回る世界と双子の日常

留守番

「それじゃあ、お父さんと私は今日から一泊旅行に行くけどね。あんたたち、喧嘩するんじゃないわよ」

 小さな旅行鞄を持った母の言葉に、清志は曖昧に微笑んだ。隣に立っていた起きたばかりの啓志は我関せずとばかりに欠伸を漏らしている。
 それを見咎めた母が、双子に似た切れ長の目を釣り上げて言う。

「あんたに言ってるのよ、啓志」
「ハァ?!なんで俺だけ!」
「あんたが清志に喧嘩売らなきゃ良いことなの。良いわね?」
「……へいへい」

 金髪を掻き毟り面倒くさそうに返事をすると、啓志は早々に踵を返してしまった。のしのしとリビングの方へと引っ込んでいく啓志の背を呆れた面持ちで見ていれば、清志、と母に名前を呼ばれた。
 母に視線を戻せば、母は頬に手を当て溜め息をついていた。

「清志。大丈夫とは思うけど、啓志に喧嘩売られてもいつも通り流しておきなさい。でも、無視は駄目よ。あの子拗ねるから」
「拗ねるってそんな可愛いものかな、あれ」
「お兄ちゃんに無視されるのが、一番あの子は嫌がるのよね。全く、昔から変わらないわ」

 そうだろうか、と清志は首を傾げる。確かに過去何度か、どうしても腹が立って無視をしたことがある。その度に目を釣り上げて罵倒し、拳が飛んできた気がする。あれが「拗ねている」状態なのであれば、何とも物騒極まりない。

「拗ねるかはともかく、無視はしないよ。あいつ、すぐ殴り掛かってくるから。僕も流石に怪我はしたくない」
「そうしてちょうだい。じゃあ、お父さんも車で待ってるし行くわね。あっ、お昼ご飯だけど」
「ああ、さっき冷蔵庫見たら食材残ってたし、適当に作るよ」
「お願いね」
「うん。楽しんできて」

 ひらひらと手を振る清志に手を振り返し、母は出て行った。
 がちゃんと閉まるドアを見届けて、清志は踵を返す。

 リビングへと向かえば、ソファの肘掛けに乗せられた啓志の足がぶらぶらと揺れているのが見えた。話し声が聞こえるので、おそらく誰かと電話中なのだろう。
 ぎゃはは、と品のない笑い声が聞こえて、清志は不快気に啓志を見た。とはいえ、ソファに寝転がっている啓志の姿は見えない。見えるのは、未だ揺れている足くらいだ。
 壁掛け時計に目を向ければ、時計はまだ9時を指したばかりだった。
 今日は金曜日。三連休の初日だ。
 頭の中でスケジュールを組み立てる。必ずやらなければならないのは、学校で出た課題だ。ボリューム的に2時間もあれば終わるだろう。今からそれを終わらせれば11時。終わった後に少し読書をして、昼食を作り、食べたら本屋にでも行こう。確か気になる新刊が最近発売されたばかりだ。それを買って、カフェで過ごし、夕方に帰宅。そこから夕食を作り、食べる。あとはゆったり過ごす。
 明日はバイトが入っているので好きに時間を使えないことを考えると、少々杜撰な計画とは言え、今日は酷く魅力的な1日になりそうだった。

「うわ、いきなり笑うとかおまえキモいな」

 いつの間にか電話を終えたらしい啓志が、ソファから身を起こし清志を見ていた。その顔は、明らかに引いてますと言いたげな、腹立たしい顔をしていた。
 確かに自分の口角は知らず上がっていたようだが、しかし、それを目敏く見られるとは思わなかった。
 母に喧嘩を売るなと言われて早々の会話に、清志は肩を竦めることしかできない。

「五月蠅いな……それより、僕は昼食の後は出かけるけど、おまえはどうするんだ?」
「あー、俺も出かける」
「いつ帰って来る?」
「何で帰る時間言わなきゃいけねぇんだよ、うっぜぇ」
「啓志」
「……チッ。決めてねぇよ、今日かもしんねぇし、夜中かもしんねぇ。明日の朝かもな」
「じゃあ、夕食はいらないってことか」
「いらねー」

