奇妙な隣人





 軽く押されて背中が壁についたと同時に、ドンッ!と壁に穴が開きそうな勢いで俺の顔の横に手をついた赤い髪の男は、鋭い眼光をぎらつかせ獰猛に笑った。

「……見たな?」

 男は空いた片手に持ったそれを、近くに持ってきてひらひらと動かす。それをちらりと見れば、男は凶悪な笑顔のまま、顔をずいと近づけてきた。

「見たよな?」
「ああ、見た」

 嘘をつく必要もないと感じたので、そう答えて、俺は腕を組んで男を見返した。俺の目と、男の目が交差する。

「………」
「………」

 無言の時間がしばらく続く。かと思えば、赤髪の男は目をそらして、ぐっと唇を引き結んだ。眉間に皺が寄り、元々凶悪な顔がますます凶悪になる。しかしその目には僅かに怯えの色が走っているように感じて、俺は男の手にあるそれを指さして口を開いた。

「隠してたのか、それ」
「当たり前だろーが!こちとらこの道に踏み込んで10年、家族以外の誰にも悟らせたことはなかったんだ!」
「それなら共同で使うリビングのテーブルに堂々と置くのはやめとけ。初歩的なミスだろ」
「はあああ?!そりゃおまえのせいっ」
「俺は何もしてない」

 何もしてない、はずである。
 というか、俺が何をすれば、この真っ赤な髪の同級の男は、共同のリビングに男同士が抱き合っている表紙の薄い漫画を置くことになるのだろうか。
 ありもしない罪を被せられそうになった俺は、今に至る過程を軽く思い返してみることにした。



 宮坂将宗、という些か古風な名前を持つ俺であるが、あと数日で高校生になる少し大人びた容姿を持つ至って普通の15歳である。
 少しばかり周りよりも勉強が出来たので、教師に勧められるがままに受けた高偏差値の全寮制男子校にうっかり受かってしまったために、今日から親元を離れて3年間寮生活を送ることになった。
 地元の友人からは「女が一人もいないむさい空間で3年間ざまあああイケメンシネ!」と何とも言えない罵りを受けたが、学校内に女がいなくても外に出ればいるわけで、俺としてはそう悲観的な思いはない。
 それどころか、特待生枠で入ったので、授業料と寮の家賃は免除、食費もある程度の上限はあれど出して貰えるという待遇の良さにはむしろありがたさを感じている。
 我が家は貧乏ではないが、金持ちでもない中流階級なのである。
 両親が共働きと言えば金がありそうなもんだが、会社員の母と、趣味の域を越えない赤字でなければ良しなカフェのオーナーな父なのだから、お察しだろう。母がキャリアウーマンなだけマシだ。
 学校の生徒の約9割は金持ちらしく価値観の違いがありそうではあるが、たった3年過ごすだけなのでこれもそう気にはならないだろうし、俺としては受かった男子校に通うことに何ら問題はなかった。

 そして3月の下旬の今日、俺は山奥にある男子校の寮に入ることとなった。
 どうやら寮は二人部屋らしく、特待生であってもそれは変わらないらしい。
 寮の管理人から鍵を受け取る際に、俺の部屋番号を見て顔をしかめ、俺をじっと見て「まあ、君ならファン的に問題ないでしょ。顔的にも体格的にも。あとは本人だけどくれぐれも殴られないようにね」と不穏な言葉を吐かれたのは気になったが、必要以上に気にしても仕方が無さそうだったのでとりあえず頭の片隅に置くだけにした。
 部屋に向かう最中に、やたらと熱い視線を感じたので「ホモが多い」という噂はあながち間違って無さそうだった。
 3年間この視線の中で生活しなければならないと思うと気分も下降するが、特待生の特典を考えれば我慢すべきことなのだろう。世の中美味い話ばかりではない。

 これから3年間過ごすことになる部屋である、507号室の表札には「宮坂将宗」と「城島隼人」の二つの名前が上下に並んでいた。
 どうやら、城島というのがこれから3年間生活空間を共にする相手の名前らしい。寮の管理人の言葉を忘れていたわけではないので、出会い頭に一発殴られる可能性が無いこともない、というのを念頭に、とりあえずインターホンを押した。
 数秒の後にぶつりと歪な音がして、「なんだ」と機械を通してでも分かる不機嫌そうな低い声がしたので、「同室の宮坂だ。入っても良いか?」と告げれば、何故かどたばたと慌ただしい音がしたあとに「か、勝手にしろ!」と何故かどもった声が返ってきたので遠慮なく部屋に入ることにした。
 余談だが、この寮の部屋はすべてカードと指紋認証、管理人から受け取った鍵で開くようになっているらしい。ちなみにカードは学生証と電子マネーの役割も持っているとのことだ。庶民である俺からすれば厳重なセキュリティだが、この学校にはいろんな立場の金持ちの子息が集まっているので、必要な措置なのだろう。

