愛しき日々よ、永遠に


 シャルティーダにとって、朝は一日の中でも何ものにも代え難い瞬間だ。


 落ちていた意識が浮かび上がり、明確になった意識の中、一番に感じるのは己を包み込む温もり。目を数度瞬かせて、埋めていたそこから顔を上げれば、視界に飛び込んでくるのは穏やかな顔をした傷だらけの顔の壮年の男。半ば癖になってしまっている眉間の皺は無い。
 傷だらけの顔は寝ていても迫力があるものの、シャルティーダにとって今やそれも愛おしい彼の一部である。そっと手を伸ばし、その頬に触れればざりざりと生えかけた髭が手を刺激した。その感触すらも愛おしく思ってしまうのは、結婚したばかりで浮かれているからだろうか。
 暫く触れてから、シャルティーダは小さく笑う。

「いつまで狸寝入りをするつもりだ?」

 目を閉じているものの、仄かに上げられた男の口角は彼の意識があるということをシャルティーダに気づかせていた。男も、シャルティーダが気づいていることを知っていたのだろう、慌てた様子もなく赤銅色の隻眼を覗かせた。

「気づいておいででしたか」
「俺がおまえの寝たふりに気づいていたことに、気づいていた癖に白々しい」

 ガリオスはそれに返答することなく、シャルティーダに顔を寄せた。傷の入った厚い唇でシャルティーダの頬に触れ、抱きしめていた腕に力を込める。それから、唇をシャルティーダの頬から耳元へと滑らせて、低く甘い声でガリオスは囁いた。

「……おはようございます、シャル」
「ああ、おはよう」

 耳に触れる吐息の擽ったさに少し笑い、シャルティーダは挨拶を返す。しかしそのどこか余裕のある笑みも、するりと腰を撫でられた感触によって崩れる。痛みはないが鈍い気だるさを帯びる腰への接触は、芋蔓式に昨夜のことを思い出させ、それはシャルティーダの目元を仄かに染めるに至った。

「ぅ、」
「痛いですか?」
「い、や、痛くはない、が……慣れないな、この感覚は」

 心配げに問われたことが気恥ずかしく、シャルティーダは緩く首を振って、ガリオスから視線を逸らしぼそりとそう呟いた。その間も、ガリオスの腰をさする手は止まらない。

「痛くないのであれば結構。違和感を感じているようですが、いずれ、慣れましょう」

 果たして慣れるときがくるのか、と疑問に思えないのが、またシャルティーダの苦笑を誘う。結婚してから毎晩、とまでは言わないがこうも頻繁に抱かれていれば、確かにいずれ違和も消失しそうだった。
 人並みの体力しかないシャルティーダに対して、40近いとは言え戦場の前線で活躍する軍人の体力は計り知れないほど高い。だからこそ、こうして頻繁にシャルティーダを抱くことができるのだろうが、そんな彼にシャルティーダがついていけているのは、彼が随分と優しく、手加減しているからに違いなかった。
 ガリオスはいつだって、シャルティーダに優しく、甘い。大切に大切に、されているのだと、思う。

 今この時だって、顔や首に口づけるガリオスの目の、なんと甘ったるく優しいことか。彼がこんな目を向けるのが自分にだけだと気づいたのは、彼と自分の想いが通じ合ってすぐのことだ。思い返せば、彼は最初からそうだった。
 最初は憧憬と尊敬だった。それにいつしか、愛が加わった。劇的な出来事があって惹かれたのではなく、共に過ごす内に自然と生まれた感情だった。しかし今思えば、彼のこの優しく熱い眼差しに、無意識に落とされたのかもしれない。

「……ガリオス、」
「ん……何でしょうか?」

 シャルティーダの鼻先にキスを落としたガリオスは、あの眼差しでシャルティーダを見つめている。自分にしか向けられない目。ああ、たまらなく、愛おしい。

「口にはしてくれないのか?」
「……貴方は、俺を煽るのが上手い」
「はは……煽られてくれて嬉しいぞ……んンッ」

 食らいつく勢いで唇を奪われて、シャルティーダはうっとりと目を細める。うっすらと開けた視界には、隻眼がこちらをじっと覗いているのが映る。口を薄く開ければ、ねとりと肉厚な舌が咥内に侵入してくる。それを甘んじて受け入れれば、甘い痺れが脳内を犯していった。

