夜の神様と神裁きの半神





「ルドワーレ」

 住んでいる場所が全く違う上に、互いに会いに行く性分でもないため長らく会っていなかった姉が、何かしらの明確な意図をもって尋ねてきたことが大層珍しく、夜の神ルドワーレはぐるぐると暗闇の空をかき回していた杖をぴたりと止めた。
 途端、杖にかき回されゆったりと動いていた雲や星々もその動きを止めた。
 そんな夜空をちらりと見てから、姉は炎の眼をルドワーレへと戻した。
 じっと見つめてくるその視線は、熱い。それもそのはず、ルドワーレの姉は太陽の神。彼女の眼は、彼女の性質を如実に表していた。

「……相も変わらず、暗いな、ここは」
「それが俺の住む場所の本質故に。それで?その暗い世界に何用か、姉上」
「そしておまえも相変わらずの素気なさだ」
「何用か」

 夜空に突っ込んだままだった杖を引き抜いて、ルドワーレは姉に向き直った。
 さら、と腰まで伸びた夜色の髪を鬱陶しげに軽く手で払いのけたルドワーレに、姉は「邪魔なら切れば良い」と呆れ顔を向けた。
 その言葉にルドワーレは確かにと頷いた。全く、姉の言葉は道理に叶っていると思った。それから、月色の目を姉に向けた。

「後ほど、切ろう。それよりも、太陽神である姉上ご本人がわざわざ俺の元へ出向いて来るとは、余程のことでもあったのだろう。何用か」
「余程のこと、ではない。と言いたいところだが」
「うん?」
「親父殿が子を作った」
「珍しいことはではないだろう」

 ルドワーレたちの父は、あちらこちらで子を作る。おかげで、弟妹は数え切れないほどにいるのだ。
 新たな弟か妹が出来たからと言って、珍しいことではない。

「神との子であれば、珍しいことではあるまいよ」
「神との子ではないのか。妖精か?それとも、動物だろうか。植物か?何にせよ、妖精とも動物とも植物とも、あの方は既に子を生しているはずだが」
「人だ」
「人」

 姉の口から出た種族名に、ルドワーレは鋭い月色の目を丸くした。それから、なるほど、と納得したように頷いた。

「人か。人と交わったのか、あの方は。母上がよく許したことだ」
「母上の目を盗んで人の娘を一人掻っ攫ったらしい」
「それは、余程のことだな」

 杖を壁に立てかけて、ルドワーレは難しい顔で腕を組んだ。眉間に皺を寄せて目を瞑る。

「おかげで、地がよく揺れる」
「母上はお怒りか」
「勿論だとも。親父殿は取っ掴まって、地の底に閉じ込められている」
「自業自得だな」
「そうだとも」
「その、人の娘は?」
「母上が奪い返し、元いた場所に戻した。だが、一足遅かった。既に親父殿の子を身ごもっていたのだ。神との子だ、無理に取り上げれば娘の命は無い。母上は渋々産ませたようだ」
「なるほど。人の子一人だ、子諸共殺せば良かろうに……と言ったら、母上に俺が殺されるだろうか?」
「ここが地の上でなくて良かったな」
「分かって言っている。さすがに、人を一等気に入っている大地の神の元で言うほど莫迦では無い」

 人。ほんの少し前に、ルドワーレたちの母である大地の神が己の身体の一部をこねくり回して偶然出来上がった生き物である。
 二つの性を持ち、それなりの知恵を持つその生き物を、母は大層気に入っている。
 生まれて間もないというのに、独自の文明らしきものをそこそこのスピードで築き上げていく様は見ていて飽きないらしい。また、母なる大地、と己を一途に信仰してくれるのが愛らしいとのことだ。

「それで、あの方が母上気に入りの生き物と許可なく交わったのは余程のことだが、それを言いに姉上はわざわざ此方へ参られたのか?暇だったのか?」
「暇なものか。おまえが先程のように夜空をかき回す仕事がある様に、私にだって空を照らす仕事がある。そも、おまえより私の方が仕事量は多い」
「………確かに」

