アゼルの嫁取り





「……はァ?なんだって?」

 それまで喘がせていた女が果て、己もそれを追い欲を外に吐き出したアゼルは、気だるげに身を起こして背後を振り返った。
 部屋の扉の脇に控え立つ老齢の男は、繰り広げられていた情事を一部始終見ていながらも全く動じた様子なく、アゼルの問いに端的かつ明確に、もう一度同じ言葉を告げた。

「王より贈り物のお届けです。アゼル様はそれを娶る様に、との命です」
「……ハッ」

 気に入りの女を抱いている最中、躊躇いもせずにドアがノックされたのが珍しく、興も乗ったので入室を許可したが、予想もしていなかったことを聞かされた。
 つまり、王から嫁が贈られてきた、ということか。あの王が、このアゼルに!
 アゼルはその薄い唇の端を吊り上げた。
 王がアゼルに嫁を贈るなど、何か企みがあるに違いないと、すぐに知れた。あのクソッタレな従兄弟が善意でアゼルに嫁をあてがうわけもない。
 好色で特定の相手を作らないアゼルへの皮肉だろうか。
 何度も達したせいかぐったりとベッドに沈みこんでいる女に、脇に寄せていた薄い布団をかけてから、アゼルはようやくベッドから床に足をおろした。
 全裸だが恥じらいなどは一切無い。恥じらいがあれば、情事の最中に他人を寝室に入れて待たせるようなことをするはずもなかった。
 床に放り投げていたバスローブを拾い、それを羽織ながらアゼルは思案する。

 さて、いきなりすぎる王からの贈り物。王からの名誉ある贈り物とされているのだろうが、十中八九嫌がらせに違いない。
 どうせ、アゼルの食指も動かない醜女か老女に決まっている。それか、病持ちか。
 チッ、と舌打ちをしながら、アゼルは「どこにいる」と王の使者に尋ねた。
 舌打ちは聞こえていただろうが、使者は表情一つ変えずに言った。

「応接室にございます」
「ございます、ね……で?明日一緒に連れてこい、ってか?」
「はい。王が直接、祝いのお言葉もお贈りしたいと」

 いやはや、手のかかることをする。皆の前で王から嫁を賜ったのであれば、拒否できるわけがないのだ。
 
「どんな女だ」
「期待して待て、と」

 再び盛大に舌打ちをした。顰め面を晒し、足音荒く部屋を出れば、冷静な視線がアゼルを追った。どうせ王には、アゼルの反応が事細かに報告されるのだろう。本当に良い趣味をしている。

「応接室へ向かわれないのですか?」
「さすがに、女を抱いてそのまま直行するほど馬鹿じゃない。それこそ、親愛なる国王陛下から賜った嫁が相手じゃあな。シャワーを浴びてくるから、待たせておけ」

 ひら、と片手を振れば、かしこまりました、と静かに声が返された。振り返らないが、きっと背後では王の使者が綺麗に腰を折っているのだろう。

「……今度はいったい、どういうつもりだ、あの男」

 くすくすと蠱惑的に笑む従兄弟を思い出し、アゼルは苛立ちと共に髪をかきあげた。


 汗や体液を洗い流し、新たに用意されていた服を纏うと、アゼルは隠すことなく欠伸を漏らした。突然の来訪が無ければ、今頃ベッドで眠りについている頃だった。
 丁度女を抱いている時間に嫁を贈って来るとは、おそらく王は狙ってやっているのだろう。そんな暇があれば仕事をしろと言いたいが、享楽に耽るアゼルが言っても説得力は無い。
 そもそも、仕事をしろ、という忠告など、既に王とこの国を見限っているアゼルが言ってやるつもりもなかった。
 
 応接室に辿り着き、アゼルはそのドアノブに手をかけた。そして、何の躊躇いもなく開け放つ。
 醜女か老婆か、病持ち。さて、どれだろうか。そんなことを考えていたアゼルは、最初、室内のどこにも予想していた“嫁”がいないことを疑問に思った。
 室内にいたのは、趣味の悪い黒の首輪と手錠をかけられた大男一人だけだった。髪や肌には泥や血が固まったと思われる汚れがついており、王族であるアゼルの目の前に置いておくべき存在ではない。
 アゼルの登場に驚いた様子は見せずとも、どこか苦々しげに顔を顰める髭面男を前に、けして莫迦ではないアゼルの頭はある可能性を叩きだす。
 そうであってくれるな、と祈ったのは誰に対してだろう。少なくとも、信じていない神に祈ったのではない。であれば、亡き母か?そんな詮無きことを考えてしまうのは、きっと現実逃避に他ならない。