「ん、ん、はあ、」

 ちゅるりと侵入していた舌が引かれ、唇を僅かに離されれば唾液が糸を引き、ぷつりと途切れた。少し早まった息をそのままに、シャルティーダは低く笑う。

「知ってるか、ガリオス。俺は一日の中で、朝が一番好きだ」

 まるで秘密を告白するように、シャルティーダはそっと囁く。

「一日の始まりの朝に、一番最初に目に映るのがおまえであることが、幸せでならない」

 片目を大きく見開いたガリオスが、息をぐっと飲み込む。それから、その赤銅色が凶悪に煌めくのを見て、すぐに朝食は取れないだろうなと察した。

 しかし、朝食よりも今は与えられる幸せを受け止めるべきだと、シャルティーダを組み敷いてきた愛しの男を見上げて微笑んだ。


刧刧


 ガリオスにとって、夜は一日の中でも何ものにも代え難い瞬間だ。

 夜の中でも、夕食を終え、湯浴みを済ませた後からが代え難い。

 そろそろかと、湯浴みを終えた愛しの嫁を浴室に迎えに行けば、真白いローブに身を包み、頬を上気させた彼が出てくるのは同時だった。しっとりと塗れた青い髪が頬に数本張り付く様は、何とも艶めかしい。こちらを見た太陽色の目が、気持ちよさそうに潤んでいるのがまた格別だった。
 この美しい空色の王子が自分の伴侶であるということが、未だ夢のように思うときがある。実は自分の悲しい妄想なのではと考え込むときもあり、その度に現実を見ては死んでも良いとさえ思うほどの幸福感に包まれる。
 もちろん実際に死ぬ気はないし、万が一死ぬとしたらこの美しい男も共に連れて行くつもりだ。死してもなお、共にありたい。生まれ変わったとしても、ずっとずっと、彼が己に縛り付けられていれば良いと思う。

「シャル、まだ御髪が濡れております。乾かさなければ風邪を引くかもしれませんので、こちらへ」

 己の歪んだ思考はそのままに、口から出るのは彼を案じる言葉。実際、彼に風邪を引かせるわけにはいかない。
 ガリオスの言葉に素直に従い、シャルティーダはガリオスの差し出した手を取った。ふわりと香る、石鹸の匂いにくらりと酩酊したような心地になった。きっと、これには一生慣れないだろう。しかし、それを疎ましくなど思えなかった。

 シャルティーダを引き連れて、入ったのは客間だ。ソファに腰掛けて、そしてシャルティーダを足の間に座らせた。こちらに来る途中に使用人から受け取ったタオルとオイルを傍らに置き、乾き切っていない髪を一房掬い取り、そっと口づけた。唇に、ひやりと冷えた感覚が残る。

「おまえはこの髪が本当に好きだな」

 少しばかりの呆れの中に僅かに乗っているのは、嫉妬だ。「少し妬けるぞ」と続いた言葉に、ガリオスは珍しく声をあげて笑ってしまった。素直な彼が愛おしくて仕方がなかった。

「ええ、好きですとも。何せ、貴方の髪ですから。貴方を愛しておりますから、貴方を形作るこの髪も愛おしいのは当然のことでしょうな」

 そう言って、ガリオスは傍らのオイルの入った瓶を手に取り、数量手のひらに垂らした。そして手のひらをあわせて伸ばし、そうっと青い髪にオイルを塗り込んでいく。さらさらと滑らかな髪は、するりとガリオスの傷だらけの指の間を通っていく。

「……嬉しいことを言ってくれるじゃないか」

 そう呟く彼の耳は赤い。少しばかり俯き加減になってしまっているのは、彼が恥ずかしがっているからだろう。俯き露わになった白い項に唇で触れれば、びくりとその肩は揺れ、首筋もほんのりと赤らんだ。ああ、たまらない、とガリオスは彼から顔が見えないことを良いことに、凶悪に笑った。


 時間をかけて彼の髪を乾かした後、ガリオス自身も湯を浴びた。シャルティーダと一緒に入りたいと思うが、入ったら最後、理性が吹っ飛ぶのは目に見えているので、今はまだ、別々だ。
 新婚と言われている今の時期、まだシャルティーダは抱かれるのに慣れていない。しかし、頻繁に抱いているのでそう遠くない未来には、彼も慣れてくれるだろう。その頃には浴室で抱いてもさほど身体の負担にはならないはずだから、それまでの辛抱である。