 言われて考えてみるが、確かにルドワーレよりも姉の方が仕事は多いように思えた。

「親父殿が人と交わり、子をもうけた。それだけであれば、私がここに来る必要もない。そもそも、気にも留めない些細なことだ。母上の怒りも一過性の物だろうからな。ただ、問題が起きた。親父殿を蹴落としたい輩が、その子どもに厄介な力を授けてな」
「厄介な力?」
「神殺し」

 ルドワーレは、不快そうに目を眇めた。相対する姉もまた、同じような顔を晒している。
 夜の神ルドワーレと、太陽の神シャリアータ。相反する者同士であり、容姿も全く異なるというのに、姉弟であるからか浮かべる表情は似通っていた。

「それは厄介だな」
「だろう?どうせ、その子どもを上手いこと唆して親父殿や、それこそ私たちも殺す算段なのだろうよ。しかし、だ」

 にやり、と姉は笑う。その笑みは美しいというよりも、恐ろしい。歯を見せ笑うさまは、まさしく何もかも焼き尽くす太陽の如き輝かしさだ。

「私に害為そうとする、すなわち、その逆をされても文句は無いはずだ。面白いので、首謀者は殺してやらん。私のものとする」
「ほう」
「なので、おまえは親父殿と人の間に生まれた子供に、奴らが接触するか見張っておけ」
「何故俺が」
「私よりも暇だからだ」
「仕事がある」
「おまえの仕事は、夜を齎すことと、夜空の星と雲を移動させること。その子どもがいる場所にいても、できるだろう?まあ、その分子供がいる場所には他より長めに夜が訪れるだろうが、さして問題は無いだろうよ」
「………」

 飄々と言ってのける姉をルドワーレは苦々しげに見やるが、姉の性格をよく知っているため、すぐに溜め息をつき諦めたように緩く首を振った。

「相変わらず、姉上は横暴だ」
「私は太陽だからな。それで?やってくれるか?」
「俺に拒否権など無いだろうに」
「無い。では、明日から頼むぞ。そろそろ日が明けるので、私も仕事に戻らねば」

 姉の言葉につられて空を見やれば、夜闇にはいつの間にかうっすらと明るい光が差し込んでいた。
 星々も仕事は終わったとばかりに姿を消し始めている。そんな星々の中で、幾つかから、ルドワーレの仕事の手が止まっていたことを咎める視線を感じた。
 好きで手を止めたのではないのだが、と元凶を見れば、その元凶は既にその身を翻し遠ざかっていた。
 そろそろ彼女の時間なのだから、その慌ただしさも仕方がないことに思える。

 やれやれと肩を竦めたルドワーレは、立てかけていた杖を掴み、その夜色の長い髪をさらりと揺らして姿を消した。


***


 夜空をある程度杖でかき混ぜた後、ルドワーレはその杖を携えて地へと降り立った。
 そこは、それなりに栄えている国のようだった。覚えのある気配の欠片を辿り、ルドワーレはその国の中心に聳え立つ城を真上から見下ろした。
 白亜の城は、少し目を見張る程度には美しいものだった。神は美しいものを好む。ルドワーレとて、例外ではない。
 暫し城に見入った後、迷いなくその城の一角を目指した。数人の人間とすれ違った際に鼻孔を擽る芳醇な匂いに誘われつい一瓶、彼らから酒をくすねてしまったが、さして問題は無いだろう。
 むしろ知らぬ内とは言え神に酒を献上したのだ、死後は少しばかり優遇されるはずだ。それをもってして許せ、とルドワーレは思う。

 片手に杖を、片手に酒瓶を持ったルドワーレは、目当ての塔へと辿り着く。ふわりと身体を浮かせて窓を覗き見れば、明るい室内に二人の人間と一人の赤子がいるのを見つけた。
 二人の人間は、赤子の世話人のようだ。赤子はと言えば、一目見て、ルドワーレはあれが自分の弟だと気付いた。
 父親の気配は実に分かりやすいのだ。

