王様と生きたい奴隷





 気紛れだった。

「ほう、面白い目をしておるな」

 薄汚く錆びれた檻の中、衣服とももう呼べないぼろきれを纏った痩せぎすの少年の目が、その境遇にも関わらず強い光を称えていたのが気になった。ただ、それだけだった。



 当時、未だ王子であったアルベルトはとある国との戦争に参加した。次期国王という身分ながら、自ら先頭で兵を率いたのは、それが次期国王の地位にいる者の責務だったからである。
 アルベルトの生まれ落ちた国では、王が一等強いものであらねばならなかった。それを皆が望んでいた。
 アルベルトは、国王の12番目の子どもである。より強い王を選出するために、王にはたくさんの子供がいた。30人以上もいる王の子の中で、現在次期国王であると明言されているのがアルベルトだったが、それもアルベルトより強い子どもが出てきた場合は取って代わられる。
 アルベルトはこの戦争に参加する前に一人、兄を切り捨てた。当時次期国王と言われていた3番目の兄だ。此度の戦争に出陣することを躊躇していたために、アルベルトは兄を真正面から正々堂々と切って捨てたのだった。それから、アルベルトは次期国王となった。
 そんな出来事があったのだ、アルベルトがその立ち位置から引き摺り下ろされる可能性は大いにあった。
 しかし、アルベルトはそれを恐れることはなかったし、慢心ではなくそれを退ける力があると自負していた。アルベルトは未だ、自分よりも強い人間と出会ったことが無い。

 さて、そんなアルベルトが出陣したとある国との戦争は拍子抜けするほどあっさりと決着がついた。相手国はどうやら権威付けのために王子を戦場に連れてきていたようだが、その首をアルベルトが跳ね飛ばしたからだ。守らなければならぬ対象を殺された敵陣は混乱し、その混乱の最中、アルベルトは容赦なく敵兵を使い慣れたハルバードで斬り、払い、突き殺した。
 その勢いに乗じて、アルベルト率いる軍勢は国の都市部まで侵入し、アルベルトは何の苦もなくその国を打ち負かしたのであった。

 勝利したアルベルトは敗戦国との交渉の最中、暇潰しに都市の奴隷市場へと赴いた。アルベルトの国は奴隷制度が無いので、物珍しさが勝ったのだ。
 そうして訪れた奴隷市場を、憐憫も同情も抱かず、さりとて嗜虐的な思いも持たず、アルベルトはただ好奇心にのみ突き動かされてゆったりと見て回った。
 国が負けたことを知っている奴隷商人たちはアルベルトに自らの品物を献上しようとした。奴隷たちはただ諦めた顔で、己の所有権の行方を見守っているだけだった。
 つまらぬ、と不機嫌そうに呟いたアルベルトの心情を正確に読み取ったのは、きっと長く彼に仕えている臣下だけだろう。アルベルトを知らぬ奴隷商人たちは、慌ててもっと見目が良い奴隷をこれでもかと連れてきたが、アルベルトが興味を示すことはなかった。
 追い縋ろうとする奴隷商人たちを蹴散らす臣下を横目で眺めつつ、アルベルトは市場のさらに奥へと足を勧めた。
 血と皮脂と糞尿が混じり合った悪臭が酷くなるにつれて臣下はアルベルトへ戻るよう進言したが、アルベルトはけして足を止めなかった。
 そんなアルベルトを、臣下は呆れた面持ちで見ていたが、無理に引き返させようとはしなかった。

 奴隷市場の奥の奥、もはや売り物にもならぬだろう人間が詰め込まれたその中に、アルベルトの興味を引くものがあった。

 アルベルトがそれに気付いたのは、突如ガチャン!と大きな音が立ったからだった。この場所は売れ者にならない奴隷が詰め込まれているからか、酷く静かで、それ故にその大きな音はアルベルトの気を引くに十分だった。
 音がしたのはさらに奥、最も闇の深い暗がりだった。その中で爛々と光る金色を見たものだから、アルベルトがそちらへ歩を進めると、奴隷商人の一人が慌てたように追ってきたが、それも臣下の一人によって阻まれた。
 そこでアルベルトが見たのは、汚らしく錆びた一つの檻と、その中に押し込められた鎖のついた少年だった。
 少年は泥と血とそれ以外の何かで汚れた手で檻を掴み、悠然と見下ろしてくるアルベルトをじっと見つめていた。暗闇の中唯一爛々と輝いていたのはその瞳のようだった。
 ほう、とアルベルトは目を細める。その口角が緩やかに上がる。アルベルトのその好奇心に満ちた微笑みを見たのは、その少年のみだ。少年は腫れた目をはっと見開いた。

