■ 英雄と臆病な男

 召喚の儀は成功した。どちらが勇者かは分からないが、呼び出した二人は王城の一室で休んでいる。
 勇者を支える人間は沢山いる。兄弟たち程コネもなければ自由も無いフィオラルドが、二人にしてやれることは殆ど無い。別宅に帰るのが得策だろう。
 だが、その前に、どうしても書物庫に寄りたくて、後ろをついて来る護衛騎士3人に書物庫に行くことを告げた。3人は主の言葉に快く頷いた。

 王城の書物庫は広く蔵書数も莫大だ。その中でも一区画、頑丈に施錠された部屋がある。禁術書庫だった。そこには王族か、王族に許可を貰ったものしか入れない。
 騎士たちはそれを理解していたし、その上フィオラルドの邪魔をするつもりも無かったため、書物庫の入り口で立ち止まった。書物庫には禁術書以外にも価値のあるものは沢山あるため、様々な防御魔法が施されている。このような場所で人を襲おうと考える者は中々いなかった。

 禁術書庫の前で立ち止まり、その扉の取っ手に手をかけた。扉に掛けられた魔法は、フィオラルドの魔力を感知しあっさりと開いた。キィ、と鈍い音を立てて開く扉。
 その時、視線のようなものを感じてフィオラルドは振り返った。少し遠い書物庫の入り口近くに3人の騎士がいた。彼らの視線だったのだろうか?
 軽く書物庫内を見回しても、フィオラルド以外の人間がいる気配は無かった。そもそもここは広いから、書棚に隠れて息を殺していればフィオラルドには察知できない。しかし、優秀な騎士3人が全く反応していないのを見ると、どうやら杞憂のようだった。

 書物庫に入り、奥へと進む。勇者関連の書物が蔵書されている場所で立ち止まると、幾つかの書物の背表紙をそっと撫でた。少し埃が被っていたのだ。

「ここにあるもので、返す方法はなかった……が、俺が見落としているだけかもしれない」

 分厚い一冊を抜き取って、ぱらぱらと捲る。それは勇者召喚の儀が書かれた古いものだった。今日、地下で見た魔法陣はここから拝借されていたのだろう。
 何度見たって、勇者を呼び出す魔法しか書かれていなかった。幼い頃見た結果と一緒だ。深々と溜め息をついて、本を閉じようとしたとき、ふと手を止めた。
 ぱらり、と捲れた最後のページ。そこには著者の名前が記されている。その著者はこの国の民では無かった。出身は確か、グラナドール王国より南に位置する帝国だったはずだ。

「……まだ諦めるには早い、か」

 本を閉じる。ふと、微かな息遣いが聞こえた気がして顔を上げた。誰もいない。
 どうやら自分は随分と疲れているようだ。今日自分の身に起きたことを振り返って見れば、寝不足というのもありえる。今日は早く寝よう。

 閉じた本を棚に戻して、近くにあったデスクの上の紙と筆を取った。あの本の著者の名前を書き、手に取ると、禁術書庫から出た。

「すまない、待たせたな」
「いえ。もう宜しいのですか?」
「ああ。あと、ガルム」
「はっ」
「確か、エルドラド帝国に親戚筋がいたな?」
「ええ、おりますが……」
「この著者に関する本を取り寄せて欲しい。何でもいい。彼に関する逸話が書かれた本が読みたい」

 紙に書かれた名前を見て、ガルムは兜の隙間から見える口許を緩めた。先祖の国の英雄の名前は、彼にとって誇らしいものなのだろう。

「この方の本なら、絵本から伝記まで沢山ございますよ」
「あるだけ取り寄せてくれ」
「承知致しました。しかし何故……」
「単なる興味だ」
「左様ですか」
「ああ」

 それっきり、フィオラルドに問いただす様子を見せないガルムたちに、フィオラルド自身が気まずくなってしまった。だから、つい、言ってしまった。先程の兄との会話をこの3人も聞いていたから、少し気が緩んでしまったのかもしれない。

「私は彼らに、元の世界に戻す方法がない、などとは言えない。それを聞いてしまった彼らの胸中を思うと、恐ろしくて言えないんだ。私は臆病者だからな。だが、かと言ってこのまま放っておくこともできない。何もせずにいた、と責められるのが怖い。だから私は、せめて、探してやることくらいはしようと思う。本当に臆病な男なんだ、私は」