 窓の外から見ていれば、ふいに赤子がこちらを見た。銀色の眼が丸くなる。それから、その幼き顔がぱっと綻んだ。
 小さな指でルドワーレを指差した。可愛げのあるその様に、ルドワーレが酒瓶を持った手を上げて挨拶をし返した時、パンッ!と乾いた音が響いた。
 一人の世話人が、赤子の頬を叩いた音だった。
 顔を青ざめさせて赤子に怒鳴る女と、不気味そうに後ずさる女を前に、赤子の顔は歪みぼろぼろと涙を零し始めた。
 それをじっと見ていたルドワーレだったが、ふいに下を見下ろすと、ぽい、とそれを下へ放り棄てた。
 カシャン、と割れる音がして、それから下が賑やかになる。少しばかり、悲鳴も聞こえてきた。
 それを、部屋の中の女二人も聞いたのだろう、何事かと部屋から出て行った。
 部屋には赤子一人が残される。

 ルドワーレは、空いた片手で窓をそっと開けた。そこを跨いで、室内へと入り、赤子の元へと近寄った。

 ひっく、としゃくりあげる赤子は、傍に立ったルドワーレをぼうと見上げていた。

 ぼろぼろと銀色の眼から涙を零す赤子を前に、ルドワーレは困惑した。
 ルドワーレには、それこそ数え切れないほどの弟と妹がいる。しかし、生まれたばかりの姿がここまで小さいものはいなかった。
 つまり、幼い赤子の泣き止ませ方を、ルドワーレは知らなかった。そもそも、泣き止ませるような状況になったことすら無いのだ。

「名は何と言う?」
「うー、あ、ぅう、」
「名は?」

 尋ねても、意味のなさそうな音しか紡がない赤子に、ルドワーレはますます困惑した。未だに涙を零し続ける銀の目には、夜色の髪の男が映っている。
 ルドワーレは、そっと赤子の目元を指で拭う。きょとり、と無邪気な顔で見上げてくる赤子は、まっさらだった。

「……そう言えば、人は成長すると聞く。すると、おまえはまだ、何もないのか」

 神は、生まれた瞬間には神だ。なので、己の管轄するものに対しての知識を持ったまま生まれてくる。
 ルドワーレも、そうだった。夜の神として生まれたので、生まれた瞬間には己がどういった存在で、何を管轄し、何をすべきか識っていた。
 しかし、目の前の赤子には何もなかった。それはきっと、神と人の間の子だからだ。

 ぽろぽろと流れ落ちる涙を掬い、叩かれたことで赤くなってしまったそのまろやかな頬をそっと撫でた。ひっく、としゃくりあげるのは止まらないが、いつの間にか赤子の目から零れる涙の量は減っていた。

「……う?」
「うん?」
「あー、う、」
「何を言ってるか分からんな」

 そうぼやきつつ、ルドワーレは赤子に顔を寄せる。間近で見た銀色の目は、初めて見る色だ。少なくとも、ルドワーレの知る他の神々は持っていない目の色だった。
 近くで見れば、女に叩かれた頬に僅かに血が滲んでいるのを見つけた。どうやら、爪が当たったらしい。
 神にも痛みはあるので、きっと神と人の間の子であるこの赤子にも、痛みはあるのだろう。
 ルドワーレは、その血が滲んだまろやかな頬にそっと唇を寄せた。それから顔を離すと、不思議そうな顔をする赤子の頭をぎこちなく撫で、それから赤みも引き、血も滲んでいない頬を撫でる。

「しかし、神との子であるおまえを、何故あの人間は叩いたのだ?」

 その疑問の声に、怒りは無い。ルドワーレは不思議そうに首を傾げた。

「人は得てして、神を敬うものだ。何故神を害するのか」

 赤子は、ルドワーレをじっと見上げていた。


***


 赤子の名前がリュシオンであり、また、忌子として人々から忌避されているのだと知ったのは、二度目に様子を見に来た時だった。
 姉の言いつけ通り、ルドワーレは件の異母弟がいる国に然程の期間を置かず訪れた。
 相変わらず美しい白亜の城の端の塔に向かう途中に、赤子の名前と置かれている状況を知ったのだった。

