彼は秘匿する


 それは結婚して1年ほど経った頃に発覚した、ガリオスだけの秘密である。



「ガリオス、今日は良いものを手に入れたぞ」

 一目見るだけで疲れもストレスも全て吹き飛ぶようなにこやかな笑顔で見上げられて、ガリオスは思わず頬を緩めてうっとりと愛おしい伴侶を見下ろした。途端に「ヒエッ」とどこかから恐怖におののくような情けない声が聞こえたような気もするが、ガリオスとしてはどうでも良いことだったので視線を向けることはしない。そもそも、愛する彼が隣にいるというのに他に目を向ける気も起きなかった。

 結婚後も、前と同じく仕事を終えればシャルティーダを迎えにガリオスは彼の働く執務室へと向かう。今日も例に漏れず向かえば、シャルティーダは時間通りに執務室から出てきたのだが、その腕には布に包まれた何かを抱えていた。そして、ガリオスの元へと小走りでやってきて、そして冒頭の笑顔と台詞である。

「……その良いもの、とは、抱えておられるそれですか?」
「ああ」

 見るからに上機嫌なシャルティーダは、腕に抱えたそれを見下ろし、また笑った。

「そうですか。それが何か気になるところではありますが……今はそんなことより、貴方のその笑顔を引き出したそれに妬ける思いですな」

 そんなことを漏らせば、シャルティーダは少し視線を彷徨かせ、ごほんと咳込み笑顔を引っ込めた。それが明らかに照れ隠しだと分かるガリオスとしては、意地悪く唇の端を上げてしまうのを抑えられなかった。そして、それにシャルティーダは気づいたらしく、むっと顔をしかめてガリオスを睨みつけてくる。

「……からかったな」
「そう拗ねんでください。貴方があまりに可愛らしいもので」

 腰を抱き引き寄せれば、空の色を持つ青年はにやりと笑い「おまえは本当に俺が大好きだな」と言っているが、その頬が微かに赤いのを見れば、それもまた彼の照れ隠しなのだと分かる。飄々とした態度を装い、どうにかからかう立場に立とうとしているいじらしい姿は閉じこめてしまいたくなるほど可愛らしい。 
 シャルティーダの両手が塞がっているのを良いことに、ガリオスは彼の青い髪の一房をすくい上げキスを落とし、囁いた。

「仰るとおりで。私は貴方のことが大好きで、愛しておりますよ」
「……恥ずかしい奴め」

 からかおうとしても不発だったことが気に食わなかったのか、シャルティーダが歩き出したそうに見えたので、ガリオスは彼の腰を抱いたまま、歩き出す。それにエスコートされる形となったシャルティーダは、釈然としない面もちではあったが、素直に従った。

「そのお荷物をお渡しください。お持ちしましょう」
「ん、いや、そんなに重くないから大丈夫だ」
「しかし……」
「それに、一応割れ物だからな。おまえが落とすようには思えないんだがなあ……まあ、俺のこの腰を抱く手を解けば、おまえに渡してやっても良いが?」
「……………重くはないのですか?」

 できれば腰を引き寄せているこの手を離したくなくて、だが、彼に物を持たせてしまっていることも看過できず、迷った末にガリオスはそう尋ねた。シャルティーダは抱えたそれを見下ろし、大事そうに持ち直すと「重くないな」とからりと答える。その表情に、無理をしている様子はない。

「それはいったい何なのですか?」

 その問いを待っていたかのように、シャルティーダはにんまりと笑った。「珍しい、良い物だ。母上がくれた」そう嬉しそうに答えるシャルティーダを可愛いと思うと同時に、彼を喜ばせた彼の母に仄かな嫉妬心を覚えてしまう。

「良い物、とは」
「湯浴みの後に教えてやろう」

 どうやら、今ここでは教えてくれないようだ。「意地の悪いお方だ」と囁きその頬にそっと噛みつけば、シャルティーダは「おまえが言うな!」と声を上げ、こつんとその頭をガリオスの肩口に当てた。両手が塞がっているが故のせめてもの意趣返しだったようだが、ガリオスにとってはそんな仕草さえも愛おしいとしか思えない。
 綻ぶ口元を隠しもせずに、ガリオスはシャルティーダと共に帰路につくのだった。



