回る世界と双子の日常

僕らの日常

 坂巻清志には、双子の弟がいる。瓜二つの顔で、同じ身長の、双子の弟だ。
 体重は若干あちらの方が重いだろうが、それも多少の差で、同じ格好をすれば見分けることは困難だろう。もしかしたら、実の両親さえも間違えるかもしれない。

 だが、実際に見分けがつかないことなど、あり得ない。

「おい、邪魔くせぇなあ、どけよ!」
「いたっ」
「こら、啓志!お兄ちゃんをどつかないの!」

 早朝、起床した清志が洗面所で顔を洗い、リビングへと赴いたときだ。げし、と背中を勢い良く蹴られてソファにダイブしてしまった清志の背後で、母が弟を叱っている。
 ソファに倒れ込んだ拍子に落ちてしまった眼鏡を拾い、かけ直して背後を振り返れば、弟である啓志が寝巻代わりのシャツの隙間から腹をかき、欠伸をしながら母の小言を聞き流しているのが見えた。
 地毛である茶髪の清志とは異なる啓志の金髪は、もちろん、地毛ではない。まず、この髪の色が違う時点で、清志と啓志の見分けはつく。

「聞いてるの、啓志!」
「あー、ハイハイ」
「もう、本当にこの子は……!はあ、さっさと着替えてご飯食べなさい。見なさい、お兄ちゃんはもうきちんと制服も来て、綺麗に身支度整えてるじゃない」

 そう言われた途端、ム、と分かりやすく顔を顰めた啓志が、こちらを向く。しまった、と思った時には目が合ってしまって、清志はこの後の展開が読めてしまった。はあ、と溜め息をついたのと、啓志の鋭い目が吊り上がったのはほぼ同時。

「あぁ?何見てやがんだ、キヨ……つぅか、今、溜め息ついたな?ンだよ、うぜぇな」

 溜め息をついたところも目敏く見咎めた啓志は、朝から元気だ。と、半ば現実逃避のように思いながら、清志はソファから起き上がった。
 ジャージのポケットに手を突っ込み、眼光鋭く睨みつけてくる双子の弟の顔は、毎日鏡で見る自分のものと瓜二つなのに、まるで別人だ。
 自分と同じ顔で物騒な顔をするなと言いたいところだが、清志はすんでのところで飲み込んだ。眼鏡を押し上げ、啓志の横を通り過ぎて清志はリビングの椅子に座る。
 テーブルには、白米と味噌汁、焼き鮭と煮物、納豆と、日本の朝食そのものが並んでいた。

「いただきます」

 手を合わせて箸を取り、朝食を口に運ぶ。

「今日も美味しいよ、母さん」
「あら、本当?良かったわ。啓志、あんたも早く食べちゃいなさい」
「おい、キヨ!無視するとかナメてんのか?!……いっだ!!」

 ダン!テーブルに拳を叩きつけた啓志が凶悪な顔で清志を見下ろしたが、それも母の拳骨が頭を直撃して膝から崩れ落ちた。

「……ッテェな、このクソババア!何しやがる!」
「誰がクソババアだって?!」

 フライパンを片手に仁王立ちする母を、啓志が頭を抱えながら睨みつける。その目は若干潤んでいて、長らく母の拳骨など受けていないとはいえその痛みは身をもって知っている清志は、そっと目を逸らした。

 そして、逸らした視線の先の父と目が合う。新聞で顔の下半分は隠れていたが、見えている目は啓志と母を見てから清志を見た。

「今日もママと啓志は元気だなあ」

 そう情けなく笑う父に、清志は肩を竦めることしかできなかった。



「さっさと歩けよ、のろま」
「だから、おまえは先に行ってれば良いだろ」
「ハァァ?なんでおまえの命令に従わなきゃなんねぇんだ」
「いや、命令じゃないから……それに、バイク使えば良いんじゃないか?」
「へぇ?優等生なお兄ちゃんが弟にバイク通学勧めて良いんか」

 清志と啓志が通う高校は、家から電車に乗って二駅の場所にある。家から最寄りの駅まで清志は徒歩で向かうが、啓志はもっぱらバイクだ。勿論、高校側は許可していない。
 ただ、稀に今日の様に啓志はバイクを使わない時がある。そんな時は決まって、のんびり歩いて駅へと向かう清志に文句を言ってばかりだ。
 幼い頃からやたらと突っかかられ、罵倒され理不尽な暴力も受けてきた清志としては、そんな啓志の言動は慣れたものだが、慣れたからと言って甘んじて受けたいとは思っていない。
 今日も今日とて双子の兄に対してキレまくる弟に辟易した清志がおざなりに言った言葉は、どうやら啓志の何かを刺激したらしい。
 にやにやと、まるで悪役が如く笑う啓志に、己の悪役顔はこんな顔なのかと若干引きながら、清志は肩にかけたバックをかけ直す。
 ちなみに、啓志もバックは肩にかけているが、ほとんど何も入っていないのか厚みはない。