 鍵を開けて中に入れば、広い玄関と、そこから続く廊下が目に入る。廊下の奥には曇りガラスの窓がついた扉があった。
 鍵とカードをポケットにしまい、靴を脱いで廊下を進み、扉を開ける。

「っ……!」

 リビングらしいそこには、真っ赤な髪の男が目つきの悪い三白眼を丸くさせて立っていた。俺とほぼ同じくらいの身長だが、体格はおそらく相手の方が良い。
 おそらく、この男が同室者である城島隼人だ。

 髪の色、ゴツいピアス、じゃらじゃらとしたシルバーアクセサリー、整っているが迫力のある強面。
 同室者は不良だった。

「おまえが城島か?」

 見るからに不良とはいえ、地元の友人にも不良はいるので免疫はある。一目見た瞬間に殴りかかってきたわけでもないので、普通に話しかけたが、城島は無言だった。

「……おい?」

 もう一度声をかけると、城島はハッと目を見開き、その眉間に深い皺を刻んだ。そして、その三白眼で俺をじろりと観察するように見たあと、顔を背けて言った。

「テメェの荷物は全部、部屋にある。右だ」

 リビングから見える扉は全部で4つ。玄関へとつながる廊下への扉、リビングに入って右側に一つの扉、リビングの奥に二つの扉が並んでいる。どうやら、城島が言っているのはリビングの奥の扉のことのようだ。
 なるほど、と浅く頷けば、城島は踵を返し左の扉の方へと歩き出した。そして、その扉に手をかけた城島は、首だけ振り返って俺を見てにやりと笑う。

「良いか、俺は干渉されんのが死ぬほど嫌いだ。だが、干渉さえしなければテメェがナニしようがどうでも良い。男連れ込もうが、な」
「それは無い」
「ハ、どうだかな」

 そうして、扉はぱたりと閉まった。
 何だか妙なことを言われたが、まあとりあえず奴には干渉しなければ殴られることもなさそうなので、その言葉通りにしようと思う。
 そもそも俺はあまり友人作りに熱意を注ぐタイプではない。というか、自ら他人と交流を取るタイプでもないのだ。

 俺もさっさと荷解きをしようと右側の部屋に向かいかけたところで、視界の端に何だか煌びやかな色が映った。
 テレビとソファの間にある、ローテーブル。その上に、冊子が一冊無造作に置いてあった。

「なんだこれ」

 おそらく、城島のものだろう。手に取り裏返してみれば、そこにはベッドの上で絡み合った半裸の男二人が描かれていた。

……おそらく、城島のものだろう。

 俺はそっとその薄い冊子をローテーブルに置いた。と、同時に、バタンと大きな音を立てて扉が開いた。

「ま、待て待て待て、テメェ、それっ、見、」
「……あ」

 俺と、ローテーブルに置かれた冊子を交互に見て、城島は一瞬黙り込んだかと思うと、無言でこちらへと歩いてきた。
 その迫力と威圧感は、刺激すると途端に爆発しそうだったので、意味はさほど無いと分かりつつ俺は両手を上げて後退した。
 そんな俺を壁際まで追い込んだ城島は、そのゴツい手を俺の顔の横の壁に勢いよく叩きつけた。

「……見たな?」

 これが、俺の憶えている限りでの数分前までの出来事だった。



「やっぱり、俺は何もしてない」

 もう一度そう言えば、城島は何かを言いかけようとした口をぐっと引き結んだ。間近に見る表情から、反論の言葉が出て来ず口ごもってしまったのだと分かる。
 いくら整っていようが、強面の男の顔を間近に見ていても面白くもないので、城島が固まってしまったのを良いことに、その肩を押して城島の拘束から抜け出した。
 そして、城島の持っている冊子をトン、と指で叩けば、城島はびくりと肩を揺らした。

「見られたくないもんなら、しまっとけよ」
「あ、ああ……」
「それに、別に誰がどんな趣味でどんなエロ本持ってようが、俺には関係ないし、他人の趣味を言いふらすほど性悪じゃない」

 それだけ言って、俺は今度こそ右側の部屋へと向かった。

 割り当てられた部屋は8畳ほどの広さの一室だった。真新しいベッドと、何も置かれていない机、何も入っていない棚があり、床には数箱の段ボールが詰まれている。
 とりあえず荷解きをしようと段ボールを漁っていれば、一箱見覚えのない箱があった。衣類などが入ったほかの箱より少し小さいが、意外と重たい。
 こんなものを入れた覚えはないのに、と奇妙に思いつつ箱に貼られた送り状を見れば、確かに宛先にはここの住所と俺の名前が書かれていた。ただ、その字は殴り書きで汚い。そして俺の字でも、両親の字でも無かった。次に、送り主の名前を見る。