 手早く短い髪を乾かして、ガリオスは足早に浴室を出た。そして客間を覗き、眉根を寄せる。

「旦那様、奥方様は寝室に向かわれましたが」

 長年世話になってきた執事は、ガリオスが言葉にせずとも何を考えているのか分かったのだろう、ガリオスの求める答えを告げた。 
 奥方様、という響きにそわりと胸が擽られる。今まで執事を含め使用人は彼のことを「シャルティーダ様」か「殿下」と呼んでいたが、結婚してからは奥方様と呼ぶようになった。それを聞く度に、頬が緩んでしまうのを自覚していた。
 執事に礼を言い、ガリオスは寝室へと向かった。

 三度、扉をノックする。しかし返事は返ってこない。室内に一人分の気配があるが、少し希薄な気がした。そっと扉を開ければ鍵もかかっておらず、あっさりとその扉は開かれる。

「……シャル?」

 大柄な男が二人寝ころんでも余る広いベッドに、青い髪をシーツに散らばらせ寝ころんでいるのは、目的のその人だった。足音を消し、気配も消し、そっと室内に滑り込んで近づいた。
 すうすうと小さな寝息をたてて眠るシャルティーダに、しばし見惚れた。彼の男らしい派手な美貌は、第一印象では偉そうだとか傲慢そうだとか思われることが多いと言う。黙って立っているだけでそう勘違いされるのだと彼は笑っていたが、彼自身はそれを喜ばしくは思っていないのだろう。そんな勘違いをする輩も、さすがにこの寝顔を見ればそんな勘違いもしないだろうと思えるくらいに、シャルティーダの寝顔は穏やかで、そして優しげだった。絶対に、誰にも見せてやるつもりはないが。
 ベッドの端に腰掛けて暫しその寝顔を堪能していれば、触れたい欲が沸いてきて、結局誘惑に負けてその頬を指の背でそうっと撫でてしまった。んん、と言葉にならない声を微かに上げたシャルティーダに、可愛い、という言葉しか出てこなかった。

 頬に触れてしまえばもっと触れたくなって、彼の顔をそっと撫でた。さらさらな青い髪も、ふさふさな青い睫も、すっと通った鼻筋も、薄く形の良い唇も、今は見えない太陽色の目も、ガリオスよりは小柄でもがっしりとした体躯も、白い肌も、彼を構成するすべてが愛おしい。彼だから、愛おしい。

「んー……ガリオス?」
「起こしてしまいましたか。申し訳ない」
「いや……だいじょうぶだ」

 ふあ、と欠伸を漏らしながらの言葉は、若干呂律が回っていない。ベッドに沈めていた身体を起こそうとしていたので、その背に腕を回して支えた。
 ガリオスに上半身を預けるシャルティーダの頭は少し揺れていて、眠そうだ。

「……もう、寝ましょうか」
「んー、あー……うん、そうだな……」

 眠気がピークに達したのか、ふらりと揺れたシャルティーダが勢いよく倒れ込まないように、そっとベッドに横たえさせた。ぐ、と服の端を掴まれて見返せば、とろけそうな太陽色がガリオスを見つめていた。

「……おまえ、も、寝ろ……」
「……はい」

 可愛らしい命令に逆らう気もなく、ガリオスはシャルティーダの隣に寝転がり、布団を引き上げた。

 今日はお預けかと思うと少しばかり残念だが、こうして何もせずただ穏やかにベッドで共に眠るのも嫌いではない。
 シャルティーダがもぞもぞと動き、ガリオスの胸元に頬を寄せてガリオスを見上げた。美しい太陽の目が、一度二度とゆったりと瞬く。そうして、おやすみ、と一言漏らして、その目は閉じられた。

 一日の終わり、最後に彼が見るのが己の姿であるのだと思うと、やはり、この夜の時間がなにものにも代え難いと、ガリオスは思うのだ。
 そしてきっとこれから先もずっと、そうに違いない。

 こうして愛しい今日は終わり、そして愛しき明日が始まる。


End.




とんだ溺愛夫婦な二人でした。
新婚生活中な二人(※ただし一生こんな感じ)

閏月様、リクエストへのご参加ありがとうございました。
楽しんで読んでいただければ幸いです。



 

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空の王子と鬼将軍_完結記念企画
2017.2.8〜