ままごと2
中岡×美湖


門前に立っていたのは筒袖に股引姿の大柄な老人だった。

年のころは六十前後に見えるが、孫の年齢から考えると実際はもっと若いのかもしれない。
険しい表情で門番の隊士と口論していた彼は、俺の姿を捉えるといっそう悪意をにじませながら口端を歪めた。


「お前がさちをたぶらかした浪士か、孫を返せ!」

「たぶらかしてなどおりません。一度、野犬に追われていたお孫さんを助けたことがありまして……」

男が鎌を振り上げようとするのを察知し、その腕を押さえつけながら淡々と言葉を吐き出す。
職業柄か、なかなか力が強い。

「その話なら孫から聞いた。しかし互いの家を行き来するような関係は許容できん」

「仰る通りです。私も、お孫さんとはこれ以上関わり合いにならぬほうがよいと考えております」

屯所に迎え入れておいてその言い分は何だと思われるだろうが、そこから関連づけて、まずは懐かれて参っている旨を伝えておかねば。

こちらから接触をとることはせぬゆえ、お孫さんが屯所に近づかぬよう言い含めて監督してほしいと。
そういった論調でまとめていくとしよう。



――と、そこまで考えがまとまったところで、天野に手をひかれながらさっちゃんが到着した。

男はすぐさま少女に駆け寄り、むくれる頬を平手で張った。
加減はしたのだろうが響いた音は大きく、さっちゃんは頬をおさえて泣き出してしまう。


「さち!浪士どもに近寄るなと言うておったろうが!」

「うううっ…だってぇ……おにいちゃんはわるいひとじゃないもん……!」

「子供に人の善悪など分からん!分からんうちは、大人に言われた通りにせい!」

「ケンにいちゃんも、みこねえちゃんも、いっぱいあそんでくれたもん!」

「ええい!とにかく、帰るぞ!」

泣きわめく少女は、男に引きずられるようにして門から遠ざかっていく。
俺たちはただただ、その背を黙って見送るほかなかった。


「さっちゃん……」

今にも泣き出しそうに瞳をうるませながら、傍らで天野がつぶやく。
そんな顔をしても仕方がないだろう、起こるべくして起こった事態なのだから。


ゆっくりと話をする暇などまるで与えられなかったが、結末としては妥当なものだ。

俺たちのような浪士集団は警戒されて当然であり、近隣住民と関わりなど持つべきではない。
こちらもそう心得て動かねばならないはずが、子供だからといささか甘い対応を見せてしまった。


――いかんな、考えを改めねば。
部外者を敷地に出入りさせぬよう、今後は徹底させていくとしよう。





その夜。自室で書き物を続けているところに天野が顔を見せた。

「肩叩きにまいりました」

「ああ、いつもすまんな」

屯所に滞在する晩は、こうして誰かしら肩を叩きに来てくれる。

以前はケンに頼んでいたが、ここのところは専ら天野の担当だ。
何でも亡くなった親父殿も肩の凝りがひどかったそうで、慣れているとのこと。

ここに来て間もない時分、試しにと指圧を施してもらったのだが、その実力は言葉通りのものだった。ツボをよく心得ているのだ。

謝意を述べ、褒めてやると天野は翌日からも来るようになった。
何か少しでも役立つことをしたいのだと主張していたが、なんとも懐かしげに目を細めながら指先を動かしているところを見ると、肩叩きを通して父の面影を感じているのではないかと思う。
そうする事で僅かでも喪失感や寂寥感を埋めることができるのならば、黙って肩を差し出そう。
しばらくはこのまま、天野が専属だ。