 あの部屋の窓から室内を覗きこめば、小さな子どもと、大人が二人いた。大人の一人が、子どもを鞭で叩いている。躾だと喚いている。
 ルドワーレは携えていた杖の頭で、コツン、と塔の外壁を軽く叩いた。途端に、塔がぐらりと揺れた。
 室内の人間は、子どもを置いて慌てて部屋を飛び出していった。
 大きな揺れに尻餅をついた子どもは二人が出て行った扉を見ている。
 ルドワーレは、がらりと窓を開けて室内へと入り込んだ。

「え?」

 音に反応した子ども――リュシオンは、慌てて振り返り、それからその銀の瞳を大きく見開いた。
 ルドワーレは座り込んだままのリュシオンの前で立ち止まり、その首根っこを掴み持ち上げた。固まったままのリュシオンを、ベッドの上にそっと置き、改めて見下ろした。

「息災か。まっさらだったのが、少しは埋まっているな。良いことだ」

 頷き、ルドワーレはリュシオンの右腕を掴みその袖を捲った。赤い蚯蚓腫れの走る華奢な腕をそっと撫でれば、それはみるみるうちに消えていく。は、と息を呑む音がした。

「あの、」
「ん?」
「あんたは……誰だ?」
「俺の名を聞いているのか?」
「……うん」
「ルドワーレだ」
「ルドワーレ?」
「ああ。おまえの名はリュシオンか」
「なんで知って……ああ、そっか。俺、有名人だもんな」

 少し驚いた顔をしたが、すぐさま何か納得したようにリュシオンは頷いた。それから、口元を歪めて笑う。

「そっか。なんだよ、あんたも俺を殺しに来たのか?」
「………」
「でも、残念だったな。俺はそう簡単に死なない身体なんだ。なにせ、悪魔の血が入ってるんだから」

 ルドワーレは、その言葉を聞き怪訝そうに首を傾げた。さら、と長い髪が流れ落ちる。鬱陶しいから後で切ろう、と思い、そう言えば少し前にも同じことを考えたことを思い出す。

「どんだけ傷つけられても、明日には治ってる。毒を飲んだって、苦しいだけで死んだりしない。だから、あんたには俺を殺せやしない」
「それはそうだろう」

 ルドワーレには、神殺しの力は無い。半神であるリュシオンを殺すことなどできないのは、当たり前のことだった。その当たり前のことを言われて、ルドワーレは何を今更と思った。

「……なんだよ、あんたも分かってたのかよ。じゃあ、意味なくここに来てご苦労様、だな」

 そう言って顔を背けるリュシオンを、ルドワーレはじっと見ていた。しかし、リュシオンの手首を見て、その眉間に皺を寄せた。
 リュシオンの手首を掴めば、リュシオンはびくりと肩を揺らし、恐れの入り混じった目でルドワーレを見上げた。

「これは、どうした?」

 手首に通されたブレスレットを示して尋ねればリュシオンは弱弱しげに首を振る。

「知らね。……気付いたら、はまってた」
「ほう」
「でも、夢見るんだ。気味悪い、夢。何かを殺せって、騒いでる」
「………」
「怖い。でも、でもさ、なんか、殺しても良いかなって、そしたら楽になんのか、って思う」

 リュシオンが、ルドワーレの手に触れる。それから、ぎちり、とその小さな爪をルドワーレの手の甲に突き立てた。
 ルドワーレを見上げる銀色の目は爛々と輝いている。

「何を殺せと?」

 手の甲を傷つけれているのをそのままに、ルドワーレは子どもに問う。何が、何を殺せと騒ぐのか。尋ねれば、リュシオンの目が細まった。

「……分かんねぇよ。知りたくも、無い」

 リュシオンが苦しそうに顔を歪め、頭を抱えた。ルドワーレは、血が滲む手をそのまま動かして、リュシオンの頭をそっと撫でた。
 それから、リュシオンの顔を無理やりに上げさせると、ぜいぜいと喘ぐリュシオンの額にそっと唇を寄せた。