「ガリオス、これだ」

 湯浴みを終えた後、眠る前に客間で二人の時間を過ごすのは既に日課となっている。今日も例に漏れず、二人は客間のソファに腰掛けていた。普段はガリオスが淹れた紅茶か、ワインを嗜むのだが、それらは今、二人の目の前のテーブルには置かれていない。
 置かれているのは、シャルティーダが上機嫌で取り出した一つの瓶と、二つのグラス。

 ちゃぷん、と瓶の中で揺れる透明な液体を、ガリオスは怪訝な顔で見た。

「水、ですか?」
「いや、酒だ」
「酒」
「ああ。何でも、極東の国で、穀物から作られる酒らしい。見た目は水だが、結構強い酒のようだぞ」

 スタンヴィーグ王国で一般に広く飲まれている酒は、葡萄を初めとした果実酒だ。地位も地位なので、ガリオスもシャルティーダも他国の酒を嗜む機会は数多くあったが、この無色の酒を目にするのは初めてだった。
 アルダが立ち寄った極東の国で飲んだこの酒をいたく気に入り、息子へ土産として持ち帰ったのだと言う。
 ちなみに、戦友であり夫でありこの国の王である男には、土産の一つも買ってきてはいないらしい。この扱いの差は不敬罪ものにも思えるが、彼女らしいと言えば、らしい。そもそも、彼女には誰かに何かを与える、と考えは無いのだろう。息子だけが異例なのだ。
 そんな息子を溺愛する母親からの土産を、シャルティーダはこれからガリオスと分け合って飲むつもりらしい。

 いずれ奇襲をかけられそうだと背筋が冷えるものの、シャルティーダが分けてくれると言うのなら、ガリオスは喜んでそれを受け取るつもりだ。

「……おお、香りはわりときついな」

 瓶の栓を開けたシャルティーダがそう呟くように、確かに少し漂ってきた匂いは、その香りだけで酒に弱い者ならばくらりときてしまいそうなものだった。

「シャル、お注ぎしましょう」
「ああ」

 瓶を受け取り、グラスへと注げば、無色の液体がグラスを満たした。それを彼の手前に置けば、彼は貸せ、と瓶に手を伸ばした。そのまま渡せば、シャルティーダは空のグラスに酒を注いだ。

「母上曰く、とても美味い酒らしい。我が国の酒とは少し異なる風味が癖になると言っていた」
「ほう。それは楽しみですな」

 シャルティーダが瓶を置き、グラスを手に取ったのを見て、ガリオスもグラスを持ち上げる。そして、カチンとグラスの縁を合わせ、軽く持ち上げ、グラスに口を付けた。

 するりと、それは驚くほど単純に喉を通っていった。飲みやすいが、強い酒だ。人並み以上に酒には強い自信はあるが、ずっと飲み続けていられるわけでもないし、過去に酒で潰れたことがあるので、気をつけなければならない。しかし、非常に美味なため飲むのをやめることはせずに、一口口に含んでは舌で転がし味わっていたガリオスだったが、ふいに、こつん、と音がして顔を上げた。
 テーブルに、空になったグラスがひとつ、置かれている。どうやら、シャルティーダが飲み終えたらしい。
 己の手の中にあるグラスにはまだ半分ほど残っているというのに、相変わらずお早い、と隣を見て、ガリオスは目を見張った。

 シャルティーダは、酒に強い。本人曰く、母に似たのか全く酔わないと言うだけあって、どれだけ飲もうが彼が酒に酔う姿をガリオスは見たことがなかった。
 飲むスピードも、量もガリオスを上回る彼のことだから、この酒もガリオスより早く飲みきってしまうのだろうと言う予想はできていた。そして、その予想は現実となり、空となったグラスがテーブルに置かれている。
 そんな彼は、てっきり涼しい顔をして、瓶に手を伸ばすだろうと思っていたのだが。

「……シャル?」
「ん、ああ、」

 ぼんやりと正面を見ていた彼は、ガリオスの呼びかけに一泊遅れて反応し、そして緩慢な動作でガリオスへと目を向けた。濡れた太陽色の目に、心臓を掴まれたかのような心地を覚えて、ガリオスは落としかけたグラスをテーブルに置いた。

