元王子です。今は、 後





「本当に行くのかい、ファル」
「ああ。兄貴もある程度歩けるようになったし。世話になったな」
「もっといてくれても良かったんだけどね」

 心からの言葉をくれる宿屋の女主人に、私は色々と彼女を騙していることに心苦しく思いつつ、ニッと笑った。
 そんな私の隣に立つ黒髪の男は、黙ったまま腕を組んでいた。女主人は彼にも目を向け、優しげに笑って言う。

「クロノスさん、まだ本調子じゃないんだから気を付けなよ」
「……ああ」
「まったく、相変わらず不愛想だねえ!あんた、本当に弟には感謝しなよ!死ぬかもしれない大怪我を負ったあんたを、命からがら必死こいてここまで連れて来たんだから!そのあともあんなに一生懸命看病して……一見顔が良いチンピラだってのに、よくできた弟だよまったく」

 これでも一応王族なのだが、と頬が引きつりそうになるのを押さえて「ひでぇなー」と私は笑った。

 王子であると気付かれないようにしなければ、と考えた挙句に参考にしたのは、身近な兵からこっそり聞いたり、学園にいた頃偶然少し知り合ったりした“冒険者”だった。
 ギルドという組織に所属し、魔獣を狩ったり未知の領域を探索したり宝物を探したりと、まさに世界を旅することを夢見ていた私にとっては憧れの職業だった。
 万が一国を出ることがあれば冒険者になりたいな、と空想していたが故に、咄嗟に私は「駆け出しの冒険者」を演じてしまった。
 正直、私の元の性格から随分とかけ離れてしまったため早々に失敗に気付いたが、ここまで来るのにぼろぼろになってしまった服や、雑に切られた赤毛、父譲りで兄にも似ている少々目つきの悪い眼光により、この町の人には「顔の良いチンピラ冒険者(兄想い)」と完全に誤解されてしまった。
 その上、これで私の演技が下手であれば誰かが不審に思ったのだろうが、自分でも今まで気付かなかったが私は中々に演技上手のようで、結局私は「顔の良いチンピラ冒険者(兄想い)」となることにしたのだった。
 第4王子ファルマディアスと、顔の良いチンピラ冒険者ファル、が同一人物だと気付く者は中々いないだろう。

 それに、唯一知ることになるはずだった兄は、記憶喪失中だった。


▼ ▼ ▼


「兄貴、起きてるか?」
「ああ」

 昼前、椅子に座り目を閉じていた長兄にそっと声をかけると、間髪入れずに返答が返って来た。閉じられていた目があっさりと開いたことから、単に目を瞑っていただけなのだと知った。
 兄の呼吸音は常に静かで、母国から脱してから6月は経つというのに私は未だ彼に目を瞑られると寝ているのかいないのか、判断がつかない。

 足の調子は、と聞こうとする前に、長兄はあっさりと椅子から立ち上がった。そして、しっかりとした足取りで、扉の側に立つ私の元へ歩いてきた。

「行くのか」
「招集がかかったんだ。B級以上は必ず出て来いってギルドからのお達しだ」

 顔の良いチンピラ冒険者、と最初に設定してしまった時は後悔したが、実際にギルドに登録し冒険者になってしまえば、案外それも楽なものだった。
 冒険者になるまで命のやり取りなどしたことが無く、正直何度死んだと思ったかも分からないが、どうにかこうにか私は何とか冒険者をやれていた。
 幼いころから習っていた剣術も多少役に立ったようだ。とはいえ、型に嵌った儀式的な趣の強い剣技は実際の戦闘では使い物にならず、役立ったのは身のこなしと言ったところか。
 あとは、矜持など放り投げて何とか生きることにしがみついていたら、様々な幸運が重なってB級冒険者にまでなってしまった。
 目立つかもしれないと思ったが、よくよく聞けば、A級やS級に上がるのが頗る困難で、大半はB級で終わる冒険者が多いのだと聞いて安堵した。
 そもそもの私の夢は旅をすることであって、冒険者として名を馳せたいわけでは無かったから、B級で十分だ。
 ただ、B級になると今回の様に緊急クエストで駆り出されることの多いので、少し面倒なのも事実だった。

「……おい」
「ん?」
「前は閉めろと何度言ったら分かるんだ」

 眉間に皺をよせて溜め息をついた長兄は、胸元がはだけた私のシャツを掴み、ボタンを留め始めた。
 私はそれを、複雑な思いで見つめた。ファルマディアスである私としては、きっちり着こなしたいからこの気遣いは有難いが、ファルという男としてはきっちり着こなすと違和感があるのだ。

「暑いんだよ」

 わざわざ留めてもらったボタンを一つだけ外した私の首に、ひやりとした手が触れた。
 その冷たさは勿論だが、急所に触れられたことに冒険者として暫く過ごしてきた私は咄嗟に手が出そうになった。ぐ、と拳を握って、私はじろりと長兄を見た。