「昼間の夢は管轄外だが、夜の夢はせめて良いものが見れるように計らおう。俺が命じたから、もう夜に妙な夢は見ない」

 それから、ルドワーレはゆっくりと身体を離した。

「俺は仕事に戻るとしよう。ああ、それと」

 身を翻したルドワーレに、リュシオンの小さな手が伸びる。しかし、その手は夜色の髪の先に少し触れられただけだった。
 ベッドの上でルドワーレを見つめるリュシオンを流し見て、ルドワーレは言う。

「おまえに悪魔の血は流れていない」

 それだけ告げると、ルドワーレは少しずつ明るみ始めた空を眩しげに見やって、そのまま窓を乗り越えた。


***


 ぐるぐると、夜空を杖でかき回す。ゆったりと流れていく星を見降ろしていれば、ふと視界に己の夜色の髪が入った。

「そう言えば、鬱陶しいな」

 呟いて、ルドワーレは髪を掴むと、ぶちり、と引きちぎった。
 それを、ぽい、と夜空に放れば、それは空を流れる一筋の光となる。
 随分な量を捨てたので、空にはざあざあと一閃が現れていた。遠くで何かを願う声がいくつも聞こえた気がした。

 膝ほどもあった髪は、今や肩より少し下の長さになっていた。すっきりした心地で、ルドワーレは再び杖で夜空をかき回す仕事を再開した。
 しかし、ぞわり、と背筋を這った悪寒にルドワーレは顔を上げた。

 世界のどこかで、神様が死んだと、何かが騒ぎ立てている。

 夜空に突っ込んでいた杖を引き抜いて、ルドワーレは身を翻した。



「リュシオン」
「……あ?」

 銀色の目が、気だるげに振り返った。その鋭い目が驚きに丸くなり、それから、愉快気に細くなる。

 男がいた。金色の髪と銀色の目を持つ、雄々しい男だった。携えた禍々しい黒い剣からは、ぼたりぼたりと赤い血が滴り落ちていた。

 美しかった白亜の城には、人はいない。
 いるのは、半神であるリュシオンと、神であるルドワーレだけだ。
 玉座には、老いた男が座っていたが、事切れていた。その傍らには、兵士や女が重なり合って倒れている。
 それから、リュシオンの前には、死んだ神が倒れていた。

「神を殺したのか」
「ああ。だって、こいつが言ったんだぜ。神を殺せって。こいつだって、神だろう?」

 なるほど。どうやら、神殺しの力を持つリュシオンを唆した神は、早速その力を自ら受けたらしい。

「どこの神だ?……なるほど、天候の神か。であれば、あの方を殺そうと考えるのも納得だ。しかし、殺してしまったか。困った」
「……あんた、困るのか?」
「ああ。姉上が欲しがっていたからな。機嫌が悪くなるぞ。きっと暫く日照り続きだ」

 やれやれと肩を竦めたルドワーレは、きょろりと城内を見渡した。

「それで、何故神だけでなく人も殺した?」

 リュシオンは、む、と口を引き結んで死んだ人々を睨みつけた。

「……散々、俺のこと蔑んで馬鹿にして痛めつけておきながら、今更“勇者”に祭り上げて、地下深くにいる邪神を殺して来いだとよ。ふざけんじゃねぇ。ムカついたから殺した」
「そうか」
「あんたは、間違ってると思うか」
「俺にはおまえの行いの善悪を裁く権限は無いから、知らん」
「へぇ」

 リュシオンが笑う。三度目になる邂逅だが、以前よりも、リュシオンの中身は埋まっている。これが、人の成長というものか、とルドワーレはしみじみと思う。

「なあ」
「うん?」
「あんたも、神様?」
「勿論」
「……夜の神?」
「ああ、そうだ」
「俺はなに?悪魔の血は入ってないって、言ってたろ。それ、俺にとっちゃ縋る言葉だったんだ。なあ、俺は何だ?」