「シャル、もしかして酔われておりますか?」

 ぱちくりと、普段は鋭い目がゆったりと瞬いた。若干虚ろな視線は、ガリオスを見てから宙を見て、しばらくしてからまたガリオスへと戻ってくる。そして、こてり、と幼子のように首を傾げて「さあ、どうなんだろうか」と呟いた。

「わからん。ただ、この酒は、普段飲んでるものよりも何だかふわふわした気分にさせられるな」
「……もう、お飲みになるのはよした方が良いかもしれませんな」

 シャルティーダの伸ばした手から浚うように瓶を取り上げたガリオスは、栓をすべくその隻眼をテーブルへと向けた。そうして、シャルティーダから視線をはずしたのがまずかったのかもしれない。

「……おい、ガリオス」
「っ、シャル、」

 低い声に呼ばれたと思えば、その真白い手が瓶へと伸ばされた。それから遠ざけるように瓶を掲げれば、「おい」とどこか不機嫌そうな声が落ちる。シャルティーダを見れば、太陽色の目を半眼にして、ガリオスを睨みつけていた。
 彼から睨まれたことなどないガリオスは、その目に戸惑いを覚える。

「シャル、どうかしましたか」
「どうして、俺を見ない」
「は?」
「確かにその酒は美味いが一緒にいる俺から目を離すな」

 そう言うなり、シャルティーダはガリオスの膝に乗り上げた。隻眼を見開くガリオスをじっと睨んだ後、シャルティーダは有無を言わせない声で「酒を置け」と言うので、ガリオスは栓のしていない瓶をそっとテーブルに置いた。
 それを見て、シャルティーダはにやりと笑う。頬と目元を赤らめ、潤んだ目で笑う彼は酷く扇情的で、ガリオスの喉がごくりと鳴った。

「ふ、ふはは、良い子だ、ガリオス」

 艶のある甘い声が紡ぐ言葉は、普段の彼であれば想像できないようなものだ。くすくすと笑い、「良い子だな、俺のガリオス」と囁き、ガリオスの目元にキスを落とすシャルティーダは、確実に、酔っていた。

「シャル、何をっ、ん」
「んー、ぅン、ちゅ、」

 ちゅ、ちゅ、と小さなリップ音を響かせながら、ガリオスの唇を奪うシャルティーダの目はとろんと潤み、ガリオスを見つめている。ぺろぺろと子猫のように唇を舐めはじめたシャルティーダに、はっと我に返ったガリオスはその腰を抱き寄せ深く口づけようとしたが、すんでのところでふい、とシャルティーダが顔を離してしまう。

「うん、やはりこの酒はうまいな」

 どこか舌足らずにそう呟いたシャルティーダは、おもむろにテーブルに置かれたグラスを手に取った。それは、空になった彼のグラスではなく、半分ほど残っていたガリオスのグラスだ。

「こんなにうまいのに、飲んでないのか。仕方ない、俺が飲ませてやる」

 そう言うと、シャルティーダはそのグラスを一気に呷った。

「シャル、そんな急に飲んではなりませ、ん、」
「んー」

 頬に手をあてがわれ、口づけられたと思えば、生ぬるい液体がガリオスの口内に侵入してきた。それを思わず飲み込めば、喉がかっと熱くなり、ガリオスは小さく噎せてしまう。その拍子に唇の端から酒が零れ、顎から喉を伝い、シャツを濡らした。

「ああ、もったいない」

 そうぼんやり呟いたシャルティーダは、ぺろり、とガリオスの顎を舐める。そして、ガリオスの太い喉にちゅうと吸いつき、それからゆっくりと、伝う酒を舐め上げ、それから顔を上げて舌なめずりをした。
 その妖艶さに、酒とは違う酩酊感にくらりと脳内が揺れるも、ガリオスはぐっと息をのんで目を伏せた。このまま、彼を視界に入れ続けるのは毒でしかなかったのだ。しかしそんなガリオスの反応が気に食わなかったのか、シャルティーダはまたも不機嫌そうな声でガリオスを呼んだ。