 アルベルトはゆっくりと腰を折り、少年の金の瞳をよく見ようと顔を檻に近づけ、汚い檻を片手で握った。

「ほう、面白い目をしておるな」

 アルベルトの口から、感嘆の色が乗った低い声が漏れ出る。
 アルベルトをぼうっと見詰める金の瞳は死んではいない。この奴隷市場の中で最も死と諦観が蔓延した場所で、最も生への渇望に満ちた瞳を見てアルベルトは至極愉快な気分になった。
 ふ、ふふ、ははは。アルベルトの笑い声に、背後ではっと息をのむ気配がした。

「金の目の子どもよ。貴様はどうやら生に貪欲らしいな。実に良い、好ましい。ここらにいる人間は生を諦め死を安寧として待つ愚か者ばかりでつまらぬ。が、齢10にも満たぬ貴様が一等、生を諦めておらぬのであれば、俺のこの散歩も無駄にはならなかったようだ」

 檻を握るアルベルトの手に、小さな手がそっと触れた。背後で動く気配がして、アルベルトは空いた片手で背後の臣下へひらりと手を振った。
 貴い身分のアルベルトに触れた奴隷へ咄嗟に放たれた殺気は途端に霧散する。アルベルトは再び笑った。檻の中にいる少年がそれまでどこか陶然としていた表情を一変させ、アルベルトの背後を睨んだからである。

 アルベルトはついに腹から声を出して笑った。この状況だと、この少年はおそらくこの奴隷市場の中でも最低の扱いをされていたはずだ。痩せ細った傷だらけの肢体を見るに、性玩具としてすら扱われずただ死なぬ程度に痛めつけられ放置されていたようだ。その少年の状態で生きる気力を持っていることすら感嘆に値するのに、今の様に殺気を向けられて殺気を返せるとは恐れ入る。

 笑うアルベルトを臣下は黙って見ていたし、奴隷商人たちも恐怖と困惑のまま見ていたが、少年だけはある種純粋とも言える無垢な瞳で見上げていた。
 ぽつり、と少年が何かを呟いた。掠れた声は殆ど音にならず、アルベルトの耳には届かない。
 アルベルトは顔をより近づけた。血と糞尿と吐瀉物と、その他諸々が混じった悪臭は鼻につくが、しかしアルベルトはそれよりも少年の言葉が気になった。

「何を言った。もう一度言え」

 命令でもある促しに、少年は抵抗するようなそぶりもなく再び口を開いた。こほこほと何度か咳き込んだ後、アルベルトにしか聞こえない声でゆっくりと言う。

「あんた、きれいだ」

 言われ慣れない賛美の言葉に、アルベルトは眉根を寄せた。どこぞの詩人がアルベルトを凛々しき獅子王と称賛し謳ったこともあるし、美姫に言い寄られることも幾度もあったが、綺麗という賞賛の言葉をかけられたことはない。
 普段動じることなど無いアルベルトだったが、流石に戸惑った表情を浮かべた。はは、と少年は小さく笑う。

「かわいい」

 アルベルトはますます不可解な表情となった。
 綺麗と言う言葉以上に、アルベルトには似つかわしくない言葉だ。幼少期であればまだしも、今のアルベルトには当てはまらない。

「……俺が?」
「きらきらしてて、かわいくて、きれいだ」

 アルベルトを見つめる金色の眼は澄んでいる。アルベルトは、この薄汚い奴隷の少年が嘘をついていないのだと分かってしまった。
 アルベルトは、はっ、と再び短く笑った。面白いことを言う子どもだと思った。

 諸外国から恐れられている国の中でも、最も恐怖の対象となっている男を、言うに事欠いて可愛いとは!

 アルベルトは愉快な気持ちのまま、握ったままでいた錆びた鉄の格子を握り潰した。元より錆びて脆くなっていた格子はバキバキと嫌な音を立てて呆気なく歪み、潰れた。数本の格子を同じように潰せば、子供一人余裕で通れる穴か出来上がる。
 殿下、と咎めるような声が背後から聞こえたが、アルベルトは耳を貸すことなく両腕を檻の中に突っ込んだ。
 血と泥に汚れた鎖に手をかけた時、小さく冷たい手が、アルベルトの手にそっと触れた。アルベルトは気にせず、服の内側から短刀を取り出すと、鎖に向かって振り下ろした。
 ガツン、と音がして鎖は粉々に砕け散る。短刀の刃は欠けることなく健在で、流石はオリハルコン製だとアルベルトは気分が良くなる。
 アルベルトは、どんな美女よりもどんな美味い物よりも、優秀な武器が好きだった。