肩に指先が触れたのを合図に、筆を置き硯を片付ける。
肩叩き中は会話も多く、意識が散漫になりがちで書き物には不向きなのだ。


「……」


こちらが話を聞く姿勢を整えた後も、不自然な沈黙が続く。

平素は隊のことや飯のこと、友人との会話から他愛ない日常の報告まで途切れることなく口が回るだけに、こうも黙りこくられてはこちらも調子が狂うというものだ。

心ここにあらずといった具合に、どこか手つきも弱々しく動きが鈍い。
昼間の出来事を引きずっているのだろうか。


「……天野、あの子のことは忘れろ」

忠告も込めて一言告げると同時に、肩への刺激が止んだ。
変わりに背後から沈んだ声色が響いてくる。

「……でもさっちゃん、あんなに泣いていました。忘れるなんてできません」

「こんな場所に子供一人で乗り込めば、どこの親も激怒するに決まっているだろう」

「泣いたのは、怒られたからなんでしょうか?」

何やら含みのある言い回しを訝しく思い、体ごと振り返る。
正面からその目を見据えると、天野は縮こまって逃げるように視線をそらした。

「何が言いたい?」

「えっと……あの、さっちゃんは家に帰りたくないのかなぁって」

「具体的に話してくれ」

話が進まない。
普段であれば思ったことをそのまま口に出して伝えてくれるが、こうして悩みを吐露する形になると、途端にまどろっこしく言葉を切りはじめる。
天野に限らず女に多い傾向だ。
以前の俺であれば堪えきれずに会話を放棄していただろう。


「遅くまで出歩いていたり、朝早くから屯所の前で待っていたり……まだ親に甘えたい年頃でしょうに、外に出てばかりで。かといって友達と遊ぶでもなく、一人なのが不思議だなって思うんです」

「昨日今日は偶然一人だっただけだろう」

「うーん……ちなみに、隊長が野犬から助けてあげた時はどうでした?」

「一人だったな」

あの場に仲間がいたならば、協力して追い払うなり示し合わせて逃げるなり何かしら対処できていただろう。
しかしあの子は、一人きりでうずくまって泣いていた。


――いや、その日はそうだったとしてもだ。

常に一人というわけではないだろう。この界隈で走り回って遊ぶ少年少女はたびたび目にする。
子供というものは吸い寄せられるように集団に足を向け、瞬時に溶け込む生き物だ。
さっちゃんも、俺に飽きればまたすぐに集団に戻るに違いない。


「心配ない、すぐに仲間との遊びに夢中になるはずだ」

「そうでしょうか?」

「ああ。ままごとにも慣れた様子だったじゃないか」

「あ、そっか!それじゃ、お友達はいるみたいですね。よかったぁ」

天野は音を立てて両手を合わせ、納得したように笑みをこぼす。


当然、あの子の周囲は友人で溢れていることだろう。
物怖じせずに人の懐に入っていける子だ。誰が相手であろうと一声で距離を縮めてみせるに違いない。

「ここには近づかぬようしっかり言い含められただろうからな、さすがに収束だ」

「怖そうなおじいさんでしたけど、さっちゃん大丈夫かな……」

「雷の一つや二つ落としてもらわんと、あの子は聞かんだろう」

「うう……そうですね。寂しいですけど、これできっぱりお別れしたほうがいいんですよね」

「ああ」

昼間の老人の剣幕を目の当たりにして、少しは分かったこともあるだろう。

陸援隊は、外から見れば得体の知れぬ浪士の集団に過ぎない。
ゆえに、こちらから部外者に歩み寄る事は難しい。
一定の距離を保つことは、周辺住民への配慮でもある。


――しかし、天野にとって疎まれ役は未だ慣れないものだろう。
弱々しく下がったままの眉と口元に、少しばかり胸が痛む。


「……天野が幼い時分は、さぞままごとで盛り上がったんだろうな」

機嫌をとろうと咄嗟に頭に浮かんだのは、余計にさっちゃんの面影を思い起こさせる話題だった――が、仕方あるまい。
ままごとのイロハを語るこいつは平生よりもずっと良い顔で笑っていたからな。


「あ、はい。それはもう。ゆきちゃんや近所のお友達と毎日遊んでいました」

朗らかな声色で屈託なく笑みをこぼしたのを目にして、こちらも安堵の息が漏れる。
俺が見たいのはこの顔だ。

中断していた肩叩きの再開を所望して、再び天野に背を向ける。
するとすぐさま細い指先が、凝りのひどい点をさぐるように肩をすべっていく。

「天野はどんな役でも上手くこなすのだろうな」

「そう見えますか?」

「ああ」

「でも私、子供役しかしたことなくって……」

「何?意外だな」

あの適応力と如才のなさから考えるに、父母から犬猫まで幅広く対応できると思うんだがな。

「私の家は母が早くに亡くなりましたから、父と母に囲まれた家が羨ましくて……それで、いつも子供役をやっていたんです」

「なるほどな」

「嬉しかったんです。お母さんって呼んで、返事が返ってくることが、すごく」

「……そうか」

母の声。
少なくとも俺は十四まで聞くことができた。

ままごとのようなやりとりなど何一つありはしなかったが、あたたかな声色はしっかりと頭の奥深くに刻みこまれている。
声の記憶は情景の断片だ。
手を伸ばしてたぐり寄せれば、懐かしい故郷の香りをそのまま運んできてくれる。