 それだけ聞ければ十分だ。清志は冷蔵庫から苺ミルクジュースを取り出して、ガラスのコップになみなみと注ぐ。それを持って、清志は自室へと向かった。



「おい」

 学校から出された課題を終え、ノートを閉じた時、背後から声がかかった。振り向けば、部屋の入り口で啓志が腕を組み縦枠に寄りかかって立っていた。

「昼飯は」
「え?ああ……冷蔵庫にあるもので作るつもりだよ」
「そうかよ」

 啓志は気だるげに踵を返した。清志も、ペンをしまうと立ち上がり部屋を出る。
 清志の前を、啓志が歩いている。ポケットに手を突っ込み、少し猫背気味に歩く様は、清志と似ても似つかなかった。
 リビングへと入ると、清志は啓志の横を追い越してキッチンへと向かい、冷蔵庫を開けた。その背後から、啓志も冷蔵庫を覗きこんでいるのが分かった。

 冷蔵庫の中にある食材を見ながら、清志は何を作れるか思案する。それから一つ頷いた。

「うん、これならペペロンチーノでも作ろうかな」
「炒飯だな」

 重なった声に振り向けば、啓志が口をへの形にして清志を見ていた。

「何だよ、その目」
「パスタなんて腹減るだろうが。どけ」
「ちょっと……」

 啓志は清志を冷蔵庫の前から押しのけると、冷蔵庫の中を物色し始める。その背を清志はじとりと睨むが、暫くして小さく溜め息をついた。
 それから、キッチンの収納棚の方へと行き、そこからパスタの入った容器を取り出した。測りでパスタの量を測り終えたとき、隣でごとんと音がした。
 隣を見れば、キッチン台に人参と玉ねぎ、ソーセージの入った袋、卵等が転がっていた。昨日の残りの白米が入ったタッパーも二つ、置かれている。
 どうやら、宣言通り、啓志は炒飯を作るらしい。

 清志は冷蔵庫を開けて、ベーコンとキャベツを取り出した。
 それをキッチン台に置けば、隣に立っていた啓志が眉を潜めて「邪魔クセェな」と悪態をつく。

「それはこっちのセリフ……ちょっと、もう少しそっち行ってくれ。鍋が取れない」
「俺の目の前に腕持ってくんな!ったく、どの鍋だっての」
「その深めの鍋」
「チッ……おらよ」

 頭上の収納棚から中華鍋と深めの鍋を取り出した啓志は、深めの鍋の方を清志に押し付けるように渡した。

 必要な具材を切り、二人は同時にコンロの前に並び立つ。邪魔だと言わんばかりに二人は顔を見合わせたが、その時、ぐう、という音が重なり聞こえた。一瞬場が白けた後、清志はがくりと肩を落とし、啓志は苛立たしげに金髪をかき回すと、同時にコンロのつまみを回した。


「おい、もう少し鷹の爪入れろよ」
「ちょっと、中華の素入れすぎじゃないか?」
「キャベツ多すぎだろ!!緑まみれじゃねーか!」
「僕はキャベツが好きなんだ、好きなもの入れただけだよ」
「俺はキャベツ好きじゃねえよ、ボケ!」
「はあ?それなら、おまえだって玉ねぎ入れすぎじゃないか!」
「うるせー!俺の好きなもん入れて何が悪い!」


 互いの料理中のものを覗きこみ、ぎゃあぎゃあと文句を言い合う二人は、同じタイミングでムッと口を引き結んだ。それから、清志は箸を、啓志はレンゲを持ち直して、自分の鍋に突っ込んだ。

「「文句言うなら食ってみろ!」」

 そう言うなり、清志はキャベツまみれのペペロンチーノを、啓志は玉ねぎが多く混じった炒飯を一口分、相手の口に突っ込んだ。

「「あ゛っつ!!!」

 ろくに冷ましもせずに口に放り込まれた料理は熱く、二人はうっすらと涙を浮かべて互いを睨んだ。

「火傷するだろうが、アホ!」
「火傷するじゃないか、バカ!」

 双子の喧嘩は、今日も尽きない。


 ちなみにその15分後、大皿に盛られた炒飯とペペロンチーノをつつき、「まあまあだな」と互いを貶しあい、完食した皿を並んで洗いながら互いを足蹴し合うのだが、あいにく今日は二人の喧嘩を早々に止める母親はいなかった。



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