「……おい!王が贈って来た嫁は何処だ」

 声を張り上げ、背後にいるであろう王の使者に問いかける。

「アゼル様の目の前におります」

 アゼルの目の前には、薄汚い虜囚しかいなかった。

「………」
「王よりお言葉がございます。『我が親愛なる従兄弟殿に贈るは、先日の戦の戦利品である、リュシフィール王国の英雄である。私の贈った美しき花嫁を明日城へと連れてこい。皆に自慢しようではないか』」
「……帰れ」

 王がどんな顔でその伝言を紡いだのか、すぐさま想像できてアゼルは何かを蹴りつけてやりたくて堪らなかった。しかし王の使者がいる前でそのようなことできるはずもない。
 怒鳴りつけたいのを抑え込んで、一呼吸おいて出てきた言葉は、命令ではあるが酷く掠れて頼りない。ああ、これもどうせ、報告されるのだろう。
 王の使者は「かしこまりました」と淡々と告げると、静々と退室した。残るは、アゼルと薄汚い男と、アゼルの使用人2名のみである。

「………ああ、クソ、クソ!あの野郎、ふざけやがって!!」

 カッと目を見開き、ソファの背を蹴りつけた。使用人たちはびくりと怯え、薄汚い男はただ黙ったまま突っ立ているだけだ。
 母譲りの亜麻色の髪を掻き毟り、アゼルはソファにどかりと腰を下ろした。そして、“嫁”を見やり、心底嫌そうに顔を歪めた。

「それで。リュシフィール王国の英雄だと?そういや、一人将軍を捕虜にしたとか言っていたな。それがおまえか。フン、歴戦の英雄を“嫁”と貶めることもできて、俺に男の“嫁”を娶らせることもできて、あの王にとっては一石二鳥の嫌がらせだ」

 嗚呼、嫌だ、と大袈裟に嘆いてちらりと男を観察するが、男が口を開く様子は無い。

「おまえ、名は?」

 問うが、やはり男は口を開かない。

「喋らないのか?それとも喋れないのか?」

 男は答えない。
 しかし、アゼルは怒らなかった。足を組み、男から目線を外して宙を睨む。それから再び男へと目を戻すと、溜め息とともに片手をひらりと振った。使用人に言う。

「……服従でもかけられてるのか?とりあえず、風呂に入れて怪我の治療をしておけ。いくら名の知れた将でも、放置した怪我が悪化して死ぬかもしれないからな。それは困る。あとは、早朝までにこの男の服を用意しろ」

 アゼルはにやりと笑った。しかし笑いはしたが、アゼルの腸は煮え繰り返っていた。

 王の嫌がらせはいつものことだが、ついには嫁を、それも"男"をあてがうとは、いよいよ馬鹿にされたものである。
 アゼルには種がない。欲として吐き出される体液には、次代に繋がるものは一切含まれていないのだ。
 子が出来ないことをアゼルは悲観していないし、己の血を引く子供など憐れにしか思えないから、子など作れなくて良いと思っている。
 だが、自分がそう思っているからと言って、馬鹿にされても良いというわけではない。
 むしろ、他者から嘲られることが嫌いなアゼルにとって、この王の悪趣味な嫌がらせは近年で一番、腹立たしいものだった。

 使用人に大人しくついていこうとする男の首輪か手錠には、やはり何かしらの魔術がかけられているのだろう。おそらくは、奴隷の服従に近しいものが。
 アゼルはソファに深く沈みこむと、濡れたままの髪をかきあげて、男に言った。