――そうした記憶すらないのであれば、天野のように母という存在に憧憬を抱くのも無理はない。


「わ、ごめんなさい。なんだか暗い話になってしまって……」

「構わない。ここに来て心細くはないか?」

「いいえ!たくさんお兄ちゃんができたみたいで、毎日楽しいです!」

「それは良かった。荒くれた兄ばかりだが、仲良くしてやってくれ」

表情を見ることはできないが、背後から漏れ聞こえる弾んだ笑い声から、いくらかその機嫌が直ったのだということが分かる。

今日は特に世話になったからな、明日は天野とケンに土産を奮発してやるとしよう――。





そして翌日。

あらかじめとりつけてあった面談のため同志の宿を訪ねた後、近況報告がてら近江屋に寄り、そして陽が落ちる前に帰路についた。
屯所に到着する頃にはあたりに橙と朱が散りばめられ、飛び交う蜻蛉の羽に透ける夕陽が、なんとも美しく目に映った。

そうした絵画のごとき風景の中を、先ほどから無数の人影が横切っている。
木の枝を片手に走り回る子供達だ。
さっちゃんと同年代の少女から、上は恐らく十を少し越えた程度の少年まで。ざっと数えて七人程度。
しかしその中に、さっちゃんの姿は見当たらない。



脇を抜けていく少年たちには目もくれず、正面を見据えたまま歩みを進める。
するとすれ違いざまに、彼らの会話の一端が耳に入ってきた。

「どこにおんのや」

「はようでてきてやぁ」

滲み出る疲労と諦めの色は、少年達が長らくこうしてあたりを徘徊していることを示唆していた。

どうやら人を探しているようだな。
彼らの半数は歩をゆるめ、項垂れてその場に座り込んでいる者すらいる。

気にならないでもないが、近隣住民との交流は避けると決めたばかりだ。声をかけるのは止そう。
土産にと買った菓子の包みを片手に、屯所へと急ぐ。




門前には来訪者が立っていた。

眉間に皺をよせ、偏屈そうに細目を吊り上げる初老の男……さっちゃんの祖父御だ。
片手には鎌を持ち、こちらに目を向けるなり青筋を立てて怒鳴り声を上げる。

「さちを中に隠しておるだろう!はよう出さんか!!」

狐にでも化かされているのだろうか……昨昼の再現を思わせる男の剣幕に、こちらも一瞬たじろいだ。


さっちゃんが中にいるというのか――?

……いや、それは考えにくい。
あらかじめ門番には、例外なく部外者をはじくよう口頭で伝えてある。
が、念のため確認はしておこう。

「あの子を中に入れたのか?」

「いいえ、何度か門前をうろついていましたが、追い返しました」

「そうか……」

老人へと向き直りその旨を伝えると、彼は頭を抱えて低く唸った。


「ここにおらんと言うなら、孫はどこにおるんじゃ……」

望みを絶たれたかのように暗く沈みきった声色でつぶやくその姿は、先日目にした威勢の良さとは対照的なものだった。

「お孫さんの行方が分からないのですか?」

「そうだ。昼過ぎまで近所の子らと遊んでおったらしいが、半刻ほど前から姿が見えん」

「なるほど。それで先ほどから子供達が右往左往しているわけですね」


あたりに散らばる少年たちに再び目を向ける。
今にも足を止めそうな緩慢な動きと、欠伸を噛み殺したような気だるい表情からは真剣味の欠如がありありと見てとれる。

探し疲れたのか、もとより探す気がないのか。
どちらにしろ、この分では役に立つまい。


「お孫さんの行方について、彼らは何か語っていましたか?」

老人に尋ねると、彼は項垂れたまま首を振った。

「知らんの一点張りじゃ。わしは子供達に好かれておらんからな、ろくに目も合わせん」

「しかし、捜索には協力してくれていますね」

「わしが怒鳴ったので、しぶしぶやっとるに違いない」

猜疑心の塊のような老人だな。
目をつけられた以上、どうあってもこの場を離れることはないだろう。
大人しく帰ってもらうには、先日同様さっちゃんと引きかえにする他ない。
気はすすまんが、ここは一肌脱ぐとするか。


