回る世界と双子の日常

お風呂上り

 ぼたぼたと、水滴が髪を伝い下へと落ちる。それは床に敷かれた吸水性の良い青色のマットに到達し、吸い込まれて行った。
 啓志が顔を上げ、視線を向けた先にある鏡は曇っていた。舌打ちを一つ打ってから、持っていたタオルで鏡を乱雑に拭う。
 綺麗になった鏡には、上半身を晒した金髪の男が映った。いつもはワックスで整えている髪は、今は水気を含んで重力に従って垂れており、髪の先端からは相変わらずぽたぽたと水が滴っている。
 啓志は持っていたタオルを広げると、ガシガシと自分の髪を粗雑に拭った。それから、水気を払うようにぶるぶると頭を振ると、タオルを首にかけて再び鏡を見て、その眉間に皺を寄せた。
 露わになった顔は、毎日見慣れている自分の顔だが、前髪を下ろした顔は双子の兄とそっくりだったのだ。気に食わない男と図らずも同じ姿になってしまう風呂上りが、啓志にとっては腹立たしい時間でもある。
 着替えの置いてある籠に入った寝巻代わりの黒いシャツには目もくれず、啓志は肩にかけたタオルをそのままに洗面所を出た。リビングへと入れば、キッチンで洗い物をしている母が見えた。
 リビングのL字型に置かれたソファには、テレビを見ている父と、それから、少し顔を俯かせている清志がいた。
 啓志からは清志の後ろ姿しか見えないが、清志が何をしているかなど明白だ。どうせ、大好きな本でも読んでいるのだろう。
 つまんねえ奴、と内心で嘲笑しつつ、冷蔵庫から取り出した牛乳をパックに直接口を付けて流し込む。母から小言が飛んできたが、ハイハイと受け流して踵を返した。
 スウェットのポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、操作しながらソファへと向かう。ちら、と背後から清志の手元を見れば、予想通りその膝には開かれた本が乗っていた。
 L字型のソファは、父が座っている方は2人、清志が座っている方は3人は余裕で座れる広さがある。啓志は回り込んで、清志の座っているソファへと近づいた。その目は、手元のスマートフォンに向けたままだ。

「……ん?」

 啓志が、清志の腕を掴めば、そこで初めて啓志がいたのに気付いたらしい清志が怪訝な顔をした。清志の手は、本を掴んでいる。
 清志の腕をぐっと持ち上げれば、膝の上の本もそのまま持ち上がった。

「ちょっと、啓志……うわ!」

 ソファの開いた場所に身体を横たえて、揃えられた清志の膝の上に頭をどさりと落とすと、清志が素っ頓狂な声を上げる。

「啓志、おまえ何で髪を乾かしてないんだ!それに、服くらい着なよ」

 膝が濡れる!と文句を言いながら見下ろしてきた清志に、スマートフォンから視線を外して清志を見上げた啓志は、にやりと笑う。

「ざまぁみろ」
「こら!」

 啓志の髪に含まれた水気が、じわじわと膝あたりのズボンに沁み出しているのが不快なのか、清志はぐっと眉間に皺を寄せてじろりと啓志を睨みつけた。
 普段、学校や近所では王子様やら好青年やらと言われている清志のそんな顔を見るのは愉快だった。同じ顔の男が良い子ぶっているのが元々気に食わないのだ、その優等生面を剥がしてやるのは楽しい。
 濡れた髪をわざと擦り付けるようにして、真上を向いていた頭をテレビのある方へと向けた。頭上から深々と溜め息の声が聞こえるが、無視だ。
 テレビ画面には、今年の連続ドラマで主役を務め一役人気者になった若手女優が、白い歯を見せて笑っているのが映っていた。どうやら毎週放送されているバラエティ番組のゲストとして出演しているらしい。その隣には、同じドラマに出演している美しい女優が映っている。
 少し幼げな顔立ちをした少女じみたその若い女優は、わりと啓志の好みである。隣に映っている女優のような豊満な肉体の年上の女性を好みそうだとよく言われるが、啓志としてはその若手女優のような小柄で華奢な女性の方が好みだった。
 どちらかと言えば、とちらりと横目で頭上の顔を見上げた。清志は真剣な目で、少し浮かせた本を読んでいた。しかし、啓志の視線に気づいたのか、怪訝な顔で啓志へと視線を移した。

「なに?」
「てめぇはムッツリだもんなあ」
「はあ?」

 憮然とした表情になった清志を、にやにやとして眺めた啓志は、あれ、とテレビを指差した。何だよ、と小さく呟きながらもテレビに目を移した清志は、再度啓志へと視線を戻した。しかし、その眼鏡の奥の瞳が一瞬テレビをじっと見たのに、啓志は気付いていた。何に気を取られたのかも、勿論分かっている。

