ぱらり、と本の頁をめくる音が静かな室内にひっそりと響く。その音と、指先に触れる紙の感触に浸ることのできるこの時間は、清志にとっては至福の時だった。
幼い頃から活字が好きだった。ジャンルは基本的に問わないが、読みながら思考するのが好きで、清志は学術書を一等好ましく思っていた。
小難しい文章をゆったりと読み、分からない言葉は傍らの辞書で調べるのは存外楽しいものだ。時間を忘れるくらい、夢中になる。
「まだ本読んどんのか。さっさとそっち詰めろや」
広いベッドがどすんと揺れた。下半身を布団にもぐらせ、上半身を起こし枕をクッション代わりに背に敷いた格好で本を読んでいた清志は、ぱちくりと目を瞬かせた。
それから、そのベッドの揺れの原因へと目を向ければ、じろりと清志を不愉快そうに見つめる目と目が合った。
いつもワックスで整えている髪は、今やぺたりと降りていて、こうして見ると鏡が目の前にあるようだと感じる。目の前の髪が茶色か、あるいは自分の髪が金色だったら、そっくりそのまま同じだ。
眼光鋭いのは向こうが清志を睨んでいるからで、清志だって睨めば同じように眼光が鋭くなるのだという自覚はある。お世辞にも、自分も、そして隣に寝転がる弟も目つきが良い方ではない。
ベッドに横たわり、片頬をついた啓志が、清志から、その手に持った本へと目線を移す。タイトルを見て、苦々しい顔をした。
「哲学書とか、中二かよ」
「五月蠅いな。僕が何を読もうが僕の勝手だ」
「けっ。格好つけが」
そう悪態をつきながら、啓志はゆっくりと身を起こした。そして肩が付くくらい清志に近づくと、清志が読んでいた本を覗きこむ。
「また意味分かんねぇもん読んでんな。あれだ、この前のプラトンはどうした」
「ああ、メノンか?読み終わったよ」
「ハァア?なに勝手に読み終えてんだよ、バーカ!」
理不尽な罵倒だが、慣れていた。やれやれと肩を竦めた清志は眼鏡を外して目頭を押さえた。少し熱中しすぎたのか、目が疲れていたのだ。
そんな清志を見てか、啓志は馬鹿にしたように笑う。
「こんなちっせぇ字ずっと読んでるからだ、アホキヨ。つぅか、俺はもうねみーんだ、はよ寝るぞ」
「あー……そうだな、うん。もうこんな時間か」
壁掛け時計の針は、そろそろ日が変わる頃を指し示していた。今日は木曜日だ、明日も学校があるし、そろそろ寝るべきだろう。
ベッド脇のナイトテーブルに、本を置く。同時に、手に持っていた眼鏡を啓志が奪っていった。
「おい」
清志の諌める声を無視して、啓志が眼鏡を放った。眼鏡は、清志が置いた本の側にカシャンと僅かな音を立てて落ちる。
「割れたらどうするんだ」
「ざまあ」
慌てて眼鏡に手を伸ばすも、パチン、と照明が落ちて真っ暗になってしまい、伸ばした手は空を切った。ただでさえ視力悪いのだ、何も見えなくなってしまった。眼鏡が何処にあるかさえ分からない。
明かりを消した犯人は、ごそごそと布団に潜り込んでいる。
「僕、まだトイレ行ってないのに」
「ハッ。漏らすなよ、オニイチャン」
流石に腹が立って、布団の中で足を蹴る。途端に「ざけんな!」と声を上げた啓志がやり返してきた。結構な強さで腰を蹴られた清志は、無言で再度蹴り返す。
「……」
「………」
「いてぇなクソが!!」
「やめろ!馬鹿力で体力馬鹿なおまえと違って僕は繊細なんだぞ!」
「繊細とかきめぇこと言ってんじゃねぇぞ!」
「いだっ!この、馬鹿が!」
「この、阿呆!!」
ドタバタ、ガタン!ぎゃあぎゃあと、双子は騒ぐ。
「清志!啓志!五月蠅いわよ!さっさと寝なさい!!」
ベッド上での攻防は、怒髪天を衝く勢いで部屋に飛び込んできた母に怒鳴られるまで続いた。
(16歳になっても、双子は同じベッドで寝てる)