「……では私が少し、話をしてきます」



老人を門前で待機させ、やや距離をあけてこちらの動向を見守っていた少年に声をかける。
背格好から見て、この子が最年長だろう。
話を聞かせてほしいと告げると、少年はすぐさま声を張り上げて仲間達を呼び寄せた。
ほどなくして俺の周囲に円陣が生まれる。


「さて皆、俺はさっちゃんのお祖父さんの知り合いだ。さっちゃんを探し出すのを手伝いたいんだが、何か知っていることがあれば教えてくれないか?」

子供達に視線を合わせ、片膝をついて挨拶をすると、彼らは互いに顔を見合せながら小さく頷き合った。
そうして真っ先に口を開いたのは年長の少年だ。


「昼すぎまで、さちと鬼ごっこしてたんやけど、いつのまにかおらんくなって」

「そうか。それで、どこにいるか心当たりはないか?」

「ない、よなぁ……」

少年が周囲に視線を投げると、輪になった子供たちが一斉に相づちを打つ。

「さっちゃん、あそんでてもすぐどっかいってしまうんよ、いっつもそう」

「前も鬼ごっこしよったら、そのまま家に帰ってたしな。ほっといとってええよ、ひょっこり戻ってくるはずや」

「せやなー。つきあってられんわー」

次々に証言が上がる。
普段のさっちゃんを知る仲間達からの率直な意見だ。何より参考にすべきだろう。
俺は一人一人の言葉に相槌を打ちながら、一通り情報が吐き出されるまで聞き役に徹していた。

ある程度概要が掴めて来たところで、総括に入る。

「さっちゃんは、よくこうしてふらりと居なくなっていたんだな?」

「うん」

「家に帰っている時以外は、どこにいた?」

「近所の猫と遊んどったり、木のそばで寝とったり……いろいろ」

「そう遠くには行っていなかったんだろう?見つかった場所はおおむね近所だったわけだ」

「うん。遠くまでいかんようにせえって大人から言われてるし。さちんとこのじいさん厳しいから、そのへんはようわかってると思う」

「なるほど、よく分かった。皆も長いこと探し回って疲れただろう」

悪態の一つもつくことなく素直に事情を打ち明けてくれた子供達の髪を一撫でして、頭を下げる。



「ところで兄ちゃん、ここのでかい屋敷の人?」

撫でられた頭をさすりながら、少年は二度三度とまばたきをして小首を傾げた。
その瞳の奥に宿る光は、わずかな好奇心を孕んで輝いている。

「ああ、そうだ」

「へぇ。ここに住んどるんは乱暴者ばかりで、近づいたらボコボコやって大人が言ってたけど、そうでもないんやなぁ」

「そんなことはしない、安心してくれ。皆にとってはよそ者は怖いだろうに、話を聞かせてくれてありがとう」

随分な評判だと思わず苦笑をもらしつつ、手にしていた菓子包みを解いて輪の中央に差し出した。
整然と並ぶ団子や餅を目にすれば、子供達の表情は分かりやすくほころんでいく。


「一つずつもらってくれ。それから、今日はもう家に帰っていいぞ。あとは俺とお祖父さんで探すから心配はいらない」

「はぁい!」

「やったあ!団子ー!!」

「兄ちゃん、おおきにー!!」

それぞれが跳ねるようにしてこちらに一礼し、菓子を手にとって家路へと駆けていく。


いつの間にやら陽は沈み、山の端にはわずかに色付いた雲が残るのみだ。
子供たちをこれ以上引き止めるわけにはいくまい。あとは大人の仕事だ。

残り僅かになった菓子を包み直して老人のもとへ戻ると、そこにはケンや大橋くん、そして天野の姿があった。
各々事情を知らされたのか、深刻な顔つきであたりを見回している。