「いきなり、なに言ってるんだ」
「あの女優、おまえ好きだろうが」
「………」
「すっげえ谷間見えてるもんな。ああいうお姉様系が好みたぁ、王子様もやっぱり男だなァ?」
「………僕も男だからね」
「へっ。認めやがったな?」

 啓志がげらげらと笑えば、清志はぱたんと本を閉じた。それから「冷たいんだけど」と不服そうに呟いて、啓志の首にかかっていたタオルを引っこ抜いて、啓志の頭へと被せる。
 視界が白いタオルに覆われて文句を言おうと口を開きかけたが、そのタオルが啓志の髪を拭き始めたので口を閉じた。
 幼い頃、母が乾かしてくれた時のような優しい拭き方ではないが、痛いと言うほどの力でもない。

「下手くそ」
「なら、自分で拭きな」
「面倒くせー」

 気持ち良いというわけでもないが、しかし、その面倒臭いことを清志にさせているというだけで気分は良い。
 精々俺に尽くせ、と笑えば、清志は無言でタオルを啓志の顔に押し付けてきた。続けようとした言葉は、もご、とタオルに吸い込まれて消える。
 沸いた怒りに、だらりとソファから垂らしていた手を持ち上げようとした時、押しつけられていたタオルが離れた。
 白のタオルに覆われていた視界に、天井と啓志の顔を覗き込む清志の顔が映り込む。
 ふ、と口角をあげるような僅かな笑みは啓志が浮かべない類の笑みだ。それが、からかうときや馬鹿にする時の清志の笑みだと、啓志は知っていた。

「そう言うおまえも、あの若い女優の足じっと見てただろう。足見て、いったい何考えてたんだ?おまえも十分エロいよ」

 ムカつくことに、清志は啓志の考えていることをよく当てる。それは逆も同じだが、しかし、自分の思考を見抜かれるのはやはり気分が良いものではない。
 それがたとえ、見抜かれ暴かれても問題ないことでも、同じ顔の男の口から告げられるのは腹が立つ。

「ムカつく」
「いたっ」

 服の上から、清志の腹をつねる。啓志ほどではないが、それなりに筋肉の付いている腹だ、摘まめるような肉もほぼ無いので、つねれば痛かろう。

「啓志っ!」
「ばーか」

 けけけ、と笑ったその時、もう一つのソファに座っていた父から声がかかる。

「啓志、今この番組見てるかい?」
「あー?べっつにぃ。変えてーなら、変えれば?」

 父に目を向けてそう答えれば、父はその老いてもなお端正な顔をふにゃりと緩めて「良かった」と機嫌よく言った。ぽやぽやとした雰囲気は啓志には無いもので、見る度に無自覚若作りだと思わないでもないが、それを言えば父はショックを受けるだろうし、それを見た母親の拳が飛んできそうなので黙っていた。

「いやあ、実はね、9時のドラマにちょっとハマっててね」

 父がいそいそとリモコンを持ち上げて番組を変えた。数分のCMの後に始まったのは、刑事もののドラマだ。シーズン4らしい。

「この前のシーズンがここ最近土日で再放送してて、面白くてねぇ」
「あっそ」

 何となく、啓志もテレビへ目線を移した。
 数分後、ぱたん、と近くで本を閉じる音がして、いつの間にか清志が読書を再開していたのを知る。それも、今中断されたようだ。

 ついついドラマに目を奪われていた啓志が、ちらりと清志を見上げれば、清志はテレビの方をじっと見ていた。どうやら、本よりもドラマが気になったらしい。
 珍しいな、と思いつつ、啓志も再びテレビへと視線を戻した。ローテーブルに置かれていたコップをつかみ取り、そのままちびちびと飲みつつも、その目はテレビに釘付けだ。
 自分のお茶を飲まれても何も言ってこない清志もまた、ドラマに集中しているらしい。

「ぜってーあいつが犯人だ」
「ええ?僕はさっきのコンビニに来た人だと思うけど」
「ハァ?あんなん、怪しすぎて逆に怪しくねぇ。ぜってー、あの腹黒そうな弁護士だっての」
「でも今出てきてる証拠的に……」
「バッカ、ドラマだぜ?そう簡単に証拠が出揃うかよ」
「それでも、弁護士は無理があると思う。と言うか、あの弁護士こそ怪しすぎて怪しくないじゃないか」


「結局、清志も啓志も犯人は当たらなかったね」
「「次は当てる」」


(パパと双子は刑事ものドラマがお好き)



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