振り返るは10年



 柳瀬鷹晴は本来、無気力で怠惰で、そして何より他人に興味の無いつまらない人間に育つはずだった。
 そんなつまらない人間が出来上がるのを阻止したのは、当時7歳になろうかという一人の子供。柳瀬と同じ小学校に通っていた、腕白小僧だ。

「なあ、おまえ!なんで、ずっとそこにいるんだ?」

 今から振り返っても生意気にもほどがあるガキ大将っぷりを前面に押し出した子供は、教室の隅で本を読んでいた柳瀬に声をかけてきた。
 柳瀬の美少年ぷりに入学当時は女の子たちもふらふらと寄って来ては話しかけ、そして柳瀬の光の無い目に無言で見返されあえなく退散、今では掌を返したかのように根暗で不気味で変な子、と思われ話しかける子供もいなかった。
 学年が上がりクラスが変わっても、柳瀬の評判を耳しているのか子供たちは話しかけては来なかった。柳瀬としては、話しかけられずとも問題はないので気にはしていない。一つ鬱陶しいと言えば、担任のいらぬお節介くらいだ。
 柳瀬は別に、人間嫌いなわけではないので話しかけられたら相応に対応しているつもりだし、無視されるのであればそれはそれで静かに過ごせて良いとも思っている。
 そんな中、柳瀬に話しかけてきたのはクラスでも手のかかる子供だった。
 名を、谷萩哲人と言う。

「ほん、よんでるのか?つまんなくねぇ?」
「………」
「うわ、じがいっぱいじゃん!わっかんねー」
「………」
「そんなんよんでないで、サッカーしようぜ!」
「………」
「むしすんなよ!」

 柳瀬は別に、無視をしたくてしたわけではない。昼休み、空いた前席の椅子をがたがたと乱暴に引っ張りそこに腰掛けられ、本に目を落としていた柳瀬の顔を覗き込むように現れた鼻に絆創膏を貼った少年に驚き言葉を失っただけなのだ。
 ついでに言うと、柳瀬が適当に教室の棚から引っ張り眺めていた本は挿絵がページの大部分を占める『桃太郎』であり、それを「字がいっぱい」と言う子供のお頭の弱さ加減に、呆気にとられたとも言える。
 この例に漏れず、幼い頃から谷萩少年は結構な馬鹿であった。

「いや……むし、したわけじゃないけど」
「ならなんで、なにもいわないんだよ!」
「びっくりしたから」
「びっくり?」

 首を傾げる少年の顔には、分かりやすくハテナが浮かんでいる。

「はなしけられるとは、おもわなかったから」

 あと、結構な馬鹿だなと思った。とは、柳瀬は口にはしなかった。初対面の相手にいう言葉ではないな、という判断が働いたのだ。やはり、当時から柳瀬はどこか大人びた少年であった。

「おれがはなしかけたじゃん」
「だからびっくりしてんだけど」
「ふーん。なあ、それより、そといこう!」

 会話が噛み合わないことに困惑する柳瀬の腕を掴み、結構な力強さで引き摺り始める。椅子から立ち上がらされ、そのままあれよあれよと言う間に連れて行かれた柳瀬は、結局その日の昼休み、サッカーに興じることになった。
 は、と我に返ったのは、昼休み後の授業中だ。漢字の書き取りの最中のことであった。


「きょうは鬼ごっこだ!」
「いや、おれは」

「いっしょにかえろーぜー!」
「おれ、にっちょく……」

「よっし、チャンバラだ!」
「あぶな……」
「こら馬鹿二人!!掃除中に箒振り回すんじゃない!!」

「ぼーけんいこうぼーけん!」
「……ああ、うん」


 あの日から、谷萩哲人は何が気に入ったのか、ただ只管に柳瀬を構った。毎日話しかけ、柳瀬の肯定も聞かず外へと連れ出し、騒々しく騒ぎ立てた。
 最初は鬱陶しいという思いもあったが、谷萩の邪気の無い暴君っぷりに暫くすると柳瀬も諦めの境地に至り、いつの間にやら学校内で二人はいつも一緒のセット扱いとなった。
 教師からは手のかかる問題児馬鹿二人という扱いだったが、よくよく見てみると、問題児とその保護者、というのが傍から見た二人の関係性だった。勿論、問題児は谷萩で、保護者は柳瀬である。

 さて、谷萩とつるみ始めた柳瀬であったが、柳瀬への評価は谷萩と仲良くなることで急速に変わっていった。根暗はクールに、不気味はミステリアスへと変換され、元々の容姿の良さから再び柳瀬の人気は返り咲くこととなる。
 しかし、手のかかる谷萩の面倒を見ることで手一杯だった柳瀬としては、女の子たちの視線になど構ってやれなかった。そんな塩対応にも女の子は心擽られると言うのだから、乙女心は不可思議なものである。