「もう遅いので子供たちは帰しました。今後の捜索には私たちが協力しましょう」

老人にそう告げると、彼は複雑な表情で眉を寄せ、言葉につまった。

浪士集団に頼ることは本意ではないだろうが、状況を鑑みれば贅沢を言っている暇などないはず。
たとえ断られようと、こちらの判断で動かせてもらうつもりだ。


「……子供達は何と?」

助力の申し出への言及は避け、彼は苦々しい声色でそう吐き出した。
俺は、かいつまんで要点を伝える。

さっちゃんは遊んでいる途中で姿を消したこと。
それは珍しいことではなく、普段からよく見られる行動であること。
その後の足取りとしては、帰宅、昼寝、猫と戯れるなどして比較的近所に留まっているということ。

――つまり、根気よく探し回る他ないというわけだ。
そうと決まれば人数をかき集め、手分けして捜索を行う必要があるだろう。


「仲間達にも声をかけ、お孫さんを探し出します。ここは私どもに協力させてください」

「……」

返事はない。
変わりに老人は深く頭を垂れる。
力なく項垂れたようにも、頼むと頭を下げたようにも見えた。
この不器用で偏屈な老人が、こうして眼前で身を縮めているのだ。
言葉はなくとも、それを答えとして動くべきではないか。

近隣住民と距離を置く、などとは言っていられない状況だからな。
不必要な接触は当然避けるが、目に見えて窮している人間を見過ごすような真似はできない。


「大橋くん、事情を話して十名ほど連れてきてくれ。ケンと天野は近所を探してもらおう。見つかった場合はここに戻るように」

「はいっ!」

「了解しました」

別方向に散る三人を見送り、難しい顔をしたまま言葉なく俯く老人に再び声をかける。

「見つかり次第戻りますので、ここで待機していてください」

案の定返答はないが、その肩を軽く叩いて俺は歩き出した。
まずは屯所の周辺からあたってみるとしよう。




目ぼしい場所から順に半刻ほど探し回ったが、未だ少女の足取りは掴めない。
これまで、大橋くんと共に猫が好む路地や縁の下などの捜索を徹底して行った。
もっとも、見つかったのは猫ばかりだったが。


やがて行き詰まり、いくらか足取りも重くなった頃合いに、大橋くんがふと口をひらいた。

「そういえば、昼ごろから葉月の姿が見えないんです」

「そうなのか。どこか心当たりは?」

「最近は屯所の周りを歩くことも多いようですね……」

「となれば、あの子といる可能性もなくはないな」

「そうですねぇ」

とはいえ、行方を掴む手がかりはない。
葉月が辿る道筋を知る術が見つからぬ限りは……。


ひとまず屯所の周辺をあたってみようと話はまとまり、付近の路地をしらみつぶしにあたっていく。
何かに導かれるように数歩先を歩んでいた大橋くんの背中は、屯所の数軒先を走る細道を中ほどまで進んだところで静かに足を止めた。


「……」

そして、その場に身を屈めて地に平行になるよう頭を傾ける。結っていた髪が流れ落ち、土をこすった。

「ここに何かあるのか?」

滅多に足を踏み入れぬ窮屈な小道だが、よくよく見てみれば脇に立つ民家の塀の下部に穴が空いている。
幼子であれば出入りが可能なほどの大きさだ。
なるほど、ここは怪しいな。



「……葉月」

穏やかな声色で大橋くんが呼びかける。
驚くことに、返事はすぐに返ってきた。

「にゃあ」

声だけではない。ほぼ同時に穴の奥から白い毛玉が飛び出して来た。
大橋くんはそれを両手で抱きとめて懐におさめる。
葉月はここに居たか。あとはさっちゃんだが……さすがにそう都合よく出てくることはないだろうな。

と、膝をついてひび割れた土壁の向こうを覗きこんだその時。


「ねこちゃん、おいていかないで」

寝ぼけまなこをこすりながら、少女が一人穴から這い出てきた。
さっちゃんだ。


かすかに湧いた安堵感は、それを上回る感情の渦にすぐさま飲み込まれた。
その身を按じ、気を揉んだ時間に比例して生まれる、怒りと失望が混ざりあったような心のざわめき。

「こんな時間まで、何をしていたんだ。どれほど心配したと思ってる……!」

小さな肩を掴んで正面からその双眸を見据え、声を荒げる。

「どうしておにいちゃんがいるの?さち、ねこちゃんとあそんでるうちにねちゃってたの」

「……おじいさんが探しているぞ、戻ろう」

相手の目線に合わせて膝を折るような真似はしない。
その言葉を優しく受け止めることも、かといってこれ以上責めるようなこともしない。
こちらからかける言葉はもう何一つない。
問答無用で手を引き、門前で待つ老人へと引き渡すのみだ。