「冷てぇ、って!兄貴!」
「暑いなら冷やせば良い」
「は?!……っ」

 淡々と告げられた言葉と共に、すっと身体の内側から涼しくなっているのを感じて、私は別の意味で薄ら寒くなった。

「あ、……にき、今、何した」
「冷やしただけだ。そんなことも分からんのか」
「そうじゃ……そうじゃねぇよ。今のは魔法だな?」
「魔法以外に何だと言うんだ」

 表情も変えずに不機嫌そうに問う兄に、私は緩く首を振った。

「いや……そうだよな。ありがとな、兄貴。涼しくなった。じゃあ、俺行くけど、無理すんなよ」
「馬鹿にするな。俺はもう治ってる」

 吐き捨てられた言葉に、私はつい、笑ってしまった。

「そうかい、兄上!」

 怪我は治っても、記憶は治っていないのに、可笑しなことを言う兄である。
 笑みを噛み殺しつつ、私は仕事へ赴くべく踵を返した。

 色あせたグレーの外套を翻し、腰には剣を携えて。いつの間にか肩まで伸びた赤髪は、日々の生活の影響か以前よりも痛んで跳ねている。傷一つなかった身体に、今やいくつ傷があるのか分からない。
 王子として過ごしてきた日々よりも過酷で危険だが、それ以上に楽しかった。

「それでは行ってきます、兄上」

 弟として振る舞い、弟として扱われる、そんな普通の兄弟のように過ごせている日々が、私は存外嫌いでは無かった。
 だが、だからと言って、私はこの日々を安寧のものだとは思っていない。

 宿を出て扉が閉まり、長兄の視線から逃れた私は、途端に背筋が寒くなるのを感じた。
 その寒さは、先程かけられた冷却の魔法によるものでは無い。
 魔法。兄は確かに魔法を使った。彼自身も、それを認めた。

 長兄は確かに魔法を使える。それも、兄弟の中では一番の使い手だった。専ら、それも戦争用の攻撃魔法ばかりだったが。
 とにかく、長兄が魔法を使えることは私とて知っていた。
 問題は、今の彼が使えていることだった。

 記憶が無いのに、長兄はあっさりと使って見せた。この6月、魔法の話題など一切出てこず、過去に己が使えたかどうかさえ尋ねて来なかったにも関わらずだ。 
 記憶がなくとも魔法が使えることは覚えていたのか、あるいは、身体に染みついていて自然と出てきてしまったのか。
 それとも、今まで忘れていた魔法を突然思い出したのか。

 ぶるりと体を震わせて、私は早足で大通りを抜け、ギルドへと向かう。

「……兄上が全てを思い出した時、私はどうすれば良いのだろう」

 記憶を取り戻した長兄は、末の弟から国を奪い返しに行くのだろう。
 長兄は、基本的に人を痛めつけることが好きで、支配することに愉悦を覚えている節があった。そして当然のことながら、反対に自分が支配されることを酷く厭う。
 殺されかけ、欲した王の座も奪われた長兄は、末の弟をけして赦さない。酷く残虐な方法で、末の弟を、それにまつわる人々を痛めつけ葬り去るはずだ。きっと、多くの血が流れる。

 私は長兄を止めるべきか、否か。少し前より抱き始めていた己への問いかけに、私はまだ答えを出せていない。

 贈られてからあの革命の日まで肌身離さず首から下げていたペンダントは、今は身に着けていない。何故か、それを長兄の目に映してはいけないと思って、兄の記憶が無いことを知った日、私はあの黒く禍々しく光るそれを首から外した。
 それまで、取れば恐ろしいことが起きるような気がしていたのに、あっさりと外すことができて拍子抜けしたのを今でも覚えている。わりと本気で呪われたペンダントだと思っていたから、余計に。
 しかし、外しただけでそれを捨てる気にはなれず、今は布袋に入れて持ち歩いている。兄の目に触れるかもしれない宿に置いて行く気は起きなかった。


「おー、ファル。おまえ、来れたのか」

 無心で足を動かし、ギルドに到着した頃には、私以外のB級以上の冒険者が既に数人集まっていた。声をかけてきた冒険者に片手を上げて近づいた。

「来れたのか、って、強制だろうが」
「まあ、そうだけどよ。ほら、過保護なオニイチャンがいるだろ?」

 にや、とからかうように笑う同僚の言葉に、周りの人々もにんまりと笑った。馬鹿にするような笑いではなく、若者をからかう良いネタだとでも思っているのだろう。

「過保護ぉ?どう見りゃ、そう見えるんだ?」

 あの長兄が過保護に見えるなんて、彼らは何か薬でも飲んでいるのではないかと心配になった。私が「兄想い」なのは有名な話のようだが、その逆の噂が出てくるとは思えなかった。

