勇者の○○が万能薬とは聞いてない 前





 どくどくと、嫌に心臓の音が大きく聞こえた。
 けふ、と咳き込めば、ぼたぼたと血の塊が口から零れ落ちる。

「エリー……!」

 悲壮な声に、いつものように苦笑と共に「そうやって呼ぶのは止めてくれ」と言いたかったが、結局言葉は出てこなかった。
 声を出せるような状況ではなかったし、その上、ぎこちなく顔を上げた視線の先にいる男の血の気の引いた顔を見てしまったら、つい、言葉を無くしてしまったのだ。
 いつも飄々としていて、自身に満ち溢れた不敵な笑みを浮かべていた男がするには、不釣り合いな、この世の絶望を見たかのような顔。
 その顔をするには些か遅いのでは、と霞む視界の中で思う。
 その顔をするべきは、君を勇者として送り出し、魔王を倒してもらったにも関わらず、王族を筆頭としたこの国の民が君をあらぬ疑いで糾弾し殺そうとした、先程だろう?

 そう言いたいが、俺の声は出てこない。
 ぼやける視界の中、よろよろと俺の側に向かってくる男に、騎士が切りかかる。
 一瞬。少なくとも、俺には一瞬の出来事に見えた。
 ぽん、とあっけなく騎士の頭が飛んだ。斬られた首から鮮血が吹きあがる。
 続いて切りかかった騎士は真っ二つにされ、更に切りかかった騎士はぶつ切りに殺された。

 男が俺を見ている。悲痛な顔に胸が痛んだ。
 そんな顔をさせたかったわけじゃない。重たい右手をそろりと上げて、男に向かって伸ばす。しかし、それも背を踏みつけられることによって地へと落ちた。

「おお、我が息子よ!よもやおまえが、あの悪魔に味方するとは!父は悲しいぞ。我が国の為、あれを生かしているわけにはいかぬというのに。あれの味方であるのならば、仕方あるまい。せめて父が終わらせてやろう」

 背中越しに振り返れば、冷たい瞳と目があった。我が父にして、この国の王は、俺を踏みつけ剣を振り下ろそうとしていた。
 ひゅ、と息をのむ。俺の名を叫ぶ声がした。

 どすり、と肉を、骨を抉る音と共に、想像を絶する痛みが走った。痛みに喚き叫びたくとも、音のある悲鳴にはならなかった。

「……ッそ、くそ、くそ!エリー!テメェ、エリーを!殺してやる!」
「高位の魔術師が総出で拘束術を使ってもそこまで動けるとは、やはりおまえはここで殺しておくべきだな」

 父の呟きにノイズが走る。先程まで五月蠅いくらいに鳴り響いていた心臓が、やけに落ち着いて聞える。さあ、と温度が引いて行くようなそんな感覚を覚えた。痛みが酷い。だが、どこか他人事のようにも思えた。

 ぼんやりと開けたままの視界に、剣を握りしめた男が走ってくるのが見えた。
 白と青の装飾が美しい聖剣であったはずなのに。
 一瞬のうちに距離を詰めた男は、携えた赤黒い剣を、この国の王に向かって振り下ろそうとしていたが、その後どうなったのか俺は覚えていない。


▽ ▽ ▽


 聖剣を抜いた男がいる、という話は、瞬く間に広まった。
 聖剣とはこの国の東の森の神殿にある台座に刺さった、女神より人間に与えられし剣である。
 女神に選ばれた者だけが手にすることのできるその剣は、魔王を倒すためには必要不可欠な武器で、長年魔王の軍勢に苦しめられてきた人間にとって、その剣を抜くことのできる“勇者”の存在は待ちに待った奇跡の存在だった。
 それを抜いたのは、神殿近くに住む村の青年だった。聖剣が抜かれた3日後には、その青年は城に呼ばれ、王と面会し、魔王を倒しに行くよう使命を仰せつかっていた。