――俺は今、悪鬼のごとき形相であるに違いない。
戸惑いがちに反省の言葉を紡いでいた舌足らずな少女の声色が、次第に嗚咽に変わっていくのがその証拠だ。

葉月を抱いたまま黙って背後を歩く大橋くんは、涙をぬぐう少女の頭を撫でようとし、しかし動きをとめてその手を下ろした。
ここで甘やかすことはならぬと、振り返って俺が一睨みしたからだ。

この子には、己のとった行動が起因し、多くの人間に迷惑をかけたのだという自覚を持ってもらわねばならない。
見つかってよかった、心配したと抱き締めてやるだけではかえって味をしめるだろう。
このままでは、人を困らせることで気を惹こうとするような人間に育ちかねない。
叱るべきところで叱らねば、学ぶ機会を失ってしまう。

かわいそうだが、ままごとにはもう付き合ってやれない。




少女を連れて戻ると、沈みきっていた門前の空気は一変した。
門番と一部の隊士達がにわかに活気づく中、老人は血相を変えてすぐさまこちらに駆けつける。
そうして、怪我はないかと孫娘の全身に視線を巡らせ、無事を確認する。
この時ばかりはさしもの仏頂面もわずかながら緩みを見せた。

しかし、そこで安堵して終わりにするような男ではない。

言葉よりも先に飛んだのは、容赦のない平手打ちだった。
悲鳴のような泣き声があたりに響き渡り、それを耳にしたケンや天野が駆け足でこちらに戻って来る。

「さち!どこに行っておった!夕方には帰ってこいと言っておろうが!!」

「ふわぁあぁあん!!だって、おうちにいてもつまんないんだもん!!」

「わがままを言うな!まっすぐ家に帰ってきなさい!!」

「おじいちゃん、あそんでくれないもん!おこってばっかりだもん!うええぇん!」

両手足を振り回し赤子のように駄々をこねる少女は、年齢よりも遥かに幼く映る。
成長の過程で、何かがすっぽりと抜け落ちたかのような隙間だらけの内面が、一瞬垣間見えた。

言い知れぬ胸の痛みにつき動かされ、俺は少女の傍らに歩をすすめて口をひらく。


「さっちゃんを探して、おじいさんも友達も心配していたんだぞ。叱るのは、何かあってからでは遅いからだ。心から改めてほしいと願っているからだ。関心のない人間には、怒りなんて湧いてこないんだからな」

「……ほんと?おじいちゃん、さちのこときらいになってない?」

涙と鼻水で顔中をぐしゃぐしゃにして大きくしゃくりあげながら、さっちゃんは老人を見上げる。

「たった一人の孫を大切に思わんわけがなかろう!わしにとってさちより大切なものなどない!」


よく言った。

頑迷固陋の老人は、滅多に口にせぬであろう心のうちを躊躇いなく最愛の孫へと差し出してみせた。
鎌を片手に屯所に乗り込んでくるほどだからな。命よりも大切な存在なのだろう。


「おじいちゃん、さちがだいじだから、おこるの?」

「そうだ。もちろん、いい子にしておれば叱りはせん」

「……いいこにしてたら、さちのこともっとすきになってくれる?」

「そうだな、仕事が終わったら遊んでやろう。いい子にしていたらな」

「うん……!」

少女の涙は、いつしか止まっていた。
それに合わせて老人の態度も徐々に軟化する。
さっちゃんが欲していたのは、家族から愛されているという確証だったのかもしれない。
幼くして父母を亡くし、抱えきれぬ寂しさのぶつけどころを知らぬまま本人も苦しんでいたのだろう。



「なんと礼を申せばよいやら……言葉に尽くせません」

「おにいちゃんと、ねこのおにいちゃん、さがしにきてくれてありがとう」

事態がうまく収束を迎えたところで、二人はこちらに向かって深々と頭を下げた。
老人の態度は一変し、敬語を用いて謝罪と感謝の言葉を繰り返している。
……調子が狂うな。