「ガリオス。俺がいるんだ、俺を見ろ。俺をずっと見ていれば良い」

 シャルティーダに抱きつかれたガリオスは、いつの間にかソファに身を横たえていた。ガリオスの上に俯せで寝転がる形となったシャルティーダは、首を傾げて目を伏せてしまっていたガリオスの視界に映ろうとガリオスの顔をのぞき込んでくる。
 すり、と胸に頬を擦り寄せられ、甘えた声で名前を呼ばれてしまえば、ガリオスに拒否することなどできなかった。

 そろり、と片目でシャルティーダを見たガリオスは、ここが天国か、と割と本気で思い始めていた。

 シャルティーダは、普段から素直だ。素直に好意を告げてくれるし、キスなども自分からしてくれる。男らしい堂々としたその態度を、ガリオスは実に好ましく思っている。不安、不満など全くない。全くない、が。
 全力で甘えられてみたい、と思ってしまうことが、時々たまに、あるのだ。
 シャルティーダはおそらく、甘えるよりも甘やかしたい質のようで、なかなか自分から甘えると言うことが少ない。ガリオスが甘やかして、それにつられて甘えるというのが普段であって、自分から積極的に甘えてくることがあまり無かった。
 そのため、たとえ酔っているとは言え、彼がこうして自分から全力で甘えに来てくれている現状が、喜ばしかった。

 このまま彼を押し倒して貪ってしまいたい衝動を何とか押さえ込んで、ガリオスはシャルティーダの美しい青の髪を撫でた。気持ちよさそうに目を細めるシャルティーダに腰がうずくが、もう少しこの甘えてくれている状況を堪能したくて、ガリオスは己の欲と必死に戦っていた。

「ガリオス、ふ、ふふ、知ってたか、俺はおまえのことが好きなんだ……」
「知っておりますとも」
「そうか……おまえも俺のことが好きだろう」
「もちろん、愛しておりますとも」

 当たり前のことを聞かれ、当たり前のことを返せば、シャルティーダは笑う。幸せそうに、笑う。まるで世界で一番幸福だと言わんばかりの笑みに、ガリオスはたまらなくなる。
 まるで猫が飼い主に甘えるように、すりすりと首もとにすり寄る彼の背を撫でる。

「ふ……まるで猫のようですな」
「ねこ」
「はい。実にお可愛らしく甘えてくる」
「にゃあ」

 美しい男の声が、猫の声を模す。思わず背を撫でてた手を止めれば、それを非難するかのように、シャルティーダが顔を上げた。にゃあん、と、彼は鳴く。

 思わず言葉を失うガリオスに、悪戯が成功した子供のようににまりと笑うと、シャルティーダはガリオスの傷だらけな顔を撫で、そして鼻に軽く噛みついた。

「にゃあん、」

 甘えた声で鳴きながら、シャルティーダはそれこそ猫のように、ガリオスの顔や耳、首をぺろりと舐める。

「っ、貴方という方はっ!」
「ん、にゃ、」

 己より小柄なシャルティーダを抱え上げ、瞬く間に自分の下に組み敷いたガリオスは、余裕の失った凶悪とも言える笑みをうっすらと浮かべた。
 突然のことに驚いた様子のシャルティーダの耳を撫で、ガリオスは彼の瞼にキスを落とす。

「煽ったのは貴方だ。今日は、貴方は俺の猫として、喉が枯れるまで啼いてくれ」

 口を開きかけた愛する猫の口をふさいで、ガリオスはその分厚い手をそろりと彼の服の間に滑り込ませた。




「腰と、喉が、やばい」

 かすれた声で呆然と呟く彼は、困惑の表情で首をひねる。いったい何があったんだ、と気だるげな声に問われて、ガリオスは答えた。

「さあ」

 どうやらシャルティーダは昨夜のことを殆ど覚えていないらしい。ガリオスはほんの少し唇の端を持ち上げると、彼の腰を労るようにそっと撫でた。
 これから、たまにはあの酒を飲んでもらおうと思いながら、彼はしばらくの間この件に関しては秘匿することに決めたのだった。


END.



暗転中はにゃんにゃんしていた二人。
おそらく文字通りにゃあにゃあ言わされていたはず。

いろ様、リクエストへのご参加ありがとうございました。
楽しんで読んでいただければ幸いです。

 

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空の王子と鬼将軍_完結記念企画
2017.2.8〜