満する血の臭い。倒れる人間の数は6。全て地に伏せ、既に息がないものもいる。
どうやらその人間どもは、ドラゴンであるヴァイツが降り立つのを偶々見かけ、愚かにも討伐に来たようだった。
ヴァイツの足の下にいる人間の雄は、ドラゴンスレイヤー、という存在らしいが、本当にその名を名乗る実力があったのか怪しいものだ。
びくびくと痙攣する人間の雄から足をどけて、顔を近付ける。大きく口を開けても、人間の雄は逃げない。逃げられない。
数分後、ヴァイツはその場から飛び去った。飛び去る前にちらりと下を見れば、昼寝をしようとしていた場所には夥しい血がぶちまけられていた。
その血の臭いにひかれてか、魔物が数匹姿を現していた。しかし、目当てのものが見つからないのか、うろうろとうろついているだけだ。
ばさり、と一際大きく羽ばたいて、より高く飛び上がる。その動きに合わせて、ごろりと腹の中で塊が動いたような気がした。
そのままゆったりと旋回し、そしてヴァイツは帰路につく。その途中、視界の端にあるものを捉えて、寄り道をした。
寝床の崖の洞窟の入り口に降り立つと、その羽音が聞こえたのか、奥からばたばたと人間が走ってくるのが見えた。
「ど、どこ行ってたんだよ……」
びくびくと怯えつつ、どこか不安げな顔をして寄ってきた人間を一瞥し、ヴァイツは洞窟へと入っていく。立ち竦む人間を軽く尾で小突くと、人間はよろけたあと、ヴァイツのあとを小走りで追ってくる。
魔族や人間が使用するような調理道具が置かれている穴に入り、そこでヴァイツは立ち止まる。そして、大きなテーブルにくわえていたそれを落とした。人間はそれを見下ろして困惑した。
「ウサギ?……もしかして、俺に?」
ぐう、と鳴けば、人間はその既に死んでいる小さなウサギをじっと見て、人間は呟いた。
「もしかして、甘いのが飽きたって言ったからか?」
伺うように見上げてきた人間が「でも、自分のはどうしたんだ?」と訪ねてきたが、ヴァイツはそれに対して一度ぴしりと尾を振るだけだ。その意味を計りかねた人間は、困ったような顔をする。
「何を言ってるか、分ければいいんだけどな」
たとえヴァイツが人間の言葉を今話せたとしても、口をつぐんでいただろう。
何となく、目の前のペットに、先程のことは言う気になれなかった。
少しずつ消化されているだろう腹の中の塊が、再びごろりと動いたような気がした。
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2016.10.31〜