「無事に見つかって何よりです。お疲れでしょうから、今夜はゆっくりお休みください」

「かたじけない……後日礼に伺います。貴方の名を聞いても?」

「……中岡慎太郎と申します」

いくつかの変名が咄嗟に頭をよぎったが、口をついて出たのは偽りなき返答だった。
屯所の中では、俺は中岡慎太郎以外の何者でもないのだ。
隊士たちを前にして、あえて素性を隠すような真似はしたくない。

「中岡殿、わしは野鍛冶の杉三(すぎぞう)と申します」

「杉三さん、お孫さんのことをよく見てあげてください。家族との触れあいを欲しているようですから」

「今後は、そういたします」

杉三さんは憑き物が落ちたような晴れ晴れとした表情で、再び頭を下げた。
そうして、大橋くんと話し込んでいたさっちゃんの手をとって帰路につく。


「ねこのおにいちゃん!またあそんでね!」

「ええ。さっちゃん、葉月とでしたらいつでも遊ばせてあげますから、あまり野良猫を追いかけて遠くに行ってはいけませんよ」

「うん!わかった!」

大橋くんはあの短時間で随分とさっちゃんに懐かれてしまったようだ。
機嫌よく手を振る少女の姿を眺めながら、隊士一同も微笑ましく目を細めている。


「しんたろおにいちゃんも、またあそんでね!だいすき!!」

少女が続けて甲高い声で呼んだのは、確かに俺の名だった。
聞かれていたのか……。

「さっちゃん、おじいさんおばあさんの言うことをよく聞くんだぞ!」

「はぁい!」

「兄ちゃんは、約束をやぶるような子とは遊べないからな!」

「さち、やくそくまもる!!」

遠ざかっていく背に向かって声を張り上げるのは、なんとも気恥ずかしいものがある。
しかしながら、間をおかずに耳に届く素直な返答に安心感を覚えたのも確かだった。
子供というものは、痛い目に遭って学んだ教訓はしっかりと心に刻んで忘れない。
今度こそは、うまくおさまってくれたことだろう。一件落着だ。