 そう、フィオラルドという男は、臆病な男だった。
 臆病だから、これまで一切自分の置かれた身の上に不満をこぼしていないのだ。不満をこぼしたが最後、フィオラルドの運命は荒波にもまれる。だから、目立たず、ひっそりと、大人しく生きている。

 かつて、グラナドール王国の英雄と呼ばれた男がいた。金色の髪を靡かせ、紅玉の瞳を煌めかせ、敵を屠っていく英雄。
 そんな英雄と、フィオラルドはそっくりだとよく言われる。成長するに従って、英雄の再来だと感嘆の溜め息をつく人々がいるのを知っている。
 だからこそ、フィオラルドはけして腰を上げようとしない。王座など全く興味がないのだと態度で示す。事実、興味はない。
 かつて英雄と呼ばれた亡き兄に年々似てくる自分の息子を、国王が苦く思っているのをフィオラルドは察していた。大賢者に言われ息子を別宅に住まわせているが、正直、安堵しているのも事実だろう。
 だが、フィオラルドは母の不貞の息子ではない。何故なら、かつての英雄はフィオラルドが生まれる何年も前に死んでいるからだ。だから正真正銘、フィオラルドは国王の子供だし、それを国王も分かっている。分かっているが、気にせずにはいられないのだ。

―――まことしやかに囁かれている。グラナドールの現国王は兄殺しではないか、と。

 実際に証拠はない。そもそも、伯父が死んだのは戦場で、魔族に殺されたのだ。
 だから根も葉もない噂であるし、多くの人々は本気で信じてはいない。だが、それでも、心の隅で燻っているのだ。現国王は兄を殺し王になったのではないか、と。英雄が国王になるのだと、誰もが信じ望んでいたから。

 父である国王の苦悩がどれほどかは分からない。国王になりたかったのかなりたくなかったのかも分からない。
 しかしきっと、兄にそっくりな息子を目にするのを愉快に思ってはいないだろうな、とは思う。

 フィオラルドはこれからも目立つつもりは無い。ひっそりと、あの美しい中庭のある別宅で生き、死に絶えるのを待つのだ。誰かを娶る気も無い。自由を取る気はない。


 自由になりたくとも、なれないのだ。立場上、けして。




 トン、と。背後で音がした。何か上から落ちてきた音。落ちたにしては、軽やかな、そう、まるで誰かが降り立ったような、そんな音。

 音が無くなっていた。先程まで、フィオラルドの側を3人の騎士が歩く足音がしていたのに。彼らの息遣いが聞こえたのに。今は一切の音がしなかった。

 ざわざわと肌が粟立つ。おかしい、おかしい、おかしい。こんなことはなかった。
 “あの時”はこんな出会いでは無かった。“あの時”はこんな風に、密やかな対面では無かったのだ。フィオラルドがいて、護衛騎士が3人いて。そして、あの男が後ろから慌ただしく現れた。そのはずだったのに。

(「え、あ、やっと人がいた……!って、もしかしなくても王子様?!って、あ、すみませんでした、ふ、不敬罪っすかね?」)
「はじめまして、王子様。騒がれるのも面倒なんで、ちょっとばかしズルさせてもらいました。チートってやつ?って、分かんないか。ああ、すんません、もしかして今の俺って不敬罪?」

 振り返ると、陰鬱な目がフィオラルドを見ていた。その距離はほんの1mほどだ。周囲には誰もいない。先程までいた護衛騎士たちがいなくなっていた。

「……いや、気にしてない。貴方が私に敬意を払う必要はないさ」
「あー。その言葉。前と一緒だ。あの時はよく分かんなかったけど、そっか、何となく意味が分かった」

 ふぅん、とタカトは目を細めてフィオラルドを見ていた。

「強制的に呼び出した異世界の王族に対して、敬意を払う義務はない、ってことか」

 そこで、タカトは初めて笑った。この男は壊れてしまったのだと、フィオラルドは悟ってしまった、そんな笑顔だった。


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王子様と2周目勇者