「名前は」

 やはり男は答えなかったが、アゼルは気にしなかった。


◇◇◇


 玉座の間に足を踏み入れた瞬間、その場にいた全ての人間の目が一斉にアゼルを捉えた。
 常人ならば萎縮し尻込みしそうなくらいの視線の中、アゼルは飄々とした足取りで歩き出す。
 まるで貴婦人をエスコートするがごとく、自分より頭半分は背が高い人間の手を取り歩く様は、どうやら彼らの予想に反してそれなりに絵になっているようだった。横目で見る王の取り巻きたちの表情に、アゼルは腹を抱えて笑い転げたい気分だった。
 アゼルが手を引く人間が着ている服は、この国の男の婚礼衣装として使用されるものだったが、それは純白ではなく、濃い灰色だった。祝いの白と葬の黒の中間の色を選んだのは他でもないアゼルだ。
 男の花嫁に純白を着せて王に媚びを売るつもりも、怒りに任せてこの嫁取りに不服を示す黒を着せてこれ以上王を喜ばすつもりもアゼルには更々無かった。

「やあ、アゼル。来てくれて嬉しいよ」

 玉座に腰掛け頬杖をついた王は、酷く砕けた物言いでアゼルにそう話しかけた。アゼルの側で、男が小さく身じろいだ。
 王は、その美しい顔に微笑みを浮かべて言葉を続ける。

「ふふ、早速花嫁を自慢しに来てくれたのかい?嬉しいな、僕の贈り物を喜んでくれたみたいで。ただ、花嫁衣装でないのが悔やまれる」

 アゼルはうっすらと笑い、自分と血の繋がりがあると一目で分かる従兄弟を見た。

 数段高い場所にある玉座に座る美しい男。彼に相対する、"花嫁"をつれた美しい男。
 中性的な美しさを持つ王と、男性的な美しさを持つアゼルは、その纏う雰囲気もあって一見正反対にも見えるが、その顔の造形はよく似通っている。
 王族はまだ何人もいるが、それでもこの二人ほど血の繋がりを如実に感じさせる者もそうはいないだろう。

「せっかく頂いた花嫁だ。俺の好きに着飾りたかったのですよ、国王陛下」
「ふぅん」

 誰が己よりも体格の良い年上の男の花嫁衣裳が見たいものか。たとえ髭面の下が整っていようが御免だ、とアゼルは内心で舌を出した。アゼルには王と違って男を侍らす趣味はないのだ。

 王はアゼルを注意深く観察しているようだった。しかし、暫くしてつまらなそうに肩を竦めた。
 おそらくは、アゼルの表情に怒りや苛立ちを見つけたかったのだろう。それが見つからなくて落胆したようだ。
 だが、すぐさま何かを思い付いたかのように口角をつり上げた。
 その笑みに、アゼルはとてつもなく嫌な予感を感じた。
 王は笑って言う。

「そうか。一等気に入ったから、自分好みの服を着せたと言うわけか。なるほど。それじゃあ、今後は君に色目を使う者は須らく処罰しないといけないね」

 そこでアゼルは玉座の間に足を踏み入れてから初めて、大きく目を見開いた。それまで飄々としていたアゼルの顔色が変わったことが嬉しかったようで、王は満足げに頷いている。

 この国に一夫一妻制は存在しない。加えて、性別も関係ない。好んで一夫一妻を貫く奇特な者もいるが、通常は何人もの妻や夫を抱えている。
 アゼルには妻はいないが、多くの情人がいる。それはこの国では当たり前のことなのだ。そして通常であれば、この敵国の大男と結婚したとしても、アゼルが他の女を連れ込んでも全く問題はない。
 だからこそアゼルは、男を嫁にと宛がわれたことに腹立ちはしたが、こうして飄々と男を連れてこの場に出向けたのだ。
 結婚してもこれまで通り女を連れ込めることに変わりはない。そう思っていたから、アゼルは気楽に構えていたというのに。

 王のその言葉は、アゼルをたった一人に縛り付ける呪いのような言葉だった。
 王はおもむろに立ち上がると、アゼルの方へとゆっくりと歩いてきた。
 止めようとする家臣を邪魔そうに退かせ、アゼルの前まで来ると、頭一つ分は背の高いアゼルを見上げ、王は微笑む。
 傍らの敵国の将軍を興味がなさそうにちらりと一瞥し、王は声を潜めて言った。

「君が悪い。僕の相手をしてくれないから」

 なるほど、つまりはこれも王の嫌がらせなのだ。
 幼いころから多くの者に愛され傅かれてきた王に、唯一靡くことなく興味も抱かなかったアゼルに対する、報復なのだ。

「でもね、アゼル。君がお願いするのであれば、その男を牢にぶち込んであげても良いよ。まあ、今みたいな怪我だけじゃすまないだろうけど……女好きな君にとって一番好みの対極にいる男だ、君にとってはどうでも良いだろう?」