「いやー!しっかし今日は大変でしたね!お疲れっす、中岡さん、ハシさん!」

「お二人のおかげで、おじいさんとさっちゃんの絆も深まったようですし!」


夕餉の後俺の部屋に集い、ひと心地ついて菓子をつまみながら、ケンと天野は上機嫌で俺たちを持て囃した。

一仕事終えた充足感から騒ぎたくなる気持ちも分からなくはないが、こちらはそれを上回る疲労と格闘中だ。
いつも以上に肩が重い。

「それにしても、中岡さん。あのような幼子と交流があったとは意外ですね」

葉月を膝に乗せて茶をすすりつつ、大橋くんが冷やかし混じりの笑みを向ける。
ままごとの件はあえて伝えてはいなかったが、結局明るみに出たか。

「一方的に懐かれてしまってな」

「それにしては、叱り方に気持ちがこもっていましたが?」

「……まぁ、顔見知りではあるからな。それなりに心配はした」

「ふふ、そうですか」

多くを追及することはないが、この含みのある笑みは何か思うところがあるのだろう。

屯所へと引き揚げる際に隊士達の雑談がちらほらと耳に入って来たが、それは揃って「隊長は子供好き」であり「実は面倒見がいい」といった内容だった。

あえて反論することは避けたが、誤解だ。
幼子の相手をするのは得意ではない。
――が、おそらく大橋くんも似たような感想を抱いているのだろうな。


などと考えながら湯飲みを傾けていると、ふいに両肩にやわらかなものが触れた。

振り返ってみると、そこに立っていたのは天野だった。両手を俺の肩へと伸ばし、屈託のない笑みをこちらに向けている。


「隊長、お疲れですよね?肩叩きします」

「ああ……頼む」

時折俺が首もとをさすっていたのに気づいたのだろうか。

もともと天野は、こちらの体調の変化に敏感だ。疲れて帰ってくると、口に出さずともすぐさま肩を叩いてくれる。
俺は、そういったものが顔に出やすいのかもしれないな。



「それでは私達は、お暇するとしましょう」

「湯飲みは片付けとくぜ。天野、しっかりやれよー」

肩叩きが始まったのと同時に、大橋くんとケンがその場を立つ。


「どうした?このまま居てくれて構わんぞ」

そう呼び止めてみるも、二人は首を振って障子に手をかけた。

「邪魔をしては悪いので」

「天野は中岡さんと二人で話すのが好きらしーっすからね」

と、何やら意味深な言葉を残して二人は廊下へと出ていってしまった。
ただ肩を叩いてもらっているだけだぞ、邪魔も何もないだろうに。


「……あの、隊長。田中先輩が変なこと言ってましたけど、気にしないでくださいね」

天野はいつしか手を止め、俺の背に身を隠すように縮こまっている。
首をひねってそちらに視線を向けるが、向こうは俯いたまま目を合わせようとしない。

「そうおかしな事は言っていなかったと思うが」

むしろ俺が気になったのは、大橋くんの発言の方だ。

「いえ、まぁ、はい……」

「俺も、こうして肩を叩いてもらう時間は好きだぞ」

「ほ、本当ですか……!?」

急に顔を上げた天野と、鼻先が触れあいそうな距離まで接近する。
体ごと振り返っていたなら、額をぶつけ合っていただろう。

「お前は肩叩きが上手いからな」

「……あ、肩叩きがお好きなんですね……そうですよね」

「誉めているんだぞ?何だその不満げな顔は」

「不満じゃないです、光栄です。それじゃ、続きをやります!」

「ああ」

気を取り直して再開した肩たたきには、妙に力がこもっていた。
心なしか普段よりも丁寧に凝りをほぐしてくれている。
一瞬機嫌を損ねてしまったように見えたが、そういうわけではないようだ。



「……近隣住民との関わりは避けると決めたはずが、そうもいかなかったな」

脱力し、大きく息を吐き出しながら、今夜の一件に思いを馳せる。

他にやりようがあったのではないかと、今更ながら思うのだ。
距離を置くはずが、積極的な近所付き合いを促す結果になってしまったからな。


「今日のは仕方ないですよ。さすがに放っておけませんもんね」

「しかしな、あの子は明日から俺だけではなく大橋くんにも会いに来るんじゃないか……?」

「あ、それはあるかもしれません。葉月ちゃんを触らせてあげるって約束してましたし」


……やはり、そうなってしまうか。

「いかんな。あまり深く付き合っては」

「うーん、そうでしょうか?」

「そうだろう。俺たちと関わることで、不利益を被ることもあるだろうからな」

「不利益だなんて考えない人もいますよ、特に子供は。相手が好きで、一緒にいて楽しいから懐くんです」

「しかし……」

子供達も言っていたじゃないか。
陸援隊に対する大人からの評判は良いものではないと。
こちらから接触を避けることで、保たれる和というものがあるはずだ。


「せっかくですから、ご近所さんと仲良く付き合ってみてはどうですか?」

「何を言っている、無理に決まってるだろう」

そうできるのであれば、苦労はしない。
息をひそめて潜伏するのではなく、こうして町の一角に居を構えて活動するのは多くの隊士にとって初めての経験だろう。

近所付き合いについては、これまでに隊士からいくつか質問を受けたことがある。
その都度「当たり障りなく会釈くらいはしておけ」と返答していたが……。
実のところ俺自身も、未だ探り探りなのだ。

「嫌われていても、こちらは堂々と笑顔で挨拶したり、慕ってくれる人には真心をもって対応したりすればいいと思います」

「難しいことだぞ、それは」

「でも私、陸援隊が嫌われたままなのはいやです。嫌われ者だからって、悪い評判通りの不気味な集団でいることないですよ」

「ふむ……」

面白いことを言うな。
なにも慕って来てくれる相手まで邪険に扱う必要はない、か。

しかしそうなると、屯所は子供達の溜まり場になってしまうのではないか?
そこまで考えて、思わず苦笑が漏れる。


「顔をあわせたらごあいさつして、困った人がいたら助けて。そうしていれば皆、陸援隊が悪い集団じゃないって分かってくれますよ」

「それくらいであればできない事もないな……」

「じゃあ、明日からそうしましょう!ご近所から愛される陸援隊作戦です!」

「まぁ、愛されるのは難しいとしても、警戒をといてもらうきっかけにはなるかもな」


どうも上手く乗せられてしまっている気がするが、天野の発言にも一理ある。
ケンや大橋くんも、近隣住民と付き合いを持つことに概ね肯定的であるようだしな。

明日にでも、改めて話し合ってみるとしよう。




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隊長の一人称だと、どうも堅くなりすぎてしまいます。
そしてけっこう脳内ツッコミが多い。


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