 じっとルドワーレを見つめる銀色の目が、揺れている。それは、小さな子供を思わせる。否、リュシオンはまだ子どもなのだ。

「悪魔じゃない。神だ。おまえは俺の弟だ。父なる空の神と、人の娘の間の子。それがおまえだ、リュシオン」

 ぽかん、と間の抜けた顔を晒すリュシオンを置いて、ルドワーレは踵を返す。

「は?え?ちょ、ちょっと待てよ!どこ行くんだ!」
「天候の神が死んだ上に、暫く日照りが続く。天候の神ほど上手くはいかないだろうが、どうにか雲を集めて雨雲を作らなければならない。俺は仕事に戻る」

 そう告げると、ルドワーレは仕事に戻った。


***


「ルドワーレ」

 久しく聞いていなかった声に、ルドワーレは動かしていた杖を止めた。
 顔をあげ、振り返ればそこには姉がいた。
 少し疲れた顔をしている。

「姉上。なにやら疲れているようだが?」
「疲れもするとも!末の弟の、なんと無茶苦茶なことか!」
「末の弟」

 ルドワーレには沢山の弟がいる。誰が末かなど、知りもしない。

「親父殿が人とこさえた子どもだ」
「ああ」

 そうか、あれが末の弟。そう言えば、父は地中深くから解放されたようだが、母が目を光らせているのであれから子どもを作っていないようだった。

「あの子どもがどうした?」
「どうしたもこうしたも。突然私の元に力業でやって来て、ルドワーレに会わせろと喚き暴れた。おまえが神出鬼没で私にしか居場所が分からんので、さっさとおまえの元へ連れていけと神殺しの力をちらつかせて脅してきた」

 そう文句を言うが、姉はどこか楽しげだ。

「太陽神に対して、勇気のあることだ」
「だろう?愚か者の大馬鹿者だ。だが、嫌いじゃない。だから、連れてきてやった」
「ほう」

「ルドワーレ!!」

 血と泥に汚れ、ぼろぼろになった男が走りよってきた。何をするのかと見守っていれば、男はルドワーレに勢いよく抱き付いた。
 身長のほとんど変わらない相手に抱き着かれ、ルドワーレはその反動で杖を落としてしまった。
 カラン、と音を立てて落ちた杖を目で追おうとしたが、頬を撫でた分厚い手によりそのまま顔を上げさせられた。
 ルドワーレの顔を覗きこむのは、銀色の目だ。
 銀色の目は、じっとルドワーレを見つめていたが、じわりと、わずかに潤み、それから一筋涙を流した。
 それに懐かしさを覚えて、ルドワーレはその目の縁をそっと指で拭った。

「俺、」
「ん?」
「俺、あんたが好きだ。たとえ、あんたが俺の兄貴でも」

 ルドワーレは困惑した。

「殆ど体格変わんねえし、あんたはどっから見たって男前だし、でも、俺、あんたが好きなんだ。どう好きかっていうと、抱きたい。愛したい」
「………」
「でも、あんたが悪いんだぜ。俺がちっせー時に会いに来て心奪っちまうからだ。会いに来なけりゃ、良かったのに。なんで、あんたが兄貴なんだろう。兄貴じゃなかったら、良かったのに。あんた殺したら、生まれ変わるか?そしたら、血の繋がりも無くなるか?」
「おまえは俺を好きなのか」
「ああ、うん、好きだ」

 見目は既に大きいが、頷く姿は子どもだ。たとえその手が数多の神の血に濡れていようが、リュシオンは子どもだった。

「そうか。ところで、神を幾つ殺した?」
「数えてない」
「何故殺した?」
「邪魔だったから。俺はあんたに会いたかったのに、邪魔してきた。俺を自分のものにするって、あんたのものにはさせないって」

 リュシオンは美男で、そして神殺しの力を持つ。欲しがる輩は多いのだろう。どうやら、母も溺愛しているようだ。
 最後に会ったときより、リュシオンは多くの加護と力を持っているので、母があれもこれもと与えたのだろう。ついでに、父も色々詰め込んだらしい。
 神の中では末席にいるはずのリュシオンの力は、神の中でもトップクラスに近くなっていた。
 さすがに姉には劣るが、姉を手こずらせるほどの存在にはなっているようだ。