「出ろ」

 アルベルトの言葉に、拘束から解き放たれた少年は少しふらつきながらも、檻の中から這い出てきた。
 しゃがんでいたアルベルトが立ち上がろうとしたが、その前に少年がそろそろと両手を伸ばしてきたので、アルベルトはしゃがんだままその動作を見守った。
 あらゆる種類の悪臭が混じり合った臭いが、少年が動くことによってまき散らされて、アルベルトの臣下たちはそれぞれ呻き声を上げたが、アルベルトの顔色は変わらない。
 汚れた両手はアルベルトの頬にそっと触れた。がさがさな手が、アルベルトの頬をざらざらと撫でる。
 ぐっと顔を近づけてきた少年は、アルベルトの翠色の目を覗き込んで、へらりと笑った。

「きれいなおうさま」

 アルベルトはその慣れぬ言葉に肩をすくめて立ち上がった。

「どっちの言葉も間違っているぞ。しかし、おまえ、酷い臭いだ。さっさと洗わせねばな」
「殿下!本気でその奴隷を連れ帰る気ですか?!」

 さすがにそれ以上黙っていられなかったのか、臣下の一人が悲鳴交じりで言うが、アルベルトは一瞥を送っただけで、少年を小脇に抱えて踵を返した。

「おうさま、俺をつれてくのか?」
「嫌か」
「いやじゃない!きれいな王様といっしょは、うれしい」

 小脇に抱えた少年を見下ろせば、にこにこと笑いながらアルベルトを見上げてきた。
 奴隷市場を歩く中、脇に寄っていた奴隷商人が恐ろし気な顔でアルベルトたちを見ていたのに、アルベルトは気付いていた。その目線が、この国を蹂躙したアルベルトではなく、金の目の少年に向けられていることにも、勿論気付いていた。
 アルベルトは、く、と笑う。
 アルベルトが笑ったのが分かったのか、少年は再び嬉しそうな声で言った。かわいい、と。




「王様」

 低いが、しかしまだ若さの残る声に呼ばれて、うつらうつらしていたアルベルトはゆったりと翠色の目を瞬かせた。
 豪奢なベッドの上に寝転がり、くあ、と欠伸を漏らす様は、まるで大型の肉食獣が優雅に昼寝でもしていたようだ。その首に首輪でもあればそのものだが、しかし、アルベルトの首を拘束するものは無い。

「王様、おはよう」

 へらり、と気の抜けるような笑みを浮かべた青年がベッドのそばに立っていた。この国の軍服を着こんだ男は、瑞々しい林檎を片手に、ベッドへと腰掛ける。
 アルベルトは億劫そうに身体を転がして、寝転がったまま肩ひじをつきそこに側頭部を乗せて青年を胡乱げに見やった。

「おまえか」

 その言葉一つで尊大さを纏わせるアルベルトに、男は気分を害した様子もなく、ただ笑って林檎を差し出した。口元に林檎を持ってこられたアルベルトは、仕方なさそうに鼻を鳴らした後、その林檎に噛み付いた。
 しゃく、と小気味の良い音がした。アルベルトの口の端から、林檎の果汁が滴り落ちていく。それは顎まで垂れて、自重によってそのままベッドに吸い込まれる運命にあったのだが、その運命は男がその汁を啜ったことで断ち切られた。
 顎を舐められたアルベルトは、動揺の色を浮かべることもなく、男の持っていた林檎を取り上げた。そのまま噛り付くアルベルトを、青年はただ幸せそうな顔で見ているだけだ。

「可愛い。綺麗だ」
「飽きんな、おまえも」
「俺が王様に飽きる日なんて絶対来ないさ」
「俺をそう思うのはおまえだけだ、馬鹿者」
「へへ、それは有難い。格好良い王様はみんな知ってるけど、これで可愛くて綺麗だってことも知られたら盗られちまう」

 その言葉が本気のものだと知っているアルベルトは、やれやれと肩を竦めるだけだ。
 アルベルトは林檎を食いつくすと、残った芯をベッドの外へと放った。片付けて置け、と命じれば、分かった後で、と言葉が返ってくる。

「なあ、王様」

 呼びかけに、アルベルトは声を発することなく目だけで何だと問いかける。金色の眼を細めて、青年は言葉を続けた。

「なんで俺を拾ったんだ?」
「何でだと思う」
「えーと……同情……は一切ないよな、王様には」

 アルベルトは鼻で笑った。

「使えると思った、も違うよな。今でこそ俺としては強くなったと思うけど、当時は貧弱なガキで、王様になんざ絶対敵わなかったし。稚児趣味も、王様にはないし。従者は既にたくさんいたしわざわざ汚い奴隷使うまでもない」