「僕は優等生のつもりはないからな。おまえがバイク使おうが、それで事故ったりしなければ自由にして良いと思うよ」
「この俺が事故るかよ。ナメんな」
「おまえのその自信はどこから来るんだろうね」

 ドヤ顔を晒す啓志の顔は、自分と同じ顔だと言うのに妙に腹立たしい。とは言え、きっと、周りの人々から見てパッと見自分と弟の顔の造りが同じには見えないだろう。

 片や、制服を標準通り着こなした、地毛と分かる程度の茶髪の眼鏡男子。
 片や、制服を着崩した、金髪不良男子。
 態度も、言葉遣いも、性格も、一人称だって違う。まるで正反対な自分たちは、むしろ、何故一緒にいるのかと不思議に思われている可能性さえある。

 ようやく駅に着けば、改札を先に啓志が通った。改札機の画面に残金が表示され、そういえば啓志は通学定期を持っていないのだと清志は思い出す。
 いくらバイク通いを注意しても止めない啓志に対し、呆れた母が定期代を出さなかったからだ。啓志は啓志で、そんな母の処置に文句は言わなかったから思う所はあったのだろう。
 幼い頃ならまだしも、今や清志も啓志も180センチ以上の恵まれた体格を持っている。母の拳を受けてもやり返すことなど容易いが、啓志が母に手を上げたことなど無い。
 いつの間にかグレて、どこかで喧嘩に明け暮れて、悪そうな交友関係を結んでいるらしい啓志に清志は正直呆れ果てているが、それでも見捨てないのは、啓志にそういうところがあるからだ。
 本当の屑に成り下がったわけではないから、清志は啓志を呆れるだけで済んでいる。

 啓志に続き、改札を通った清志は、目の前の背中をぼんやりと見つめた。ツンツンと立たせた金髪が歩く度に僅かに揺れている。後ろから見た弟の背中は案外厚くて、体重だけでなく、体格も少しばかり負けているのでは、と思った。

「……なに見てんだよ、うざってぇ」

 後ろを振り向き、首を掻きながら啓志がじろりと清志を睨みつけた。唇を尖らす様は、どこか幼い。
 清志は、ふ、と口元を歪めて啓志の横を通り過ぎた。

「目の前にいるおまえが視界に入るのは当然だろ」

 言外に好きで見てたわけじゃない、と言いたいのが分かったのだろう、啓志の頬が引きつった。怒鳴られる前に、と清志はさっさと電車に飛び乗った。
 啓志も咄嗟にそれに続いたが、そのせいで怒鳴る言葉は飲み込まれたようだ。



「あっ、ケイちゃん!!」
「お、ケーシじゃん。はよー」
「ア?」

 高校の最寄り駅に着き、電車を降りて改札を通った清志の耳に、元気な声が聞こえてきた。呼ばれたのは弟の名前で、見れば啓志がよくつるんでいるらしい友人の姿が見えた。
 一人は同じ高校の制服を身に纏った赤い髪の女子生徒で、もう一人は同じ高校の制服を着崩した赤い髪の男子生徒だ。
 お揃いのピアスをした二人は、男女の差はあれど似たような造作の顔を啓志へと向けている。

「おう、おまえらか」
「つーか、ケーシ今日はバイクじゃないのか。車検?」
「ちげー」
「じゃあなんで」
「うるせぇな、なんでも良いだろうが」
「ケイちゃんがめっずらし……」

 女子生徒が、ふいに清志を見て言葉を止めた。清志はにこりと笑う。

「おはよう、三島さん」
「ふ、ふおおおおお!王子!王子ナンデ?!……あああ、そっか、忘れてたわ!あまりにもキャラ違い過ぎて忘れてたわ!ケイちゃんと兄弟だったわ!むしろアタシらと同じく双子だったわ!」
「三島さん大丈夫?」
「あー、こいつは気にしなくて良いよ。つーか、ケーシ、何だかんだで兄ちゃんと仲良いのな」
「ハアアァァァア?ンなわけねーだろ!馬鹿か!」
「え、だって一緒に学校来てんじゃん」
「ちげーわ!こいつと俺は同じ学校だから行き先一緒なだけだ!」
「そう言えば、偶にバイクじゃないときあったけどもしかしてその時も一緒に来てたのか?」
「うわあ、うわあ、王子だー。何あの微笑みケイちゃんと双子とは思えない。インテリだー頭良さそー」
「うるせぇ!」

 困ったなあ、と清志は小さく溜め息をついた。正直、目立っていた。それもそのはず、朝っぱらから駅前で悪い意味で目立つ風貌の学生が騒いでいるのだ。
 そそくさと関わらないように横を通り過ぎる人々に、内心で謝りつつ、清志は三人の視線がこちらを向いていない隙にその場を後にした。


 その日の夜、家で「テメェ俺を無視して先行くとかふざけんな!キヨの癖に!」と理不尽な罵倒を受けた清志は、慣れたようにやれやれと肩を竦めるのだった。



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