「レイラ」
「はい、お父さま」

 異母妹を手招き、父は言う。

「勇者とともに旅に出て、監視をしろ」
「監視、ですか?」
「魔王討伐後、勇者は我が国に取り込みたい。勇者がいれば、他国に対して有利に立てることも多かろう。勇者が他国の女狐に陥落されるのを阻止し、おまえが絡めとれ」
「……分かりましたわ」

 不服そうだが、レイラは渋々頷いた。おそらく、勇者の顔が好みではないのだろう。
 レイラは美しい男を好み、勇者のような男臭さのある凛々しい男は眼中にないのだ。
 その場からレイラが下がり、残されたのは王と、俺と、兄と、側近だった。

「……父上」
「なんだ、エリオット」

 それまで静かにしていた俺を、父は訝しげな目で見てきた。それもそうだろう、俺はこう言った場で滅多に言葉を発しない。
 兄の立場を考えれば、目立つことは得策ではないからだ。
 しかし俺はこの時、どうしたって、声を上げずにはいられなかった。

「俺も、勇者の旅に同行させて頂けないでしょうか」
「なに?」

 じわり、と手に汗がにじむのを感じながら俺は慎重に言葉を紡ぐ。

「俺も世界が見たいですし、それに、兄上が即位したときに共に支えることのできるパートナーを見つけておきたいのです」
「ほう?」
「他国のご令嬢や姫であれば、外交の際に役に立つことでしょう」
「うむ。そういえば、今はおまえに婚約者がいないのだったな」

 顎に手を当て、王はさらりと言った。俺は引きつりそうになる頬を何とか押し留める。
 横目で兄を見ても、兄は興味がなさそうにしているだけだった。
 未練はないが、俺の婚約者を戯れに奪っておいてよくそんな他人事のようにしていられるものだ。
 否、他人事なのだろう。既に奪ったことさえ忘れている可能性もある。

 この国の王族は、腐っている。だが、勇者の旅に同行したいがために、まだ見ぬパートナーを出しに使う俺も、大概なのだろう。

「良いだろう。行ってこい」

 あっさりと許可が下り、俺は安堵した。
 これで、俺はあの勇者に借りを返すことができる。



 と思っていた時期があったのだが。

「おい、エリー!危ねぇから下がってろ!」

 荒っぽい口調とは裏腹に、優しく俺の肩を押して後ろに追いやった勇者は、目の前の魔物を叩ききった。断末魔の叫びをあげた魔物は、真っ黒な靄となり、それから蒸発するように掻き消えた。

 相変わらずの規格外の強さに、俺は尻餅をついたまま唖然としてしまう。

「おい、大丈夫かよ」

 凛々しい眉の片方を上げて、にや、と笑った勇者は俺に手を差し伸べた。

「お手をどうぞ、王子様?」

 揶揄するような声だが、俺が怒りを覚えることはなかった。これがこの男の性格なのだと、旅に出て早々に気付いたからだ。

 口調は荒っぽく、王族である俺に対しても態度は横柄、飄々として傲岸不遜。それに加えて。

「俺だって、本当は美女に手を差し出したいっての」

 それに加えて、女好き。人々が望んだ勇者は、随分と俗物的な人物だった。

「……いつもすまないな」
「あー……別に、良いけどよ。俺強いし、おまえ一人守るなんて余裕だからな!」

 差し出された手を取って立ち上がりつつ謝罪すれば、途端にばつが悪そうに視線を彷徨わせるものだから、俺はこの勇者を嫌いにはなれない。
 少し調子が良い所はあるが、基本的にはお人好しなのだ。

「とりあえず宿屋に……ああ、待ってくれ」
「ん?」

 勇者の腕を掴み引き止める。振り返った男の頬に手を滑らせた。

「あの魔物の爪でも掠ったのか?切れてる」
「え?ああ……」

 滴る血を掬うように、頬の傷を親指でゆっくりと撫でた。撫でた後には、一切の傷も残っていない。
 いきなり男に触れられて反応が遅れたのか、勇者の動きがぎこちなかった。