「……あいつか」

 送り主は、俺の地元の友人だった。それだけで、箱を開けるのを止めてクローゼットにしまっておこうかと思ってしまった。
 だが、開けなかったら開けなかったで五月蠅そうだ。少し逡巡した後に、段ボールを開梱した。

「あいつら……」

 開けてまず目に入ったのはA4サイズの一枚の紙だ。そこには、黒や青、赤など様々な色で、様々な筆跡の文字が、書き込まれていた。
 「女日照りの3年間開始ざまあ!!」「右手のお供を送ります。大事にしてネ!」「僕のおすすめのお菓子を送ります。」「俺の秘蔵のDVDを貸す。枯れるだろう3年間に乾杯!」「京都行ったお土産!」等々、好き勝手書かれている。
 その紙をどければ、エロ本やDVD、お菓子が沢山詰め込まれていた。京都土産らしい八つ橋に至っては、ここに来る前に貰って食べた覚えがある。おそらく買い込みすぎたものを送りつけてきたのだろう。裏を見れば賞味期限は明日だった。
 12個入りの八つ橋を明日までに完食するのは中々に骨が折れる。そもそも俺はあまり甘味が得意じゃない。だが、貰ったものを捨てる気にもなれなかった。あくまで賞味期限だから、数日は大丈夫だろう。

 粗方荷物を取り出し、クローゼットや棚にしまって、段ボールは折り畳む。そして部屋の脇に立てかけると、学生証のカードとスマートフォンをポケットに入れて部屋を出る。

 そして、顔を上げて一瞬固まってしまった。
 リビングに、城島がいた。ローテーブルの上に例の冊子を置き、ソファに座りテーブルに肘をつき、握った拳で口元を隠すという妙なポーズを取っていたのだ。
 静かに、微動だにしないその様子に、俺は声をかける気も無く部屋を突っ切ろうとしたのだが。

「ちょっと待て!」

 目つきの悪い目に睨まれ、そう呼び止められてしまえば、足を止めざるを得ない。渋々足を止めて胡乱げに見れば、城島は俺を手招きして、向かい側のソファを指差した。
 座れ、ということだろうか。それに従う理由もないが、かと言って無視する理由もない。それにこれから同じ部屋で過ごす相手だ、初日からいがみ合っても仕方がない。

「なんだ?」

 城島の向かい側に座り、そう尋ねれば、「まず一つ訂正がある」とどこか物々しげに城島は言った。

「訂正?」
「これはエロ本じゃねぇ」
「はあ」

 びし、と指差すのは、テーブルに置かれた冊子だ。二人の男が裸で絡み合う、やけにきらきらとした表紙だ。
 エロ本じゃない、と言われて、俺はその冊子の適当なページを開いた。小柄な男がケツを掘られてるシーンだった。

「エロ本じゃないのか、これは?」

 これがエロ本じゃなかったら、何をエロ本と言うのか。エロ本と言う存在の定義を疑いつつ尋ねれば、城島は拳を握り饒舌に喋りはじめた。

「ちげーよ!これは、BL漫画だ!!」
「びーえる……?」
「はああ?何だよその平仮名発音おまえイケボな上にセクシーイケメンなくせに可愛いとこあんじゃねぇかマジかよ。ああああ、くそ、伏兵がいた。マジか。王道新入生が同室だったら良いとか淡い期待抱いてたけどこれはこれで良い、許す」

 何やら許されたようだ。城島の変貌ぶりに流石の俺も戸惑っていれば、俯いてぶつぶつと呟いていた城島が突然顔を上げた。

「で、おまえ好みの男いたか?」
「は?」
「ここに来るまで、何人かとすれ違ったりしただろうが。この学園、顔面偏差値はやたらと高いからな。美人、可愛い、セクシー、男前、チャラ男、不良、何でもござれだ。ああ、平凡受けもいるからな。安心しろ」
「何言ってんのかさっぱり分からないが、俺は男に興味は無い」
「あーはいはい、皆最初はそう言うんだ。でも近い内におまえは立派なセクシーフェロモン攻めだ!」

 びしっと指差されて、そう宣言されても、俺としては何言ってんだこいつ、としか思えない。だが、否定しても怒涛の勢いで話されそうだったので、俺は「かもな」と適当に相槌を打っておいた。
 城島は満足そうに頷いたが、すぐに少し顔を顰めて、「本当に言わないか?」と聞いてきた。それはおそらく、この趣味嗜好のことだろう。