 そしてそのまま問題児コンビとして小学校を卒業するのだが、ここで一つ、小さな騒動が起きた。

 実は谷萩はそこそこに良い所のお坊ちゃんであった。なので、中学校は地元ではなく、私立中学へとご両親は通わせたかったらしいのだが、当の本人がごねにごねた。
 一般家庭の出の柳瀬が通う予定の中学に、自分も通いたいと駄々をこねたのである。挙句の果てに、家出と言って柳瀬の家に転がり込み、柳瀬の部屋を占領し出て来なくなったため、柳瀬家への迷惑を考えて谷萩のご両親は折れた。
 自室から締め出された時点で、柳瀬はあと3年間はこの馬鹿と一緒なんだな、と未来を予測し諦めていた。馬鹿な子ほどかわいいとはよく言ったものである。

 そんなこんなで地元の中学校へと進学した柳瀬と谷萩であったが、いつの間にやら、谷萩が不良になっていた。柳瀬としては、本当にいつからこうなったんだっけ、と首を傾げる思いでいっぱいである。
 いつの間にか、谷萩の髪は金色になり、口調も以前以上に荒々しくなった。元々短気だったのが、より一層、我慢が利かなくなったように思う。どこで引っ掛けてきたのか、不良数十人に喧嘩を売られ、柳瀬がそれに巻き込まれることもしばしばあった。
 はては酒や煙草の味を覚え、そして柳瀬も憶えさせられた。
 そんな滅茶苦茶ではた迷惑な幼馴染だったが、それでも柳瀬が彼を見捨てなかったのは、結局彼を嫌いにはなれなかったからだ。
 人の迷惑等省みない暴君であることは確かだが、谷萩は決して自分より弱い立場の相手に暴力を振るうことは無かった。気に入らない相手は殴るような奴だったが、その「気に入らない理由」も谷萩らしいものだった。

 弱い奴を苛める奴が目障りだから、殴った。
 女を手酷く扱う奴がうざかったから、殴った。

 谷萩は理由を言わないが、傍から見ていた柳瀬にとって、その「気に入らない理由」を察するのは容易い。
 悪ぶってはいるが、谷萩が「根は良い奴」であることを、柳瀬は知っていた。
 勿論、元々好戦的な面があるので喧嘩自体好んでおり、喧嘩を吹っ掛けられれば嬉々として応戦するし、強い相手に喧嘩を売りに行くこともあるので、谷萩を全面的にフォローできないのも確かである。
 だが、それでもそれは柳瀬が谷萩を厭う理由にはならない。

 柳瀬にとって谷萩とは、幼い頃無理やりに自分の手を引っ張り、散々連れ回し、挙句「俺たちダチな!」と糞生意気な笑顔で宣言し只管に此方に迷惑を浴びせかけ尻拭いをさせまくった馬鹿で阿呆な唯一の幼馴染だった。
 無気力で怠惰でつまらない人間になる予定だった柳瀬を見つけ出し引っ張り上げた、ただ一人の幼馴染、それが谷萩哲人だった。

 そんな男の友人となってしまったのだ、柳瀬も谷萩の持ち込む面倒事も致し方無しと凪いだ気持ちでいつもは受け止めていたのだが。




「………いったい、これはどういうことだ?」

 柳瀬は、我ながら低い声が出たと思った。きっと自分の顔は渋面を作っているのだろうとも。
 鼻孔を擽るのは、強い性の臭い。他人のそれはより一層不快感を増す臭いだ。

 柳瀬が見つめるのは、一つのベッド。ベッドの周りには服やら下着やらが散乱している。ぐちゃぐちゃなシーツの上には、二人の男が寝転んでいた。

「あー……ああー……」

 ぐったりとした様子で片手で顔を覆い意味のなさない呻きを上げた金髪の男は、空いた指の隙間からちらりと柳瀬を見た。酷く疲れ切っている男の方へと、柳瀬は遠慮なしに歩み寄った。

「ヤられたか」
「まさか。俺がヤッた……んだけどよぉ、いや、俺としては食われたって気がする。搾り取られた、疲れた。やべぇ」
「お疲れのところ悪いが、ここは俺のベッドだ」
「まじ?」
「……部屋間違えたな、哲人」
「あー……どおりで、ハルの匂いすると思ったわ」

 そんなことを言う谷萩哲人に、柳瀬は深々と溜め息をついた。

「女好きなおまえが男に手を出すとは思ってなかったが、この際置いておく。けどな、問題はおまえのヤッた相手だ」
「おまえもそう思うか?」
「どんな状況になったら、あの生徒会長様をベッドに連れ込むことになったんだ?」

 谷萩の胸元に頬を寄せ目を瞑っていた絶世の美青年の眉が、ぴくりと動いた。

 相変わらず問題児な男は、高校2年生に進級して早々、柳瀬に面倒事を持ち込んだのだった。



[ prev / next ]
[2]

2017.06.25〜