「悪いな……レイラがいれば、あの子も治癒術は使えたんだが」
「は……あー、美人は美人でもあの我儘娘の治癒術受けるならお前の方が断然マシ」
「そうか?」

 苦笑しか出てこない。レイラを我儘娘、と称されても、申し訳なさはあれど怒りは無かった。

 彼女が離脱したのは、そう最近のことではない。
 最初は勇者と俺とレイラの3人だった魔王討伐パーティーは、進むにつれて、剣士や魔導士、シーフなど、人数が増えて行った。
 しかし、道中で飽き性のレイラがついにこの旅が我慢できなくなったのだ。
 「ある程度まで旅は進んだし、勇者様はお強いようですので私は足手まといになるでしょうから、国に帰ろうと思います」と告げてレイラは出て行った。好みの顔だったパーティーメンバー全員を連れて。
 残ったのは、勇者と、第2王子である俺のみだ。
 勇者が異母妹を苦手にしていたのには気付いていたから、離脱したことを怒らなかったのは分かる。だが、たった二人になってしまったにも関わらず、いっこうに仲間を補充しないことが不思議でならなかった。
 正直に言って、俺の戦闘能力は人より少し抜きん出ている程度だ。そもそも、俺は王族で通常は守られる立場にいるので、兵士のように鍛えられたりはしていない。なので専ら俺は、回復役なのだ。
 それも、反則なくらい強すぎる勇者はそう頻繁に怪我をすることもない。
 俺は役に立っているのだろうか。これでは、借りも返せない。

 宿屋のベッドに座った俺は自分の手のひらを見つめ、溜め息をつく。儘ならない。俺がここにいる意味があるのか?

「ンな顔してっと、また女に群がられるぞ」

 そんなことを言いながら、隣のベッドに腰掛けた勇者は、わしゃわしゃと自分の黒髪をタオルで拭いている。晒された逞しい上半身には水滴がついており、男がシャワーを浴びてきたのだとすぐに分かった。

「で、なんで溜め息ついてたんだ?」
「……」
「エリー?」
「そうやって呼ぶのは止めてくれと、何度も言ってるだろう」
「へへ、エリー、エリーちゃん。可愛いだろーが」

 エリオットだから、エリーだな。名乗ってすぐにそう言われて、俺は勘弁してくれと頼みこんだが、結局ずっとその呼び方だ。
 エリー、だなんて可愛らしい呼び方は俺には似合わないのだ。
 街中で、エリーと呼ばれた俺を見て二度見する人の多いこと。居た堪れない。
 これで小柄だったり可愛い顔立ちであればまだしも、俺は勇者と同じくらいの身長はあるし、顔だって男にしか見えない。
 なんなら、小柄で可愛らしい男に迫られたことがあるくらいには、“男らしい”顔立ちをしているはずだった。
 にもかかわらず、勇者は頑なに俺をエリーと呼び続ける。

「で、エリーは何に悩んでんだ?この俺に言ってみろよ」
「いや、別に大したことじゃないんだ」
「大したことじゃねーんなら言えるな!」

 ニッと笑う男の目を見て、言うまで俺を逃がさないのだと早々に悟った。
 しかし、正直に言うには恥ずかしいぞ、これは。

「言え」

 躊躇う俺に、勇者はふてぶてしく命じる。これでも王子なんだがな、と思うが、俺は自分が王族だとひけらかしたいわけでもないので、言うことはしなかった。

「分かった……本当に大したことじゃないんだ。レイラたちが離脱して随分経つだろう?」
「……?ああ」

 それがどうした、と言わんばかりのきょとんとした顔に、思わず小さく笑みが漏れた。

「それで、俺と君、二人だけで旅してきた。なのに君は、何の不自由もなく旅を続けられている」
「良いことじゃねぇか」
「ああ、確かに。だが、ここに俺は必要あるのだろうか、と考えることがあってな」
「は?」
「俺は剣も魔法も普通より少し、使えるだけだ。今日だって、君に助けられた。加えて、旅に慣れていないから君にも迷惑をかけているだろう。申し訳なく思う。何なら俺ではなくもっと治癒術に秀でたものを入れた方が効率的なのではないか?あいにく、俺は簡単な治癒術しか使えないしな」
「……はあ。エリー、おまえ馬鹿なこと考えんなよ」