 うーん、と唸って首をひねる姿は、一騎当千と謳われる英雄にしては、ひどく幼げで無邪気だ。しかし、アルベルトにとっては見慣れた姿でもある。
 うんうん唸る若者に、アルベルトは早々に答えをくれてやることにした。そうでないと、思案の渦からなかなか戻ってこないような気がしたのだ。
 アルベルトは、己が他者を無視することはあれど、己が他者に無視されたくないときに無視されるのは我慢ならないのだ。

「目だ」
「目?この金色の?まあ、珍しいかもだけど」
「色などではない」

 アルベルトは馬鹿にしたように溜め息をつき、近くの若者の頭を軽く小突いた。

「目の色など、金でも青でも緑でも赤でもどうでも良い」
「でも、王様の翠の目が一番綺麗な色だと思うぜ」
「そういうことではない」

 アルベルトは今度は呆れたように溜め息をついてから、青年へと手を伸ばし、その目元を親指で軽く撫でた。擽ったそうに目を細める元奴隷の青年の頭を今度はぽんと撫でてからアルベルトは言う。

「あの状況下で、多くの奴隷たちの中でおまえが一番生きたがっていた。だからだ。俺は生を諦め死を待つ目が一等嫌いだ。俺が好きなのは、生を渇望し、生へと縋り付く目だ。だから戦争は好きだ。死にたくないがために、俺へ向かってくる目が好きなのだ。だが今まで見てきた、生を掴もうとする目の中で、おまえの目が一番興味深かった。だから持って帰った」

 青年は頭を撫でられながら、ぽかんと間の抜けた顔を晒していたが、次の瞬間には嬉しそうに破顔した。

「……そっか!俺の目かあ」

 にへら、と男は笑う。アルベルトはその気の抜けたような顔を叩いた。

「いたっ」
「あまり馬鹿面を晒すな。おまえは王なのだぞ」
「俺にとっては、王様が王様だ」
「何を馬鹿なことを。王であった俺を武力で捻じ伏せて王位を奪い国を奪ったおまえが何を言う」
「だって、奴隷が王様の隣にいるのが駄目なら、奴隷が王様になっちまうのが単純な話だろ」

 首を傾げて、俺馬鹿だから単純な話じゃないと、と嘯く男は、今日初めて、含みのある笑みを浮かべた。無邪気でも幼くもない、狡猾な男の顔だった。

 1年前の話だ。
 アルベルトが王子の頃持って帰った戦利品が、王であったアルベルトを純粋な力でその玉座から引き摺り下ろし、代わって王位に就いた。
 奴隷が王となる前代未聞な出来事は、しかし、力が正義とされるアルベルトの国では戸惑いつつもすんなりと受け入れられた。この国が求めているのは血筋ではなく、力だったからだ。
 そして王だったアルベルトはただのアルベルトとなった。

「大好きだ、俺の王様。世界で一番綺麗で可愛くて格好良い、俺だけの王様」

 否、皆の王から、たった一人の奴隷の王となったのだった。

 へら、と万人に愛されそうな、幸せいっぱいの笑みを浮かべた青年は、ベッドに横たわるアルベルトにじゃれつくように飛びついた。

 国盗りを成功させた元奴隷は、かつてその国の王として君臨していた男をそれはそれは大事に、丁寧に飼っている。
 王城の最上階、誰も足を踏み入れることのできない豪奢な一室に、かつての王は閉じ込められた。
 矜持が高いと思われているアルベルトだが、実際はさほど高くはない。こうして飼われている状況を、アルベルトは特に苦も無く受け入れていた。
 今もなお生を渇望する金の目が、傍にあるだけで良いのだった。

「俺、あの時までは死んでも良いと思ってたんだ」

 奴隷の王は、秘密話を打ち明けるようにひっそりと語った。

「でも、王様を見た瞬間、生きたいと思った。王様を手に入れるまで死にたくないと思ったし、今は王様が死ぬまで生きたいと思ってる。俺は、王様が好きなんだ。なあ、王様。俺とずっと一緒に、生きてくれな?」

 共に生きたいと渇望する目を手に入れることができて、アルベルトは大いに満足だった。


END.


アルベルト:力こそが正義!力こそが全て!な脳筋国家の元王様。半端なく強い。そしてイケメン抱いて!と群がられるような男前。でもそんなにむさくるしくはない。

奴隷:アルベルトに一目惚れした少年。チート能力の持ち主のため劣悪な環境下で何やかんや生き延びた。年の差は10〜14歳程度。実は異世界から転生トリップしてきた元男子高校生という裏設定がある。