 王が言う通り、この男などアゼルにとってはどうでも良い人間だった。
 男の怪我が増えようが、アゼルには理解しがたいが、この男が牢番に蹂躙されようが、どうでも良かった。
 しかし、だからと言ってアゼルは、王の言葉に素直に頷くような人間では、なかった。

 アゼルは花嫁の手を取り、王を上から覗き込むように見つめて言った。

「お願いだと?代わりにおまえの側に侍れと言いたいのか。お断りだ、従兄弟殿。ずっと言ってきたはずだ。俺に男を抱く趣味は、無い」

 そう、アゼルは男を女のように見る趣味はなかった。
 目の前の、女よりも余程美しい王にも、隣に黙して立つ筋骨逞しい男にも、アゼルは微塵も興味が持てなかった。

「………それでは、王の貴重なお時間をこれ以上頂くのも心苦しいもの。私はそろそろお暇させて頂きましょう」

 内心では腸が煮えくり返っている。これから先、アゼルが興味も何もない大男、それも敵国の将しかアゼルを慰めてはならぬという命は、今日中には国中をめぐるだろう。
 これまで褥に嬉々として引きずり込まれていた女たちは、王の怒りを恐れ、アゼルの元を去って行く。それが腹立たしくてならない。
 アゼルは愛を知らないが、それでも抱いた女たちに多少の情はあるのだ。それらを取り上げられることの、なんと不快なことか!
 しかしそれでも、アゼルは慇懃に、完璧に振舞い、嫁となった大男と共に堂々とこの場を去って見せた。
 背後で、ぎり、と奥歯を噛み締める音が聞こえたが、アゼルはけして振り返らなかった。


 玉座の間を出て、嫉妬と憐憫と悪意と好奇の視線を物ともせずに、アゼルは城を後にした。

 城外に待たせていた馬車に男を押し込み、それに続いて乗り込むと、アゼルは「クソッ!」と悪態をついた。
 僅かに揺れて馬車が動き出す。

 何となくだが、向かいに座った男からもの言いたげな視線を向けられた気がしたが、アゼルが反応することはなかった。そもそもベールで未だ隠している男の視線に気が付いてやる通りもない、とアゼルは腕を組んで目を閉じた。
 それはきっと、多くの人間の命を奪ってきた軍人を前に無防備すぎる姿だっただろう。
 さて、どうでるか。アゼルは目を閉じたまま黙っていたが、結局向かいの男は軽く身じろぎをしただけで何かすることはなかった。話しかけてくることもない。

 男に興味はない。しかし、あのクソッタレな王の愛人に加わるよりは余程マシだと思えば、屋敷に一部屋、男の部屋を作ってやるのも悪くはない。

 いつかこの男が、この国を亡ぼす未来が見える。
 王は馬鹿だ。アゼルへの執着故に、とんでもないミスを犯した。
 この男はけして牢から出すべきでは無かったのだ。もっと言うなら、捕らえた段階で首を撥ねるべきだった。

 アゼルは目を開けると、おもむろに男に手を伸ばした。ベールを取り外し、放り棄てた。

 嗚呼、こんな目をする虜囚など居るものか。
――――これは、わざと捕まったのだ。

「可愛くねぇ嫁だ。これならさっさと女を嫁にしとくんだった」

 心にもないことを言った。
 アゼルは生涯、誰かを娶るつもりは更々無かったのだから。

 アゼルは自分が愛されるような男ではないことを知っていた。

END.


このあと案の定、嫁()が暗躍し国を瓦解させていくのを、何となく察しながらも正直国が崩壊しても構わないと思っているため、ノータッチを決め込むアゼルさん。
そんなアゼルを最初は警戒しているが、横暴男に見えて案外優しい一面があったり、どこか危うい精神面を持っていたりするアゼルに絆される嫁()。
おまえが嫁になるんだよ!な未来が待っているとは露知らず嫌々ながらも何だかんだでわりと真面目に夫らしいこと(セックス抜き)をするアゼルと、虎視眈々と狙う嫁()を書きたかったけどこの後の展開が全く思いつかずに断念。