「そりゃおまえ、この前の死にかけたクエストの時のことを思い出してみろよ」

 くつくつと笑う男は、何かを抱え上げるような動作をて私にウインクを飛ばしてきた。
 思い出して見ろと言われても、その時の私の意識は朦朧としていたのだから細部まで思い出せるわけもない。
 そもそも、亜種のオーガの振り回す棍棒に殴られ危うく死にかけた私を背負って戻って来たのは、この目の前の男だ。昏倒したまま、私が3日寝ていたことを知っているはずだった。ちなみに、亜種オーガは突然の出現だっただけで、クエスト自体は達成している。

「まあ、あの時ギルドにいた奴も少ないし、言い触らせるような雰囲気でも無かったからなあ。おまえ、あの根暗な兄貴に回収されてったんだよ。お姫様抱っこでな!」
「げっ……マジかよ」
「おまえがお姫様って柄でも、あの兄貴が王子様って面でもねぇけどよ。おまえの顔は良いとはいえ、むさ苦しい光景見せられた俺、可哀想」
「うるせぇな」

 チッ、と舌打ちをするも、相手はさして気にしていないようだった。
 しかし、そうか。兄が王子様と言う顔に見えないのは他の国でも共通のことらしい。
 そんな他愛もないことを考えていると、他の冒険者がそうだ、と思い出したように声を上げた。
 まだギルド長が現れないからか、そこかしこで話をしている声がした。

「この前のクエストで思い出した。ファルが死にかけたあの亜種オーガ、結局俺らB級じゃ荷が重いってなってA級扱いになったろ?でもよ、募集する直前に、誰かが討伐したんだと」
「そうなのか?」

 何も話題にならなかったので、恙無くA級冒険者に討伐されたのだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。

「おう。何でもエゲツねぇ殺りかただったらしいぞ。身体のあちこちグチャグチャで、中身もぶちまけられてよ。その上、首はすっぱり斬り落とされて。しかも、どうやらあっさり死んだようでもないらしい。それを見つけた奴がつい同情しちまうくらいだったんだと。まるでなんつったかな、クソ、国の名前が出て来ねぇ。とりあえず、どっかの国の拷問の後みたいだってな……ファル?どうした?」
「……いや」

 私には、その亜種オーガの死体を妙に鮮烈に思い浮かべることができた。
 その亜種オーガの身に起きたこととそっくりな光景を見たことがある。いや、見せられた。
 国を治めていた父によって。その場には、私を含め、他の兄弟たちもいた。吐いている兄がいた。顔を青ざめさせている弟もいた。
 一人を除いて、皆がその光景を恐れていた。

 長兄だけは顔色を変えることなく、目を細めて、じっとその拷問を見つめていたのを、私は覚えている。その口角が僅かに上がっていたのを、確かに見たのだ。

 そして私は、長兄が亜種オーガを甚振る様を、想像することができてしまった。

 私はつい、胸元に手を持ってきていた。握りしめようとしたそれは、私の胸元にはなかった。それもそのはず、私はそのペンダントを今は首から下げていない。

「……まさかな」

 私の想像はあり得ないことだった。今の兄に記憶はない上に、あっても無くても、彼がオーガを殺す意図が分からない。
 だから、これは私の勝手な想像なのだ。

 母国の拷問に似たような死に方をした亜種オーガは、私の国出身の冒険者が討伐したのかもしれない。もしくは、図らずも同じような殺し方になっただけの可能性もある。

「おっと、ギルド長が来たぜ」

 軽く小突かれて、私は我に返った。今はこちらに集中しなければ。

 私が危険を冒して冒険者をしているのは、世界を見て回りやすい職業ということもあるが、手っ取り早く金が手に入るのも理由の一つだった。
 何せ旅をするには金がかかるし、その上長兄は記憶がないにもかかわらず高級志向なのである。
 食事は勿論、酒も煙草も、宿だってそれなりのものでないと満足しない。兄を引き摺る様にして国を出た私としては、多少の責任を感じていたので、なるべく兄の意向に沿うようにしていた。
 王子生活を送ってきたにもかかわらず私は自分でも驚くくらい食事も宿も気にならなかったので、私には金をかけず、兄に回そうとも思ったが、それはそれで兄は気に食わないらしい。
 結局、二人の大人の男がそれなりの生活水準を保ちつつ世界を転々とするには、金が必要であり、そして私はそれを稼がねばならないのである。



 元王子の私は、今や記憶喪失の兄を養う一介の冒険者となっていた。
 しかし、この生活も悪くない。


END.


ファルマディアス…第4王子。現冒険者。見た目は髪型と服装以外一切変えていないにも関わらず、誰も彼が王子だとは気付かない。粗雑で気概の良い若者を演じているが、兄の前ではうっかり素が出てくる。長兄は嫌いではないが怖い。でも養う。

長兄…第1王子。悪役。クロノスは本名ではない。弟に養われる記憶喪失中のお兄ちゃん(さんじゅっさい)。顔は怖い。弟のヒモ。唯一対立していなかった弟に対しどう思っていたのかは本人しか分からない。むしろ本人も分からないかもしれない。