「言っても何もならないだろ。おまえがどんな趣味してようが、ホモだろうが俺としてはどうでも良い」
「いや、俺はホモじゃねぇ」

 俺は無言でもう一度冊子を開いた。男同士で濃厚にキスをしているシーンだった。そこを見て、城島を見た。城島は、その強面に微笑みを浮かべて「萌えるだろ?」と言った。その微笑みは正直、凶悪だった。

「……かもな。とにかく、他人が隠したいことを言いふらすほど悪趣味じゃない」

 その俺の言葉を信じたのだろう、城島はぱっと表情を明るくさせた。再度言うが、強面なので正直凶悪だ。

「おまえとは仲良くできそうだ!」
「あ、そう……」

 先程までの俺に触れると火傷するぜ的なつんけんした雰囲気は微塵も無かった。どうやら、城島にそこそこ気に入られたようだ。
 友人を能動的に作る俺じゃないが、かと言って敵を作りたいわけじゃない。特にこれから年単位でともに同室で過ごす相手とは、ぎくしゃくするよりは仲が良い方が良いに決まってる。
 なので、とりあえず俺は立ち上がり、尋ねた。

「八つ橋、好きか?」

 まずは何事も手土産からだ。


凵@凵@


 何だかんだで、同室者である城島とはそれなりに恙無く付き合ってこれた……と言いたいところではあるが。


「マサ!聞け!ついに、王道編入生が!来る!!!」

 自室で音楽を聴きながら雑誌を読んでいれば、ノックも何もなしに同室者の城島が勢いよく入って来た。おもいきり俺は顔を顰めているのだが、そんなこと城島には関係ないらしく、ベッドで寝転んでいた俺の腕をつかみずりずりと引き摺って行く。
 身長は大体一緒だが、体格は城島の方が良いので、されるがままだ。

 城島は俺をリビング連れて行くと、ソファに座らせた。その隣に座って、城島はやたらと目をきらきらさせて話し出した。

「来週の月曜日に、編入生が来るんだとよ!試験は満点合格、6月半ばの季節外れ、もうこれは王道だ!」

 1年間城島と同室ではあるが、正直こいつの趣味は未だにわからない。この1年で分かったのは、城島が腐男子と呼ばれる、男同士の恋愛を見たり聞いたりするのが趣味の男ということだ。
 そのBLとやらに関しては、熱弁される日々だが長いしよく分からないので聞き流すことが多い。
 しかし、その熱弁する内容のなかでも俺が珍しく覚えていたのは、王道編入生、転入生、というワードだった。

「あー……確か、不良と同室になって食堂で会長にキスされて殴って、役員には取り合われて親衛隊には襲われて最終的に会長か風紀委員長とくっつくあれか」
「ざっくりすぎだろ!でも大体あってる」
「へえ。本当に来るのか」
「ああ!」
「何年?」
「2年」
「ふぅん、同級か。なら、おまえ同室になんの?」
「……はあ?」
「おまえ不良だし、そもそも王道君とやらと同室になりたかったんじゃないのか?」

 王道か平凡受けと同室になって近くで萌えを見たかった、とか何とか城島が言っていた時期があったのだ。

「何でだよ。おまえ、俺と同室嫌なのか」
「何でそうなる」

 溜め息をつく俺を、城島の鋭い眼光がじっと睨み付けてきた。まるで探るようにじろじろと、城島は俺を見ている。

「……別に、俺はもう王道と同室になりたいとか思っちゃいねぇよ」
「そうか」
「あ、あと、マサは王道に近寄るの禁止だからな」
「はあ?」
「あー、あー……おまえは俺の推しメンだからな、王道に恋しても叶わないなんて可哀想な未来を歩ませたくねぇ」
「その王道とやらが俺を好きになってくれるかもしれないだろ」
「駄目だ!同担拒否!絶許!」

 バンバンとやたらとテーブルを叩く城島に俺は五月蝿いと溜め息をついた。

「最近、王道にもアンチやら非王道やらあるし、何が起こるかわかんねぇからな……セクシーフェロモン攻めが勝つパターンもあるかもだし、そもそも受けに転じる可能性が……」

 城島がぶつぶつと呟き始めるのはいつものことだ。これは暫く長そうだと思い立ち上がろうとしたが、それは叶わなかった。

「…………」

 何故なら、俺の肩を城島が抱いているからだ。男友達と肩を組むことはあるが、同じソファに隣り合って座っている状況で、肩を組むことなんて普通はあるのだろうか?

 城島は、BLは趣味なだけで嗜好は至ってノーマルだと断言していた。貧乳お姉様系が好きなのだそうだ。
 しかし、こうして日々接触が増えてきているのを考えると、俺も多少はケツの心配をすべきなのかもしれない。
 無意識にだろう、俺の腿を撫でる城島の手を見下ろして、俺は溜め息をついた。


END.