 ルドワーレとリュシオンを静かに見ていた姉は、太陽色の髪をかきあげ、言った。

「なるほど。末の弟よ、ルドワーレがおまえに神を殺すなと命じれば殺さないか?」
「……余程我慢ならなけりゃな」
「殺せと命じれば、殺すか?」
「ああ」
「そうか。ルドワーレ。末の弟を側に置け」
「俺に御させるか」
「それが一番良いだろう。おまえの言うことなら聞くようだ」
「分かった」
「ちょ、っと、待てよ!」

 淡々と交わされる神同士の言葉を、人の子でもあるリュシオンは戸惑った様子で遮った。ルドワーレと姉は怪訝な顔でリュシオンを見た。

「末の弟はルドワーレと共にいることを望んでいると判断したのだが?」
「そう、だけど!なんで、そんなあっさり……それに、俺ら兄弟で」
「兄弟でなにか問題があるのか?」

 姉の言葉に、リュシオンは暫し開いた口が閉まらないようだった。
 ようやく口を引き結んだと思えば、リュシオンは半笑いで言った。

「そっか、そうだよな。神様にとっちゃ、血の繋がりとか、関係ねぇんだ。それこそ、神話じゃ兄弟同士なんかざらだった」

 はは、と笑いを漏らしたあと、リュシオンはおそるおそるルドワーレを見た。

「……俺を側に置いてくれんの?」
「おまえが居たいと言うのなら、居れば良い」

 リュシオンは、ぱっと顔を輝かせた。

「……ほんとか?!あんた、すげぇ気難しい神様だって聞いてたし、兄弟だし、許されないなら殺して輪廻の輪に叩き落とそうと思ってたんだ。嬉しいな」

 どうやら、知らぬ内にルドワーレはリュシオンの殺すべき神として認定されていたらしい。
 神を殺したとして、冥界の神が輪廻を許すとは到底思えないが、リュシオンなら何とかしそうだから末恐ろしいようにも思えた。

「末の弟、リュシオン。おまえがルドワーレの元に居ることを私が許そう。しかし、それは人としてではなく神として生きることになる。つまり、神としての仕事をしなければならない」
「仕事?」
「おまえの仕事は、神を裁くことだ。ルドワーレが示した神を、殺しなさい。そしてルドワーレ、おまえは仕事に神の監視を加えなさい。リュシオンが裁くべき神を指し示すのだ」

 実質、世界の神々を統括している太陽神の言葉を、ルドワーレが拒否するわけもなかった。
 是と答えたルドワーレの月色の目の奥に、きらりと銀色が僅かに煌めいた。
 それを見て姉は満足そうに頷くと、豪奢なマントを靡かせリュシオンに向き直った。背の高い彼女は、末の弟を見下ろし告げる。

「ようこそ、人と神の間の子。おまえは今日から神だ。ルドワーレに会うために、幾度もの試練を超え、浅慮で我が儘な神の誘惑にも靡かず、幼稚な恋を後生大事に抱えておまえはここまでやってきた。そんなおまえを、歓迎しよう」

 そして姉はにやりと笑い、身を翻した。

「さて、そろそろ私の時間だ。おまえはさっさと引っ込め、ルドワーレ」
「いつもより早いのでは?」
「昼よりも夜が長い日と、夜よりも昼が長い日があっても良いだろう。その方が面白い。今日は早く引っ込んで、末の弟を甘やかしてやると良い」