 深々と溜め息をついて顔を上げた勇者の顔は、酷くぶすくれていて、まるで幼い子供のようだった。

「必要かとか、必要じゃないとか、考えてんじゃねーよ。あれだ、俺が魔王を倒すときに誰かいねぇと、証明にならねぇだろ。それに、当分仲間を入れるつもりはねぇ。あのお姫様にごっそり連れてかれてんだ、俺だって仲間作りをもうちっと慎重に考えるわ」
「いや、あれはおそらく稀な例で……それにヒーラーは女性が多い。君の士気にも関わるだろう?」
「……女入れたら、絶対おまえに靡くだろ」
「いや、分からないぞ」
「はあ?大国の第2王子で、金髪碧眼の男前、見た目の割に大人しくて優しくて性格が良いなんて女にとっちゃ優良物件だろうが!片やただの村人だぞ!」
「君は随分な男前だし、まあ多少目つきは悪いが、しかし強いし、何だかんだで優しい。君こそ、女性にもてるだろう」
「………あー、やめだ、やめ!仲間入れない!この話題は終了!」
「だが」
「なんだ、おまえは女を入れたいのか?」

 ただでさえ目つきが悪いのに、余計に鋭くして俺を見る勇者に、俺は首を傾げるしかない。

「いや、男でも女でも、君が必要とするなら性別はどちらでも良いんじゃないか?」
「あっそ。なら、おまえでも良いだろ」
「自分で言うのも何だが、役に立っているような気はしないぞ」
「………役に立ってるよ」

 ぼそりと呟いて、勇者はそのままベッドに寝ころび俺に背を向けてしまった。

「俺が治癒術一切使えないことも、薬草の類が利かないのも、他人からの治癒しか怪我を治す方法が無いのも、知ってんだろ。今日だって、治してくれた」
「かすり傷だっただろう。大怪我したら俺には無理だ」
「ばーか。俺が大怪我するわけねぇだろ」

 勇者は他人からの治癒術でしか傷を癒せない、ということは、勇者が言う通り俺は知っている。だがきっと、俺が知ったタイミングは勇者は知らないはずだ。

 もう10年以上前になる。行事で神殿に行った日、俺はうっかり護衛から離れて森に入ってしまった。その時、一匹の魔物に襲われたのだ。
 今ではその魔物など片手で倒せるが、それでも当時は幼い子供。為す術もなく、殺されそうになったところを、黒髪の少年が助けてくれた。
 きっと覚えていないだろうが、この勇者が俺を助けた恩人だった。
 その時軽い怪我をした少年に治癒術をかけたときに、少年が教えてくれたのだ。「俺は自分で治癒術使えないし、薬草も効かないから助かった」と。
 治癒術はともかく、薬草が効かないなどという特異体質が珍しかったし、何より命の恩人である少年を俺はずっと忘れることはなかった。
 勇者として城に招かれた男が、あの時の恩人であると、俺はすぐに分かった。

 恩を返せれば、と思ってついてきたが、返すどころか積み重ねている現実に、俺は儘ならないものだな、と嘆息するしかなかった。



 楽しかった。幸せだった、とも言える。
 勇者の旅に同行している、というよりは、年の近い人と分け隔てなく自然体で過ごせていることが、俺にとっては何よりも代え難かった。
 傲岸不遜で自己中心的で調子が良くて美女が好きで、誰の助けも必要ないくらい強くて、それで、優しい男との旅は、大嫌いな王族として生きていく中で、唯一の美しい思い出となるだろう。

 我が国は腐っている。勇者は予想よりも強すぎた。嗚呼、親愛なる勇者よ、魔王を倒した暁には、きっと君は。

「ザック」
「あ?どうした?ようやく魔王を倒したんだ、さっさと帰ろうぜ!」
「ああ……そうだな。だが、あそこにはもう帰らない方が良い。君が気に入っていたあの町に送ろう。そして、もう城には来るな」
「は?」


 アイザックは幸せになるべきだ。