 姉は、ルドワーレの言葉を待つことなく、出ていってしまった。
 夜が明けていく。

 奔放に世界を駆ける姉を諦めた心地で見送って、ルドワーレはリュシオンに向き直る。リュシオンは呆気にとられた様子で姉を見ていたが、我に返ったようにルドワーレを見た。
 ルドワーレは、そんなリュシオンの血だらけの手を取り、そっと傷に口づける。たちまち傷が消えてなくなった手をそっと撫で顔を上げれば、ルドワーレの視界に顔を赤らめたリュシオンの顔が映る。
 その反応に、ルドワーレは以前に抱いた星の一欠けらを思い出した。ルドワーレが戯れに手を出した、美しい星もまた、今のリュシオンのようないじらしい反応を返していたものだ。

「……っ、あーっ、クソ!好きだ!」

 顔を真っ赤にさせたまま、銀色の目を釣り上げてルドワーレを睨んだリュシオンはそう叫び、ルドワーレに再び抱き付いた。
 全く予期していなかったそれに、ルドワーレは抱き付いてきたリュシオン共々倒れ込む。
 ルドワーレを押し倒し、その胸に頬を寄せたリュシオンは、好きだと再び小さく呟いた。
 そんな末の弟の金色の髪を、ルドワーレはさらりと撫でてから、そっと形の良い耳朶に唇を寄せた。

「俺も、好ましいと思っている」

 それこそ、赤子の頃に会ってから、三度も姿を現すほどには気に入っているのだ。だから。

「抱いてやろうか」

 ルドワーレに恋する者が聞けば、一も二もなく頷く言葉を口にすれば、その口はがぶりと噛み付くように塞がれた。

「ハッ、冗談言うな!夜の神ルドワーレ、あんたの神話は知ってんだ。夜の王、星々の憧れの男。俺はあんたが数え切れないほど抱いたうちの一人になるつもりはねぇんだ。俺はあんたを抱きたい。抱かれたことは、ないだろ?」

 ニィ、と唇の端を吊り上げる顔は、先程まで顔を真っ赤にさせていた初な男からは程遠いものだ。
 ルドワーレは数度瞬いてから呆れたように眉根を寄せた。

「聞き間違いかとも思ってたが、違うのか。俺を抱きたいとは、酔狂な」
「人と神様の子どもだ、酔狂な面はあるんじゃねぇの」

 そう言い、甘えるように首元に顔を埋めてきたリュシオンの頭をちらりと見下ろし、それからルドワーレは諦めたように肩を竦めた。



 夜空には、ぐるぐると動く星々と、動かずどっしりとかまえた月が浮かんでいる。
 しかし、偶に星がその場で動かなくなることがある。
 しかし、偶に月が何かに隠れるように無くなることがある。

 星が動かなくなるのは、夜空をかき混ぜていた夜の神様が休憩に入られるから。
 月が無くなるのは、夜の神様がその目を夜空から甘えたがりの弟へと移されるから。

 どこかの国のとある絵本にはそう描かれているらしい。


END.


ルドワーレ:夜の神様。夜空の星が動くのはルドワーレが夜空をかき回しているから。また、夜の暗闇に溶け他の神を監視している。切った髪は夜空に流し流れ星になる。夜色の髪と月色の目の美丈夫。ひっそりと過ごすことを好むため、姉であり真逆の存在である太陽神にしかその居場所を探れない。気難しく物静かな反面、美しい星々を侍らせる夜の王とも語られる。彼を中心に据えた神話は主に美しい星々との逢瀬か、姉との喧嘩であり、末の弟はほとんど登場せず、唯一登場するのが彼が神の監視者として語られる神話だが、その話でも末の弟にはほとんど触れられることは無い。

リュシオン:半神半人。神殺しの力を持つ。金髪銀目。神にしては常識的で、人にしては残虐で狂気的。神裁きの神としての一面の他、愛する兄に会う為に数多の冒険を踏破していく様に英雄気質を見出す者もいる。多くの英雄神話を持つがそのすべての最終目的が「兄に会うため」である。彼を中心に据えた神話には必ず兄である夜の神が登場する。

シャリアータ:太陽の神。空の神と大地の女神の間に生まれた長子。全知全能の神と同一視されている。長身の美しくも苛烈な女として語られることが多いが、男体で語られることもある。彼女を中心に据えた神話は基本的に他の神々との争いであり、また、数多くの神々が登場する。